後編

 ノノの飛び方は悪くありませんでしたが、ノノは新米のオウムなので、まだまだ上手な飛び方を知りません。風の読み方、疲れにくい効率的な羽ばたき方。マルルは見本を見せられなくとも、とても丁寧に指導しましたので、ノノはあっという間に上手に飛べるようになりました。


「やった、マルルさん! 飛べましたよ!」


 ノノははしゃぎにはしゃぎ、緑と赤と黄色の羽を、バタバタ羽ばたかせて喜びました。



 ノノはたいへんおしゃべりなオウムでしたので、彼女の体験談はあっという間にくぬぎの木全体に広がっていきました。


「マルルさん、私にも教えてください」

「僕も僕も!」

「俺も空を飛んでみたい!」


 たくさんの鳥や、あるいは虫までもが、マルルの下に訪れました。それらはみんな飛ぶのがあまりに下手くそで、マルルは指導にずいぶん骨を折りました。でもひとり、またひとりと飛べるようになるたびに、マルルは大きな声で笑いました。


 翼を折られる前、天界で仲間の天使と笑っていたころと同じマルルの姿が、そこにありました。


 そのころになると、ノノはもうオウムとして見事に飛べるようになっていました。今ノノは、ちょっと太りすぎのスズメのシノンに飛び方を教えています。シノンは若いメスのスズメで、体重はハトくらいあります。スズメの羽にハトくらいの重さがついているのですから、そう簡単には飛べません。ノノはシノンにダイエットを命じて、マルルはやっぱり大笑いしました。



「マルルさんは自分では飛ばないのですか?」


 そんなシノンに訊かれて、マルルはハッと顔を上げました。


 うららかな日差しがくぬぎの大樹を照らす、ある午後のことでした。シノンはノノの考えた羽ばたきダイエットを実施中で、そのとなりではペンギンのハネ太郎が空に浮かぶ練習をしています。ハネ太郎はペンギンなのだから飛ぶのをあきらめろと言ったのですが、それでもどうしても彼は空を飛びたいというのです。

 マルルは言います。


「どうしてって、わたしは」


 わたしは羽を折られたのですから。もう空を羽ばたける翼は、どこにもないのですから。

 シノンは、


「マルルさん、わたしはとても腕の立つ大工を知っています。その人にお願いして、新しい翼を作ってもらいませんか?」


 新しい、翼。

 マルルは想像します。自分の背中に生えた、機械仕掛けの翼。それを一生懸命羽ばたいて、またかつてのように大空を飛ぶ。それはおそろしく、でもとてつもなく甘美であるように思われました。またあの時のように飛べるなら。あの時のように飛んで、笑顔で誰かに幸せを届けられるなら。


 話を聞きつけたハネ太郎が、ぴょんぴょんしながら言いました。


「オレ、マルルさんが飛んでいるのを見たい!」


 ハネ太郎はペンギンなので飛べません。でもハネ太郎は誰よりも一生懸命に、空を飛ぶ練習をしています。


 シノンとハネ太郎が、キラキラした目でこちらを見つめています。マルルは目を伏せました。もう一度、自分で空を飛びたい。でもそれは怖い。不条理な神さまの顔が、頭の中で蘇ります。

 でも、


「……飛びたい。わたしはもう一度、空を飛びたい」


 それはできるとかできないとかではなく、したいことでした。

 マルルはもう一度、空を飛ぶ決心をしたのです。



 シノンはマルルを大工の下へと案内しました。大工のオウノはまだ若いミソサザイでしたが、それはそれは腕がよく、よくしなる木の皮や枝で、あっという間に翼の骨組みをこしらえてくれました。


「風を受ける布が足りない」


 そう言われれば、マルルはくぬぎの木を登り、クモから糸を分けてもらって機織りをしました。クモのくれた糸は艶やかな虹色の布になりました。


「風を切る羽根が足りない」


 そう命ぜられれば、マルルはくぬぎの木をもっと高いところまで登り、緑の葉を摘みました。仲間たちみんなが、それに協力してくれました。ノノもシノンもハネ太郎も、他の仲間たちも、それを手伝ってくれたのです。まだ太ったままのシノンが、枝を折って落ちました。葉っぱまみれになったシノンを見てマルルは笑い、みんなは笑い、シノンも笑いながら飛んで戻ってきました。


