闘神と寡婦

 乱世であった。


 〈ひと〉の諍いは、神々の諍いが端緒であった、と云う。

 その結果、親は子を、子は親を失い、死生有命ゆえに、〈ひと〉は神々への恩讐を忘れた。

 神々とは、畏れぬものを云う。その神々の手遊びで生まれた〈ひと〉は、当然、神々をも畏れぬ質を持った。

 而して、神々と〈ひと〉は怨讐とともに交合し、〈ひと〉ならぬ神々が、神々ならぬ〈ひと〉が誕生した。

 耕人である。

 耕人は地を耕し、水を操った。耕人は髙人とも称し、諍いを微塵たりとも理解しなかった。地は耕せど尽きることなく新たな芽を育み、太らせ、結実する。水はその流れるところを選ばず、道なりにしたたり下り大地を潤した。あるがまま、つまり耕人とは自然じねんであった。

 耕人が在る限り地は満ち足り、〈ひと〉は肥え太り、鳥は空を滑空した。

 これが神々と〈ひと〉による、唯一の宥和の時代であった。


 ある時、耕人が叫んだ。

「見よ!」

 と。

 何を見るべきかと〈ひと〉が天を仰くと、空は裂け赤い水が奔流となって地を抉った。亀裂は閉じることなく、やがて大地に沁み渡り、草木は葉を落とし、沃野は泥濘と化し腐臭を放ち始めた。

 〈ひと〉は乞うた。疾く、疾く天を治し給え。

 耕人は否と首を振った。そして、その腋下に抱えられる限りの〈ひと〉を隠した。

 その腋下で〈ひと〉は集まり、種を蒔いた。やがて〈ひと〉が邑を築き始めると、耕人は地に伏せ、四肢をついて根を張った。血の大地を浄化し、やがて一体となった。

「これぞ自然じねんの理なり」

 そう言い放つと耕人はその営みを止め、いまに至るまで〈ひと〉を守り続けているのである。




 ひとりの寡婦がいた。名をアベラと言った。アベラの夫は巫祝であった。邑邑の境界守として生を受け、よく耕人に仕えた。その末期、孫ほどの幼子と自らを引き換えに供物となって天に召された。

 アベラは十四で嫁ぎ、十八で寡婦となった。夫亡きのち、鳥が散らした骨を拾い、砕いて焼き固めると、かねて夫が望んだように風鐸とした。軒下に吊るし、その下に座し、のち三年、日々祈り、弔った。

 長い喪が明ける前日、アベラは寡婦の館の庭先にひとりの男を見つけた。ヨナの花に埋もれ、見慣れぬ衣服をまとい、顔には蒼い粒紋様の刺青があった。高熱を発し、聞き慣れぬ言葉を繰り返し呟きながら血を吐き、瀕死の床にある獣のようであった。

 旅人は稀である。曽祖父の代に北からやってきた盗賊は、邑人が集まり謀り、耕人への供物とした。

 足元に臥した男は若く逞しく、衣服はやわらかに薄く、夕陽のように美しい水麻であった。短い下履の下で腿は隆々と盛り上がり、走る姿は点貓のごとき鮮やかさであろう。

 アベラはおのれの室へと運び、男の身を清め、甲斐甲斐しく世話をした。はるかに年長であった夫と違い、褪めても肌は張り、ふいごのような息は甘かった。

 客人まろうどは、三日三晩高熱に苦しみ、アベラは瀉血を繰り返した。水を飲ませ、汗を拭い、衣を替え、口移しで粥を与えた。

 男が目を開けたのは、丁度七日目の朝だった。

「アベラ」

 男は、〈ひと〉の言葉を解した。解すのみならずアベラの心を読み、その欲望を察した。起き上がって晴れ晴れと大声で笑いながら、その晩、アベラと褥を共にした。

 星明のもと、男はこう言った。

「余は闘神なり」

 天上に在って戦う神であると。

 アベラは神々も、闘神もわからなかった。アベラにとって、耕人こそが天であり、神である。四肢をつき〈ひと〉を抱え、その身をもって贖う慈悲の賜物であった。

 闘神とはなにか、アベラは尋ねた。

 男はやはり、笑いながら応えた。

「神々の欲するものを屠る神である」

 アベラは、裸の下腹部を撫でた。そこには昨夜の交合で宿った芽か蠢いていた。

「世は無から産まれた。無より産まれ出るのであれば、いづれ無に還さねばならぬ」

 無より産まれ、無に還る。その循環を妨げるものがあれば屠らねばならぬ。神々は〈ひと〉と同様にことわりを軽んじた。ほしいままにしていては、豊穣たる源泉は枯れ果てるだろう。潤し続け、平行を保つためには、神々がのぞむものこそを屠らねばならぬ。

 ゆえに、闘神とは神ながら神々からも憎まれ、蔑まれる存在となった。

「世の始まりより定められた理である」

 そう言うと、男はアベラと館の寡婦らが目覚める前、朝靄と夜露に濡れるヨナの花を踏みながら去っていった。

 それから十月十日。

 アベラは、嬰児を抱いていた。水麻のような橙色の眸を持つ女児であった。

 産褥の床に男は現れ、胞衣えなを被った嬰児を取り上げた。邑の外れ、境界にほど近い崩れかけた小屋であった。喪中に身籠もったことを罪とされ、放逐されたのである。

 男は、瀕死のアベラの髪を撫で、神殺しの剣をもって眉間を貫いた。さらに返す刃をおのれへ向け、

「然哉」

 と、笑いながら露と消えたのである。


 こうして残された嬰児は、死するアベラの乳を飲み、神殺しの剣を弄びながら成長した。醒めた水麻の眸に、爹児タールのごとき漆黒の髪を垂らし、ヨナの蘂のごとき口唇は、もの言わぬ笑みを常に湛え続けた。

 これが、のちに神々へ挑んで耕人の妻となり、天空を切り裂き世界を滅ぼした女傑、アブーナ出生の物語である。





(了)





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賢者の塔 濱口 佳和 @hamakawa

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