梅・桃・桜
倉沢トモエ
梅・桃・桜
節分を過ぎたあたりのこと。
西の方では梅が咲いたというが、当地は風もまだまだ冷たかった。
「梅が咲いたら、桃、」
「その次は桜」
酒屋や料理屋、芸者置屋が並ぶこの通りでは、それぞれの店の者が昨晩より降り続いている雪をかいては道端に寄せていた。かいてもかいてもきりがなかった。
そうして集めた雪が泥に汚れてしまったものだから、雪遊びをしたかった学校帰りの子供たちは閉口した。閉口して、まだ白いままの雪を探してあちらこちら走り回っていた。
「お湯でも飲みな」
学校へ通える子供たちが遊んでいるあいだ、こちらは仕事が終わらない。
冷えて赤くなった手に息を吹きかけている置屋の娘に、同じく雪かきが済んだ向かいの酒屋の小僧が声をかけている。今日はそれぞれの店の前の雪を一日よけて、そのたび顔を合わせていた。
「やっと止んだな」
娘は湯呑をつつむように持って手をあたためていたが、次の仕事のことで頭がいっぱいなのか、うなずくのもそこそこに小僧に返し、店へ戻ろうとした。
「だいふく」
そこで唐突に娘が叫んだので、通りにいた誰もが足を止めて娘を見た。
見たその先に。
娘と小僧、ふたりの間には膝ほどの高さの雪だるまがあって、その頭のてっぺんに湯呑とだいふくが乗っていた。
なんだ、雪だるまか。
昔の雪だるまだ。雪玉を重ねたかたちではなく、玩具の張子だるまに似せた、雪の小山に顔が付いたようなかたちだ。
「内緒で上げたのに」
小僧がこっそり渡しただいふくを、知られてしまったことに慌てていた。
けれど、じつはそれだけではない。通りを行き交う町の皆は娘と小僧が慌てているまことのわけを知らなかった。
ふたりのあいだにある雪だるまは、名を呼ばれたった今この世にあらわれて、湯呑とだいふくの落下をすくったのであった。
「あれ、めずらしい。雪だるまが飛び出て来た」
年寄りの冷や水、と、引き止められながら張り切って竹ぼうきをふるっていたご隠居が、まるで咲きはじめた花を見つけたときのような調子で言うのには驚かされた。
「雪が降れば、雪だるまが出てくるものだな」
「出てくるの?」
娘と小僧が聞きとがめると、
「花をうまく育てて咲かせる名人がいるだろう。
ときどき、雪だるまを雪の中から呼びだす名人もいるもんだ」
花と雪だるまは同じなのだろうか。
「梅、桃、桜が順番に咲くみたいに、雪の季節は雪の中に雪だるまがいるもんだ。
今、なんと言ったね」
「だいふく」
もうひとつの雪だるまがひょっこり娘の足元にあらわれた。
**
「なんだね」
置屋の主人はあきれた。
「どうしてまた、だいふくばっかり届くんだろうね。
こないだの大雪の、雪かきのお駄賃に、って」
娘は恥ずかしそうにして、どうぞお姐さんたちにも、と言うのがやっとだった。
「往来でさ。あんな大声でだいふく、なんて言うからさ」
「そんな、大声なんて」
よほど好きなんだね。
まだ小さいんだからねえ。
優しいお客がからかうつもりで持ってくるのだった。
用事がある素振りで勝手口へ出た。
また降りはじめた。
「だいふく」
小さな声で呼ぶと、足元の雪が小さく盛り上がって雪だるまとなった。
「だいふく」
だいふくは雪だるまなので、何も言わない。ただ、名を呼べば、かならずそばにあらわれる。
夜中の雪は静かだった。
娘と、だいふくという名の雪だるまの上に、綿のまとまりのようなみぞれがいつまでも落ちてきた。
梅・桃・桜 倉沢トモエ @kisaragi_01
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