白の日 後編



 竹生島ちくぶしま


 琵琶湖で有名な観光地の一つ。


 パワースポットとして有名なこの島には。

 宝厳寺ほうごんじ都久夫須麻神社つくぶすまじんじゃなどが鎮座し。


 実に霊験あらたかな島なのである。


「い、一個くらいとってもバレそうにない……」

「よく見ろ。どんだけの目が犯行を目撃してると思ってんだ」


 宝厳寺は、ダルマ寺と呼ばれるらしく。

 願い事を書いた紙を中に詰めたダルマを奉納するとそれが叶うって話なんだが。


「に、人間の欲……、とは」

「すんげえ並んでるな」


 ずらり並んだダルマが、パッと見た範囲だけでも百個以上。

 これ、ここに奉納されてる以外にも山ほどあるんだろ?


「これ全部、お願い、叶うのかな……」

「さあな。でもこれだけあったら、神様も願い事読むだけで就業時間越えちまうと思う」

「叶えて歩く分は、残業?」

「天界、まさかのブラック企業説」


 自分も乗っておいて。

 神様の前でそういう冗談はダメと俺を叱る秋乃は。


 竹生島に来てから、最初はテンション高めだったんだが。


 段々、なにか考え事を初めて。

 口数が減って来てる。



 ……俺は。


 矛盾してるな。



 秋乃に、みんなと楽しんでもらいたいって願ってたくせに。


 そんな時間を奪っちまったなんて。



 さて、ここまでしたんだ。

 秋乃が抱える矛盾。


 何とかそいつに。

 答えを出してやらねえと。


 でも、実はまだ。

 なんも思い付いてねえ。



 お互い様の似た者同士。

 秋乃も、俺が自分と同じ命題に挑んでいることを悟ったんだろう。


 仮面の笑顔を浮かべて。

 俺に問いかけて来た。


「なにか、願い事ある……、の?」

「あるにはあるが、ダルマにお願いするようなもんじゃねえ」


 だって。


「……頼むんなら、お前に、だから」

「え?」

「お前の願い事を聞かせろ」



 何かのヒントになるのかも。

 そう思って、正直に口にした、俺の願い。


 秋乃は、仮面で隠しきれない不安と悲しさを頬ににじませながら。


 弱くため息をついて。

 諦めの色を浮かべた視線を向けて来た。


「願い事……」

「そうだ」

「あの……、ね? 私、願い事が二つあって」

「うん」

「それぞれが、否定し合ってるの」


 やっぱり。

 それって。


「それ、さ。今回の旅行に関係ある?」


 秋乃は、俺の問いかけに返事もせず。

 背を向けて、弱い足取りで歩き出す。


 崖に沿って立てられた手すりに手を置いて石の階段を上り。


 肯定を示す横顔を。

 風に吹かせた髪から覗かせた。



 ……今回の旅行。

 秋乃が仕組んだサプライズ。


 それは。

 いつも俺から見える秋乃の左の顔。


 みんなに楽しんで欲しい。

 そんな思いから生まれたものだ。



 でも、いつも隠している右の顔には。

 しっかりと書いてある。


 自分も楽しみたいっていう。

 誰もが抱く、当たり前の思い。



 どちらも秋乃で。

 それぞれがお互いを否定し合う。



 だったら……。


 どっちもなくなればいい?



 湖上高く。

 空を滑る真っ白なダイサギ。


 松の緑に青い風。


 急な石段は時間の流れを停滞させて。

 目に入る色彩をゆっくり変化させながら。


 俺たちを、見渡しのいい断崖に連れて来た。


「あ。すごい……」


 前を歩いていた秋乃が、手すり越しに湖面を見下ろすその先に。

 琵琶湖に突き出したところに鳥居が建っているのが見えた。


 携帯で検索してみると……。


「宮崎鳥居だって。……へえ。かわらけ投げだってさ」

「かわらけ?」

「お皿投げて、あそこ通すんだ」

「すご……! 見せて! 見せて!」


 こら、携帯取るんじゃねえよ。

 でもほんとにおもしろそうだな。


 こいつはやらない手はねえ。


「あの鳥居を通す、世界選手権もある……、みたい」

「へえ、世界せん……? 世界???」

「世界」


 会場、ここしかねえのに。

 世界選手権って。


 ようやく重苦しかった空気が消える話を聞いて。

 顔を見合わせて笑い合うと。


 肩の力が。

 なんだかストンと落ちた。


「んと……。この先にある竜神拝所ってところから、あそこに投げるんだって」

「よし。是非やろう今やろう」

「うん。見たい見たい」

「…………ん?」

「なに?」


 随分ウキウキしてるけど。

 なんかおかしくね?


