竜頭蛇足

 四方を分厚い装甲隔壁で囲まれた、巨大な棺のような空間。その空間は天井から四隅まで、死者を鎮めるような深い闇で覆われている。そんな闇色の空間が、眩い緑の炎によって明るく染められた。


 炎は大樹が育つように、闇の中へ大きく拡がる。そして一瞬にして砕け、霧の様に散っていく。その根元には、三つ首の黒龍がいる。黒龍は胴体から、翼のように炎の大樹を生やしていた。黒龍は何度も何度も、羽ばたくように炎を闇に撒く。


 そんな風に炎の翼を広げながら、黒龍はどすんどすんと野太い脚で足踏みする。黒龍が踏み荒らすのは、空間の底に溜まる巨大な水面。一枚の巨大な黒曜石を敷いたような、黒々とした奇妙な泉だ。それを何度も何度も、黒龍は踏みつける。すると水面から黒い電が飛び跳ね、それにがぶりと三つ首が食らいつく。それを黒龍は飲み下すと、またぼうぼうと緑の炎を胴から生やした。


 ここは界宙戦艦の中でも深部に位置する場所、輪廻転槽。

 使われた絶対燃料を、再び活きた形まで加速する施設だ。

 その施設の主、三つ首の黒龍――三重加速機は勤勉に作業を行なう。


 ずしんずしんと、足踏みさせて黒水を刺激し。住処をつつかれた蛇のように、飛び出してきた黒電を三つ首で捕獲。内部で輪廻転させて、余剰エネルギーを炎の形で排出。そうして加速した絶対燃料を、三つの尻尾を介して界宙戦艦に戻していく。


 飽きる事無く、止まる事無く、繰り返される作業である。だが自発的な行動ではない。あくまでも三重加速機は、使役される道具に過ぎないのだ。


 その操縦室で、一つの青い影が動いていた。

 まるでドレスを着た、お姫様のような少女だった。だが彼女はドレスを着ておらず、単にそう見える姿をした半人半蛞蝓の少女である。そして蛞蝓とはいえども、気味悪さとは無縁。蛞蝓の部分は、透き通った青い宝石の様な色をしている。頭には小さな翼を模したような触覚を持ち、腰から下はフリルを重ねたドレスのような形をしている。


 ヌメ。

 この輪廻転槽の作業を司る、界宙戦艦の子機である。

 彼女はぺちぺちと接触画面形式の制御盤を叩き、三重加速機に指示を出すのだ。


 ヌメはお仕事に熱心である。せっせせっせと、制御盤の上で忙しなく手を動かす。次第に彼女の気分が乗ってきたのだろう。ヌメの指先が、軽やかに動く。まるで鍵盤を爪弾くように、彼女は制御盤の上で指を弾ませる。ステップ、ターン。細い指で、軽快な舞踏を披露する。


 黒龍の動きは一層激しくなり、まるで押し寄せる黒電の群れと血戦するかのような大立ち回りだ。その中にある操縦室も、激しく揺れている。だがヌメの蛞蝓な下半身ならば、多少揺れた所で床に張り付いていられる。問題は、彼女以外のものだった。


「ぬ~、ぬぬ~ぬ~♪ ……ぬべェッ!?」


 後ろにあったガラクタがころころと転がり、ごっちんとヌメの後頭部に突っ込んだだ。ヌメはびたびたと、床を転げまわった。頭の優雅な青い翼が、びちゃぶちゃと必死に黒水を掻く。白鳥が鼻で笑いそうな見苦しさであった。


「ぬっ、ぬっ……ぬぎゅぅ」


 さすりさすりと頭を撫でながら、ヌメは目尻に漏れた涙をぐっと拭く。だが立ち止まってはいられない、ハリアーの為に頑張るのだ。ふぁいおー。手をぐっぐっと突き上げて、自分を鼓舞するとヌメは制御盤に戻る。


 そうして、またもやぺちぺちぺち。接触画面の上で、エアもぐら叩きを行なう。そうして手足の様に、三重加速機を動かすのだ。二の轍を踏まぬよう、心持ち慎重気味に。ヌメは失敗から学べる、賢い子なのである。なお、忘れるのも早い。二時間後、ヌメはまた床をごろごろと転がった。


 そして数時間後。


「ぬぅ~っ!」


 ぐ~~っと両腕と背筋を伸ばすと、ヌメは気を抜けた顔をする。小休止の時間である。ヌメが振り返ると、部屋の隅にゴミが積み上げられている。だがゴミと言っても、彼女が直々に処理しようと取り分けておいた物だ。


 まず手に取ったのは、穴の開いた木の実だ。その中身はなく、内側には僅かに香ばしい汁がついている。具体的には、ハリアーの廃棄物だ。食事を終えたハリアーから、奪うように持って帰ってきたゴミである。


