曇りの日、ルビーの夜

 白ともグレーともつかぬ空。さほど寒くはないものの、肌にはほんの少し冷気が纏わり付いてくる。今にも雨が降ってきそうな空模様ではあるのだが、時折風が吹いてくるだけで何もない。石畳のような街道を歩きながら近隣の街へと買い出しに行った。今日は卵とじゃがいもとコーヒー、それに歯ブラシなどの日用品を購入した。うっすらとだが、包装紙の中から石鹸の匂いがしてくる。本物の花には敵わないが、それでも香水のようないい匂いであることは確かだ。少なくとも、灰色の日々にパステルカラーを少しだけ添えてくれるものではあった。

 灰色の街を進んでいくと、目立った看板こそないものの小綺麗な店を見つけた。何故だか俺は、その店のショーウィンドウが気になってしまい、吸い寄せられるようにしてドアを開けた。店の中は白熱電球のシャンデリアが点灯していて、どこか温かみを感じる。暗いはずなのに温かいのだ。陳列棚に並んでいるのは、豪華な調度品や触ったら壊れそうなくらい繊細なガラスの食器。中には木製のおもちゃやアンティークと思しきビスクドールもあった。どれもこれもがシャンデリアに負けじと輝いていて、御伽話の姫や王子が住まう城を思わせる。煌びやかなダンスホール、そんな言葉が似合いそうだが一つだけ違うのは、俺と店主の女しか人がいないということ。何故とは考えたくない。メッキはいつか剥がれて、錆び付いた表面が出るものだからだ。それでもこの店は、とても温かな色で満ちた別世界だと思える。美しい品々が並んでいるからだろうか。

 店主の女は金糸のような髪を一つに結わえていて、その様は狐の尾を思わせた。顔立ちは整っていたが、視力に難があるのかアンダーリムの眼鏡をかけている。青空を思わせるその澄んだ瞳には、只ならぬ妖しい光が宿っていた。店主はこちらから話しかけてはこない。人と話すのが苦手なのだろうか。聞きたいことは沢山あったのだが、店主のことを慮り、その全てを俺は胸の内に仕舞い込んだ。

 一通り店の中を探索したものの、特に変わり映えするものは無さそうだった。店を出ようと思ったその時、質素な椅子に座った一体の人形が目に留まった。彼女は振り子時計の横で、ずっと何かを見つめているように見えたが、思い違いだったようだ。けれど、今にも動き出しそうな生々しさを持ち、妖しくも美しい瞳には確かに俺の姿が映っている。瞳そのものは美しいルビーの色でありながら、血のようなグロテスクさを持ち、髪は水色がかった儚い銀色をしていた。長い美しい銀糸にはヘッドドレスもリボンもついてはいなかったが、それがより美しさを一層際立たせる。着衣は一昔前の子供服そのもので、裕福な家の子女が着ているような、シンプルながらもアクセントにフリルが付いたものだった。ゴージャスなものでこそないが、洗練された美しさがあって今でも一人二人は現実にいそうだ。靴は幼さを感じさせるストラップシューズで、余計な装飾は一つも付いていない。黒光りするそれに白のタイツ。街の連中とは違うエレガントな装い。女の子の理想を全て詰め込んだように作られているせいか、どこか虚ろなモノに支配されているようにも見える。肌は白く、ほんのり桜色がかっていて触っただけで壊れてしまいそうな繊細さを持っていた。

「その子、気に入ったん?」

聞こえてきたのは店主の声だった。

 彼女は不思議そうに俺の顔を覗き込み、

「この子、誰にも手出し出来ん非売品の筈なんやけどな。まぁさか、手ェ出して来よる人がおるとは思わんかったわ」

「嘘だろ⁈ここまで綺麗なら誰でも手を出そうとすると思うけどな」

「今までの子達よりもよう出来たと思うとるわ。だから手放したくなかったんやけど。どうしても欲しいなら一応譲るで。この条件を守ってくれるなら、やけど」

「何だ?」

「……しっかり可愛がってくれへんか。それさえ守ってくれたら。これに勝る喜びはあらへん。その子に対する願いでもあるから」

「は、はあ……」

「……可哀想な子なんよ。誰一人として彼女を見てくれへん。紅い瞳と白い髪に生まれてきたせいで、疎まれてたんよ。昔、この地にいた姫様だったんやけど。本当にあった話や」

「御伽話でなく?」

「……本当や。おとんによく聞かせて貰ったわ」

「……へえ」

 件の人形は店主の好意で譲渡して貰った。それもタダで。彼女は金銭に興味がなく、ただ可愛がってくれたらそれでいいという人だった。そういう意味では可笑しな人だと言えなくもない。人形をお姫様抱っこしつつ、重い荷物を抱えて帰路につく。外はまだ夕方だったが、街灯が点灯し始めている。もう少しで夜になるのだ。十数分後、見慣れた風景を通り抜け、アパートの三階にたどり着いた。鉄のドアを開けて、一通りの荷物を下ろし整理する。溜め息を吐きながら、人形をソファーに置いてやる。髪を撫でた直後にベッドへ飛び込むと、俺は疲れからかうたた寝を始めた。暗い部屋が完全に静まり返り、俺の耳には風の音と野良犬が吠える声、そして時計の秒針の音が聞こえるのみとなった。夢を見ることなくそのまま何時間が経っただろうか。

 起きあがろうとするも身体が重い。下半身に何かが、いや誰かが乗っているのだ。目が冴えたところで漸く理解できた。長い髪の少女が俺に向かって鋏の刃を振り翳しているのだ。彼女の正体は何となくだが分かる。今日、変わった女店主から譲渡された人形だ。彼女は赤い眼を光らせながら、

「……ねえ、どうしてボクと遊んでくれないの?」

幼い子のようだが、ケーキのように甘ったるい声。けれど、怨みなどの感情に支配されているせいか獣の唸りにも聞こえる。そんな感じの声だった。無邪気な幼子が出していいような声ではない。

「……おにいちゃん、ひどいじゃない」

彼女は俺に向かって鋏を振り下ろす。機械的に心臓を狙うも、暗闇の中だからかどこか覚束ない。そのせいか、彼女が握る刃は間一髪のところで俺の身体には刺さらず、シーツを突き破ってマットに刺さったのだった。驚きつつも、ホッとしている自分が心の奥底にいる。

「……ごめん、悪かったよ」

そういって少女を抱き寄せる。彼女もそれに応えるように、俺に手を伸ばす。

「……おにいちゃん、あったかい」

「死んじまったら冷たくなって、何もかもお仕舞いなんだ。お前を抱っこすることだってできない。お前を気に入ったから、俺はお前を買った。これでもまだ信じられないか?」

「………」

目の前の彼女は、今にも泣きそうな顔をしている。俺は身体を起こし、電灯のスイッチを入れ、彼女の為にミルクを用意した。飾り気のない白いだけのマグに冷たいミルクを注ぎ、温める。それにハチミツを入れ、彼女に手渡した。

「これ、いいの?」

「飲みな。お前の舌にコーヒーは早いだろうと思ってさ」

彼女は小さな口でちびちびと飲んでいく。さっきまで俺を殺しかけていたとは思えない、普通の子どもに見えた。それでも違和感は拭えないが。そういえば彼女に名前を付けていなかったな、と思い出しながら、

「何か美味いモンでも食いに行こうか」

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