「お前、さっきも言ってたけど」

「欧風が好きって?」

「巻き戻ったな随分! そうじゃなくて、見せてって」

「うん」

「お前はやらねえのかよ」


 俺にとってはもの凄い違和感。

 そんな指摘に、秋乃は目を上に向けると。


 わたわたしながら黒目を右左。


「ワイパーか」

「あ、あのね? 私、絶対通らない……」

「そんなのやってみなきゃ分かんねえだろ」

「ううん? だって、私、球技系、アリさんクラス……」


 言いてえことは分かるが他に表現無かったのかよ。


 でも、さっきの船ジャンプに始まった事じゃねえ。

 こいつの性分は、なんでもかんでもやってみたガール。


 できそうにねえからって。

 チャレンジしねえわけはねえ。


「なんで頑なに嫌がる」


 しつこく聞いてみたら。

 さすがに観念したのか。


 秋乃は。

 仮面の微笑で答えを教えてくれた。




「だって、願い事が叶わないって知ったら。…………泣いちゃう」




 青い風が飛ばしてしまったのか。

 秋乃の瞳に見えない涙。


 ああ。


 なるほど。

 そうか。

 そういうことか。



 …………やっぱり。

 お前のお願いを邪魔していたやつの正体は。



 お前自身じゃねえか!!!



「全部わかったぞ!!!」

「ふぇっ!?」

「まずは左側、消えろ!!!」

「……な、なんの左?」

「その後で右側もぶっ壊してやる! そのために必要なのは……」

「ひ、必要なのは?」

「一万円!!!!!」


 一瞬期待顔してたくせに。

 なんだそのダルマみてえな目!


 お前を笑顔にさせるために使うって宣言してたんだ!

 借りてた一万円、ここで使わずしてどうする!


 俺は秋乃を追い抜いて。

 竜神拝所へ駈け込むと。


「お姉さん! これ! いくら!」

「うわっ!? よ、四百円です……」

「四百円で一枚か!」

「に、二枚です。一枚にご芳名を書いていただき、もう一枚に願い事を……」

「五十枚くれ!」


 どんと叩きつけた一万円。

 さすがにお姉さんもドン引きしてるけど。


「え、ええと、ほんとによろしいのですか……?」

「いいから持って来い! こいつの球技の腕前舐めんな! 五十枚あっても通るかどうかわからないミジンコさんクラスいてててて耳はやめい!」

「ひ、ひどい……。せめてアリさん……」

「酷いって言うなら一枚くらい通せよな! ほれ、お皿五十枚だ!」


 がしゃりと抱えた大量のお皿。

 こいつを前にして、秋乃は躊躇してやがるが。


「お前なあ……。もう買っちまったんだ、遠慮するこたねえ」

「でも……」


 ええい、邪魔すんな左側の秋乃!

 とっとと出て来い右の方!!!


「やかましい! 正直に言え!」

「や、やってみたい……!」



 おお。

 いつものやってみたガール。


 そう。

 そのキラキラした目。


 やっとお目覚めか?



「よし! やるぞ!」

「うん!」

「ガンガン投げまくるぞ!」

「うん!」

「いいぞ! じゃあ最初の一枚目!」

「あ、願い事書かないと……」

「パッショーーーーン!!!」


 俺の叫び声に口あんぐりさせて驚いてんじゃねえ!

 俺の方がびっくりだわ!