「ぬぅ~……♪」


 それを宝物の様に眺めると、少しずつ端からポリポリと口に収めていく。機嫌良さそうに羽ばたく触覚から、ぽっぽっと火が漏れる。まるでハリアーと中身を一緒に食べているかのように、さもおいしいと言わんばかりの笑顔で食べ切った。半分、自分へのご褒美である。ヌメは好きなものを、一番最初に食べるタイプなのだ。


「ぬっ! ……ぬぅ~?」


 次に手に取ったのは、紙切れである。桃色に着色された紙切れで、不揃いな記号が並んでいる。それはどこかで使われていた文字である。ヌメはその歪な文字列を、じぃっと真面目な顔で凝視する。


『――私の体が弱いせいで、お姉さま達には長年ご迷惑ばかりをおかけしました。ですがそんな私も科挙に合格し、お姉さま達のお手伝いができるようになりました。もうすぐお姉さまの助けになれると思うと、胸の高鳴りが抑え切れません。不出来な妹ですが、お姉さま達のお傍で恩返し致します』


 ヌメは文字と思しき記号を眼で追い、ふむふむと肯き、そうなのかーと合点がいった顔をする。なお意味は微塵も判っていない。ヌメがしているのは、ヅヱノの真似事だ。字を読んだり読めなかったりする、彼の真似をしているのである。それがヌメの、最近のマイブームだった。


『驚かせたいので、次姉様には秘密にして下さいね。長姉様も好きだった甘酪を持参いたしますので、昔の様に三人でいただきま――』

「ぬぬ……ぬ、ぬ」


 ヌメは一頻り読み終えると、ヤギの様にめえるりめえるりと紙を口に入れていく。理解は出来なかったけど、ちゃんと読んでから食べました。そんな風に、達成感に満ちた顔でもぐもぐする。ぼっと、緑の炎が頭から散った。

 

 次にヌメは、木製の看板を手に取る。ふむふむ、そういうことなのね。ほうほうそうなの、いやあ素晴らしい。そんな感じに、ヌメは肯いた。


『銀蠅厳禁! この所、食料庫から不当に持ち出す事例が発生しています! 見つけた場合は懲罰塔にて、戦象監視の任務が課せられます! 見かけた場合は、速やかな通報を!』


 はぐりはぐりと、ヌメは分厚い木の板も口に含んだ。

 また一つ、賢くなってしまった。そんな顔をしながら、ぼりぼりと噛み砕いて飲み下す。


「ぬ……ぬぅ……ぬ、ぬ……」


 ヌメが次に手に取ったのは、両面に細かい文字が凝縮された大判の紙だった。眉を寄せて、ぐっと眉間に力を入れて凝視する。読める読めない以前に、文字を追う事自体が難儀に思える小さい字だった。


『海軍大勝利! 無敵戦艦、連戦連勝! 我が国の技術の粋を結集した無敵戦艦は、現代に新たな神話を齎そうとしている! 御伽噺でしか聞き及ばない必中の魔弾にて、敵艦隊は悉く打ち払われた! 五つの海で、最早敵なし! その快進撃、止まる所を知らず! 忌まわしき海蛞蝓に対しても、絶大な効果を確認! 超大型巣も鎧袖一触、流木が如く粉砕するであろう!』


 但し目立つ所には、大きな文字が並んでいる。見る者を鼓舞するような、主張の強い字体で書かれていた。感情を排して事実だけを羅列したような、整然と並ぶ小さな文字とは真逆である。


『艦長は我等が臣民の誇り、太洋海戦を勝利に導いた軍神――』


 むしゃむしゃふしゃふしゃくっしゃくしゃ。

 端から吸い込むように、活字の絨毯が飲み込まれていった。

 大変な事があったのですなぁ、そんな感じ入った顔でヌメは頬袋に紙を詰め込んだ。


 もしゃもしゃ頬袋を動かしながら、ヌメはまた一つ手に取る。それは接触画面だったが、操作を受け付けない。画面には一つの映像だけが映されており、文字らしき物が羅列されている。電子的に表記された文面を、ヌメは論文を眺めるようにむつかしい顔で読む。こちらも中々の分量があり、一層流し見が進んだ。


『――つー訳で、前線とはおさらばだよ。翌週からは、迎撃都市での文明生活だ。地獄の前線生活とはおさらば、清々すらぁ。そういや、知ってっか? ガイヲン級のパイロットと巫女は幼馴染らしいぞ……まぁ、どっかの馬鹿が流した法螺だろうけどな。ガイヲン級のパイロットといえば、平気で味方殺しするイカれた守銭奴と有名だ。あんな性根の腐った狂人と、聖人の巫女が昔馴染みなんて考えられねぇさ。眉唾も眉唾だよ。逢引を見たとかほざく奴もいたがよ。蛇と鼠がタップダンス踊るような話さ、信じられるかってんだ』