「ほら、マルルさん。わたし、飛べるようになったんです。マルルさんのおかげです」

「いいえ、違いますよ。それはシノンが自分でがんばったからです」


 マルルは幸せを運んでいた手で、シノンの頭を撫でました。


「でももう少し痩せた方が、もっときれいに飛べますよ」



 こうしてみんなの協力もあって、マルルの新しい翼は完成しました。木の皮もよくしなる枝も、布も風を切る葉も、すべてこのくぬぎの木で作り出されたものでした。


 マルルはオウノの手を借りて、新しい翼を背負いました。マルルが背中を動かすと、羽はバタバタとよく動きました。


「我ながらいいものができました!」


 オウノは喜びました。マルルは試しに飛んでみます。助走をつけて、くぬぎの木を蹴り、大空へ。風を読んで、大きく左回りに旋回します。マルルが飛んでいる姿を見て、ノノが喜びました。シノンが手を叩き、ハネ太郎はぴょんぴょん跳ねました。他の仲間たちも、それぞれ思い想いに、マルルが飛ぶ姿を見て喜びました。


 試験飛行はあっという間に終わりました。マルルはもう、飛べない天使ではありませんでした。紛いものの翼でも立派に空を飛べる、天使のマルルに戻っていました。



 そして春のはじまりのある日、強い風が吹くことを、ミミズクが教えてくれました。


「その風に乗って空を飛べば、大空へ帰ることができると思います」


 大空。そこに広がる、天空の世界。


 かつての仲間たちはどうしているでしょうか。あの意地悪い神さまは、まだいるのでしょうか。


 果たして大空へと帰るべきなのか、マルルには分かりません。くぬぎの木のみんなはとても優しいので、だからマルルはまた元気になれたのです。こうして翼も手に入れられました。


「でも、わたしは」


 マルルは天使です。天使だということは、もちろん、幸せを運ぶ仕事をしているに決まっています。


 さんざん迷った挙句、マルルはようやく決意しました。

 みんなが一緒に作ってくれた翼をはためかせて、


「わたしは大空へと帰ります。神さまが許してくれなくても、もう一度、幸せを運ぶ仕事をしたいのです」


 マルルは天使です。翼を折られても、代わりにくぬぎの木で作った翼を背負っていても、マルルはやっぱり天使なのです。


 人びとに幸せを運ぶ、天使でしかいられない性分なのです。


「いいと思うよ!」

「寂しいけど、マルルを応援するよ!」

 ノノもシノンもハネ太郎も、みんなが賛同してくれました。


 そしてついに、春の大風が吹く日がやってきました。


 今まで一度も感じたことがないような強い風が、くぬぎの木を揺らしていました。末端の細い枝はしなり、葉っぱがちぎれて空に吸い込まれていきます。マルルには大風の動きが見えました。マルルは腕のいい天使の勘を信じ、くぬぎの木から飛び降りました。


「っ!!」


 降下。重力に飲み込まれ、マルルの体はたちまち地表へと落ちていきました。

 でもマルルは天使です。飛ぶのが上手な天使なのです。マルルの風読みは完璧でした。紛いものの翼は、地表から吹き上がってくる風をつかみました。緑色のくぬぎの翼は、白い翼と遜色なく、マルルの体を大空へと押し上げました。


「マルル!」


 ノノが、シノンが、ハネ太郎が、叫びました。

 そしてくぬぎの木の仲間たち、全員がその姿を見たのです。緑色の羽を持った天使の姿を。みんなに幸せを運ぶ天使のマルルが、白い光に包まれながら空を飛ぶ姿を、みんなそろって、見つめていました。


「みんな、ありがとう!!」


 マルルは振り返り、手を大きく振りました。


「みんなのおかげで、わたしは飛ぶことができました! みんな、ありがとう! ありがとう!!」


 そうしてみんなに見送られ、マルルは大空へと帰って行きました。


 マルルは天使です。天使であるということは、もちろん、幸せを運ぶ仕事をしていますに決まっています。


 マルルは天使です。背中にくぬぎの木でできた翼を持って、今日も明日も、みんなの下に、幸せを運んでいるのです。


 おしまい。

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マルルの翼 山南こはる @kuonkazami

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