第4話

※※※


「ぅぐへうッ」

 うめき声を上げてその場に崩れ落ちるエルフィオネを、「魔王さまっ!?」と慌ててミアンが抱き起す。


「大丈夫ですか魔王さまっ?」

「大丈夫もなにも……なんだこの飯はっ!? いや、飯なのかこれはっ?」

 そう、エルフィオネが指し示したのは、長い間使われていなかった食堂のテーブルに並べられたパイだった。


「る、ルグスの実のパイですが……」

「これがかっ!?」

 ぐちゃりと潰れてのせられた実は真っ黒で、口の中に苦みが広がる。その割に生地は生っぽく、その上ぼそぼそとしており、思わずうめき声を上げてしまう絶妙な不味さだ。


 それにしてもエルフィオネが作ったゴーレムが、こんな味付けのものを作ること自体がおかしい。もしや、とミアンを見ると、白い肌であるはずの顔が、紅潮していた。


「……もしかして、貴様がこれを作ったのか?」

「す、すみません……見よう見まねで作っては見たのですが……」


 恥ずかしそうに言われたところで、目の前のパイの味が変わるわけでもない。エルフィオネは深々とため息をついた。


「なんのためにわざわざゴーレムを作ったと思っている。奴は見た目こそ悪いが、料理など一通りのことはこなせるようチューニングしてある」

「い、いえ。その。単にわたくしが……魔王さまに、作って差し上げたかっただけで……失敗でしたが……」

 顔を赤くしたまま、ミアンの目がうるうるとし始める。


(勘弁してくれ。慰めなんぞできんぞ)

 これだから、誰かと暮らすというのはほとほと面倒なのだ。結局かける言葉も思いつかず、目の前のパイをもう一口食べて「うぐぅ」とうめき声を上げる。


「あの……そんな、ご無理なさらず」

「別に貴様のために食っているわけではない。我に課せられた『縛り』だ」

「縛り……?」

「そうだ。我はこのパイを食うと宣言した。宣言や約束したことは実行しなければならない。我の意思に関わらず」

「……そうなのですか」

 戸惑ったように、ミアンが頷く。


「もし、破ればどうなるのですか?」

「どうもならん。ただ、我の魂の価値が損なわれる」

「魂の価値……?」

「貴様には関係のないことだ」


 おえっ、となりながら最後の一口をなんとか体内に押し込むと、エルフィオネは立ち上がった。


「次は、せめて味見くらいしてから出せ」

 諫言として言ったつもりだったが、ミアンはなにを勘違いしたのか表情を明るくした。「はいっ!」と返事まで明るい。

 それ以上、なにを言うべきかも思いつかず、エルフィオネは足早に食堂を出た。


(わけの分からん人間だ)

 魔王の嫁になど、なりたくてなったわけでもあるまいに。

(いや――違うのか?)


 そう言えば、あのときミアンは自ら名乗り出てきた。単に「盟約を破ったことにより、魔王が国に仇なすことを防ぐため、自分を犠牲にした」のだと思っていたのだが。


 単に、前向きな娘なのか。

 それとも、なにか狙いがあってのことなのか。


「……なんにせよ、おまえが望んだようにはいかんぞ。アウルフ」


 聞く者のない呟きは、薄暗い廊下に溶けて消えた。



※※※



「おはようございます、魔王さま」

 部屋を出た途端、にっこりとした笑顔に迎えられて、エルフィオネは固まった。


 いくらかシンプルではあるものの、ミアンは昨日とは違うドレスをまとっている。エルフィオネの視線に気がついたのだろう――笑みを深くし、ぴらりとスカート部分の裾を持ち上げて見せてきさえする。


「さっそく昨晩、ゴーレムさんに手伝っていただき、夜なべして作ったのです」

「……そうか」


 他に言うべき言葉も思いつかず、頷いてさっと避けるように廊下を歩き出す。その後ろを、とてとてと足音がついてくる。


「……なぜついてくる」

「今日は、なにをなされるご予定なのです?」

「なにもすることなどない」


 きっぱりと言い切ると、エルフィオネはくるりと振り返った。

「この城では予定などない。退屈なら己で紛らわせ。我を巻き込むな。嫌ならさっさと国へ帰れ」


 すべてを口早に言うと、ミアンはしばらく目を大きく開いてこちらを見ていた。エルフィオネは挑むような心地でその目をにらみ返していたが、ややするとミアンの肩からふっと力が抜けるのが見て取れた。


「……分かりました」

 そのまま、くるりと背を向け歩き出す。とぼとぼと遠ざかっていく背中を見て、エルフィオネはようやく人心地がついた。


(ようやく帰る気になったか……? 少なくとも、しばらくは静かだろう)


 再び歩き出して中庭に出ると、エルフィオネは懐から黒い小石を取り出した。それを空中に放ると、一瞬黒く輝き、三本脚の鴉へと変じる。


「――行ってこい」

 鴉はそれだけで理解したようで、高く舞い上がると、そのまま遠くへと飛んで行った。それを見やりながら、ため息をついてそこらの石に腰掛ける。


「……疲れたな」

 思わずそう声に出してしまう程には、気持ちが参っていた。


 ミアンのことだけではない。もうずっと昔から、疲れは蓄積していた。フードに隠れた自分の頬に触れながら、そっと目を閉じる。


(魂の価値……か。そんなもの、とうにどうでも良いはずなのにな)

 それでも己を約定で縛り続けるのは、そうしなければ心がもたないからだ。約定に縛られているのだと思い込まなければ――古い大切な約束まで、投げ出したくなってしまうからだ。


「アウルフよ……昨日からやたらと、お前の声が耳にちらつく。本当に腹が立つなぁ」

「――エルフィオネさま」


 不意に声をかけられ、反射的にびくりと肩が上がった。バッと振り返ると、どこから掘り出してきたのかカゴを持ったミアンがにこにこしながら立っていた。


「……なんだ」

「今日はご予定がないということなので、ピクニックでもいたしませんか?」

「ピクニック……?」


 もう何百年も縁のなかった単語に、頭の中が疑問符だらけになる。

「ピクニック、ご存じありません? えぇっと、草花や景色を愛でながら歩いたり、お弁当を食べたりするんです」

「いや、あぁ……うん、そうだな」

 ようやく単語を飲み込めたような気がして、一つ頷く――が。


「なぜそんなことをする」

「なぜって。楽しいかと思いまして」

 至極当然のように、ミアンが答える。ポン、とカゴを叩いて。


「サンドイッチに果物とお茶も入っています。おでかけしましょう」

「我は飯を食わんと言ったはずだぞ」

「えぇ。なので、ちゃんとルグスの実のパイを焼いてきました」

 また一つ、ポンとカゴを叩くミアン。微笑みが、やたらと圧を放っている。


「このパイは、食べてくださるお約束でしょう?」

「………」

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魔王と姫君♂ 綾坂キョウ @Ayasakakyo

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