 一通り画面内の文字をなぞり終えると、ヌメはうむと肯き画面に歯を立てた。端からばりばりぼりぼりと、分厚い焼き菓子でも噛み砕くように接触画面を食いちぎる。物が物なので、尖った破片も出てくる。だがヌメは口内を傷付ける事無く、ぷくぷくと頬袋が歪に膨らむだけ。そうして頰に詰めたものを、ごりごりと噛み砕いた。


 次に彼女が手に取ったのは、古めかしい石板だった。

 その表面には、彫刻刀できりつけたような削り跡が無数についている。


『金神様は、母なる神。その慈悲深さ故に神として御身を捧げ、金神歴は始まった。金神様は我らを守る母鳥となり、我らに至上の楽土を与えたもうた。故に我らは外敵に脅える事無く、熟れる果実のように育っていったのだ。だが我らは恥知らずにも、金神様がかつて我らと同じ存在であり――心持つ神祖である事を忘れた。果実は、腐った。金神様と崇めながら、醜い争いの道具に貶め、単に利用してきたのだ。我らは金神様の子を僭称する。しかし金神様に、御子はいない。金神様は口が達者な寄生虫ではなく、真なる御子を求めておられるのだ』


 その隅は不自然に砕けており、文字は途中で終わっていた。それも赤黒く染まっている。乾いた血のような見た目だが、ヌメは大して気にしない。そういう物は、ここに幾らでも流れ着くからだ。それよりも、彼女は気になる事がある。


『我等が滅ぶ時、金神様は解放される。寄生虫の檻から、自由なる空へ飛び立つのだ。その時こそ、金神様はまことの御子をその腕に抱かれる。金神様が旅立つ為、今こそ我らは身を捧げねばならぬのだ。金神様万歳、穢れた地虫共に滅びあ――』


 これもしかしたら単なる文字っぽい柄だったんじゃないかしらんと、じっと見ていたヌメは思い始めた。そして釈然としなさそうな顔で、ぽりぽりと石板を齧っていく。ヌメは誰もいないと解っているにも関わらず、ついつい周囲をちらりちらりと確認する。流石のヌメも、単なる柄を凝視して肯く姿は見られたくなかった。


 ヌメは口直しとばかりに、新たな記録媒体を手に取り――首を傾げた。

 初めて触ったのに、それは妙に指先に馴染んだ。人肌のようでもあり、セラミックのようでもある。不思議な材質で出来た板だった。そこには非常に複雑かつ煩雑な文字が、簡素に並んでいる。ヌメはこれも図柄かと考えるも、何となく文字な気がした。どこか知っているような気が、しないでもない。なんとも不思議な気持ちにさせられる文字だった。


『――アレは間違いなく、無限の進化を遂げる。理論的に、完成されてしまった無尽なのだ。決して壊れ滅びる事はなく、誰にも止められない。そこに最早、定命の我等が介在する余地すらない。引金を引く者すら必要としない兵器など、災害に他ならない。それが世界の興亡を左右するともなれば、すなわち神である。機械仕掛けの神を作って、歯車で動く天に裁かれるおつもりか?』


 ヌメは印刷された字列を、神妙に眺める。書かれていることの重大さを感じ取っているかのように。だが彼女には、その意味がわからない。たとえ森羅万象を記した神の叡智であろうと、理解する事はできないのだ。


『私は計画の中止を、強く進言する。VX級建造は断じて――』


 いたいけな乳歯が、ばきりと神智を噛み潰した。

 ぼりぼり、ばりばりと、粉々になるまで咀嚼する。

 そしてごくんとのみこみ、ぼっと炎の翼を頭ではばたかせた。


 そうして、ヌメは小休止を終える。しかしもう少しご褒美ほしいなと、そんな欲求がヌメの胸中で鎌首を擡げる。小休止とはいえ、やっている事は仕事の一環である。改めて休憩しても問題ないはずだ、そう理論武装する。もう彼女の頭の中には、ハリアーが放ってくれる青い飴玉の事しかない。頭の翼から漏れる炎が、一層明るくうねった。


「ぬっ♪」


 ヌメは小さな翼で仕事場から飛び立ち、ハリアーの下へと向かう。

 飴玉遊びを一杯して、甘く気持ちよく褒めてもらうために。

 ダストシュートをよじ登ろうとするヌメを、黒龍と黒水は見送る。

 ただただ、黒々と。そのあどけない背中が消えるまで、鏡のように見つめ続けた。


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インヴェーダーゲーム:謎SF施設で謎モン娘と暮らし、謎超兵器で無双する生活 山道巳己 @sandohgoh

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