「情熱消すなわざわざ! どうせ通らねえんだ、最初は書かずに練習しろ!」

「は……、はい! コーチ!」

「だれがコーチやねん!」

「えい!」

「びっくりするほど下手ああああ!」

「ふにい」

「次! もっと手首のスナップ効かせて!」

「はい! 監督!」

「だれが監督やねん!」

「えい!」


 悪いところを指摘しながら。

 何度も修正しながら。


 もはや、なにが目的なのか分からなくなりながら。


 でも、だんだん楽しくなって大笑いしながら。


 とうとう鳥居のそばまで皿が飛ぶようになったころには。


 山のように積まれた皿は、三枚を残すだけになっていた。


「て、提督……。あと、三枚しか……」

「三枚って思うな! それが最後の一枚だと思って投げろ!」

「はい!」

「あと、だれが提督やねん!」

「えい! ……おっ!?」

「行った! あ、いや……」


 秋乃の放った皿は。

 真っすぐ鳥居を目指して一直線。


 でも、ちょっと強さが足りないか。

 失速して、落下し始める…………。



 ぱくっ



「……へ?」

「よしナイスキャッチ! でかした、鳥!」


 通りかかったダイサギが。

 落ちかけた皿を咥えて鳥居の上へ。


「ちょ、ちょ……」

「そのまま鳥居くぐれ! あ、放しちゃダメだって!」


 そのまま、ペッと吐き出して。

 再び空へ去っていく。


「微妙な位置! 越えたか? 越えてるか!?」

「そ、それより今の衝撃映像……」

「ギリ通ってるだろ!」

「それどころじゃないと思……」

「ほら見ろ! 半分! 半分通ってる!」

「あ……」

「やったぞ! 願い事叶う!」

「た、立哉君、大変!」

「どうした!」

「願い事書いてない!」

「うはははははははははははは!!!」


 ばかーん!

 こんなとこで面白ネタはどうだっていいんだよ!


 でも、やっぱ無理だったかな。

 お前が手にした四十九枚目も、きっと通らねえだろ。


 ほんとは自力で何とかしてもらいたかったんだが……。


「しょうがねえな。俺があそこ通すの見せてやるよ」

「うん……」

「あれ? 急にテンション下がったな」

「その……。ありがと、ね?」


 今までさんざん楽しんでたのに。

 急に振出しに戻っちめえやんの。


 ああ、なるほど。

 願いが叶わないって分かるのが。


 悲しいとか言ってたからな。



 このやろう。

 俺を舐めんなよ?



「じゃあ、願い事書くか」

「た、立哉君の願い事……?」

「当たり前だ。この一枚は俺のだ。ぜってえやらねえ」

「う、うん……」

「ここんとこ散々腹が立ってたんだ。絶対この願い叶えてくれる」


 俺が、ペンを握って。

 皿に願い事を書いていくと。


 秋乃は、ちらちらそれを覗き見ていたんだが。

 最後には、目を見開いたまま固まった。


 秋乃が、妙なことで。

 心が苦しくならないために。


 必要なのは。


 これだ!





 秋乃のアイデンティティーが全部なくなっちまいますように





「俺は、ここんとこずっと個性を探し続けて来たんだ」


 皿を持たずに素振りしとこ。

 こんな感じか?


「それが、見つかったのは部活探検だけ? そんな答えじゃ納得いかねえ。お前ばっかいくつもアイデンティティー持ってやがって。腹立つ」


 回転より初速重視だよな。

 肩口から投げっかな。


「だから、そんなアイデンティティーをずっと無しにしてやる」


 いや、変な変化かかるとまずいか。

 水平に……。


「お前は白く生まれ変われ。一旦リセット。まずはふりだしに戻れ」


 よし。

 そんじゃ行ってみるか。


「そっからがポイントだ。お前は俺の願いによって、なーんも個性の無い平均ガールになるんだ」



 秋乃が先に投げようが、入らねえに決まってる。

 皿を掴んで、ちょっと深呼吸。


 これが入らねえと。

 秋乃はぐだぐだ悩んだままだろうし。



 ぜってえいれねえと。



 でも、極限まで集中した俺に。

 邪魔が入る。


「私が、私じゃなくなる?」

「邪魔すんなよ。まずは一旦リセット。でもその後が重要で……」

「戻っても……、いいの?」

「戻るのは誰でもできるだろうが、なに言ってんの? 問題なのは、お前が結局、いらんアイデンティティーをいくつも抱えることだろがよ」


 ええい、説明聞け。

 お前はきけ子か。




「ほ……。ほんとに戻っても! いいの!?」




 うわびっくり!

 急にどうした!?


「なにその大声。…………なに泣いてんのお前!?」


 呆然と。

 俺を見つめて。


 まるで子供のように。

 ぽろぽろと涙を零す秋乃は。



 その空色の雫と共に。

 手にした皿を。

 取り落とす。



 戻るって言葉に。

 一体、何の意味があったんだろう。


 でも、その涙は。

 きっと嬉しい涙なんだろう。


 だって。


 パリンと。

 何かが割れる音が聞こえたかと思うと。


 秋乃が。

 とびっきりの笑顔を見せていてくれたから。


「……新しい私は、ちゃんとみんなの笑顔で嬉しくなる?」

「知らねえよ。でもお前にそんな感情はやらねえ。この皿で獲得でき無くしてやる。じゃまじゃま」

「それなのに、新しい私は、わがまま言ってもいい?」

「だから自分で決めろよ。でも、そう思わねえ無個性ガールにしてやるって言ってるだろ」


 なんなんだよ。

 ぼろぼろ泣きっぱなしで。


 一体、何がそんなに刺さったの?


「なんなんだよさっきから。そんなの自分で決めればいいだろうが」

「うん……」

「勝手に生まれ変われ」

「うん……!」

「そんで、お前が誰かのためばっか考えねえようにしてやる」

「ううん? みんなのためなあたしも、持って行く!」

「はあ!?」

「それで! やりたいことを言ってもいいあたしになる!」

「ちょっと待てお前!!!」


 いやいや、それじゃおかしいだろ!


「なんで!? 俺が言いてえのは、こうなりてえとか決めねえで、できるだけ無個性な……」

「やだ! これはダメって、自分に言わないあたしになる!」

「ちょ……、いや……」

「なる!! ……そうなんだ。戻って、良かったんだ……、ね?」


 なんなんだよ。

 俺は、それじゃダメだって言ってるんだ。


 勝手に何かに気が付いて。

 ぼろぼろ泣いて喜んでっけど。


「ええい! 俺の願い、届け!」

「あ! ダメ! 絶対入るな!!!」


 結局、俺が何かをしてやった実感はねえが。

 秋乃はやたら喜んでるが。


 この願いだけは間違いなく叶えてみせる!


 俺が気負いを込めて投げた願いは。

 秋乃が晴れやかな笑顔で見つめる先で。


 寸分違わず鳥居へ向かって……。




 サギがキャッチ。




 そのまますげえ遠くの湖面にポイ。




「なあああああああああああああああ!?」

「あははははははははははははははははははははは!!! て、天丼……!!! あはははははははははははははは!!!」



 おいおいおい!

 それじゃダメだろ!?



「ちょ……! い、今のはねえだろ!」

「あはははははははははははは!!!」

「笑い過ぎだぞお前! もう一回……? うおっ!? 三百円しか残ってねえ!」

「あはははははははははははは!!!」

「ああもう……っ!」


 やれやれ。

 とんだオチだ。


 でもまあ。


 お前の、くっしゃくしゃな。

 無様な笑い顔拝めたから。


 良しとするか。


「ちきしょう。……でも、なんか自分で解決できたみたいだな」

「ううん? ……、立哉君のおかげで救われたんだよ?」

「はぁ?」

「あたし、戻れたんだよ?」


 なに言ってんだよ。

 戻れたって繰り返してっけど。


 なにそれ?


「じゃあテスト。今度旅行する時はどうすんだ」

「また、フィールドゲーム作る?」

「そん時お前は?」

「みんなと一緒に遊べるように作る」

「…………ああ。そんじゃ、いいか」

「うん!」


 結局俺は何もしてねえってのに。

 俺のおかげとか言ってくれるのは。


 そうか、分かった。

 お前のアイデンティティーってわけか。


 結局他人に気ぃ使ってんじゃねえか。


「またここに一緒に来ようぜ。その時こそ、お前の派手なアイデンティティー、根こそぎ消してやる」

「…………そんなあたしが、スキ……、なの?」

「ス……!? あ、いや、まあ、どうなんだろ」


 思いがけない単語が出て来て。

 うろたえちまったが。


 まあ、確かに。

 俺は、何と言うか。


 秋乃らしい秋乃の方が。

 好きな気がする。




 …………だったら。

 元のままの方がいいんじゃね?




 壮大な琵琶湖の景色が。

 徐々に木々の中へ消えていく。


 それと共に。

 秒針が、元の速さで回り始めた。


 頬を撫でたあたたかな春風。

 飴色の髪をなびかせた秋乃。


 そんな想い人が。

 思い立ったように。


 髪をいろんな形にいじりだす。


「……春姫の時もそう。立哉君が変えてくれる……、ね?」


 そして。

 よく聞き取れないつぶやきと共に。


 髪を両脇で掴んで振り向くと。



 秋乃は。

 仮面なんかどこにもない。

 素顔のままで。


 にっこり微笑みながら。


 俺に、こう言ったんだ。



「立哉君は、どんなあたしがいい?」





 秋乃は立哉を笑わせたい 第11.5笑


 =プリンセス・ハイドアンドシーク=



 おしまい♪

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秋乃は立哉を笑わせたい 第11.5笑 ~プリンセス・ハイドアンドシーク~ 如月 仁成 @hitomi_aki

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