第3話

※※※


(――エルフ)

 それは、懐かしい声だった。

 遠く遠く。記憶の奥底に追いやっていた、懐かしい声。


(エルフ、来い。お前は世界を見るべきだ)

(俺がお前に、世界をくれてやる)


「……あの、アホが……」

 これだけ時間が過ぎ去ったというのに。思い出しただけで、この心を蝕むあの声が。瞳が。ひねりつぶしてやりたいほどに憎たらしい。


「――魔王さま」

 扉の向こうから聞こえてくる声とノックが、内へ内へと入ろうとしていたエルフィオネの心を現実へと掬い上げる。舌打ちをし、フードを深く被り直すと、「なんだ」と細く扉を開けた。


「部屋には来るなと言ったはずだが」

「えぇ。ですが、その」

 姫――ミアンは少しだけもじもじしつつ、恥ずかし気に言葉を続けた。

「食事、なのですが」

「あぁ……」


 すっかり忘れていたな、と思いながら頭を掻く。そう言えば、人間は定期的に食事を必要とする生き物だった。

「そうだな……では、ゴーレムでも造るか」

「ゴーレム……?」

「あぁ。まぁ、召使のようなものだ」


 すっと部屋から出て、中庭へと向かう。トタトタと、ミアンの足音がついてくる。

 中庭と言っても殺風景なもので、いくらかの植物の他には、ゴロリと石がいくつも転がっているだけだ。そのうちのいくつかを集め置いて、それを中心にして枝で魔法陣を描く。


「あの……これは」

「周囲の魔素を集め、石に仮の命を吹き込む。簡単な命令なら問題なく聞く」

 エルフィオネが文言を唱え始めると、石の置かれた魔法陣が淡く光り出した。その光は石へと移り、発光する石ががちゃがちゃと勝手に動き出すと、ミアンが「ひゃっ」と小さく声を上げた。


 石は組み合わさり、人のような形となる。いびつな人形になったそれは、むくりと起き上がると、ミアンに対して深々と一礼した。


「これがゴーレムだ。貴様を主人に設定したから、必要に応じて命令しろ。料理や、そうだな……衣服なども、こいつに作らせれば良い」

 着の身着のままで連れてきてしまったため、ミアンはなにも私物を持っていないはずだ。案の定、表情が和らぐ。


「衣服まで! それは……嬉しいです。あの、デザインなどもこちらで指定すれば、作れたりするのですか?」

「あぁ。布地があればだがな……先ほど案内した武具庫の中に、いくらか布地も収められていたはずだ。好きに使え」

「わぁ……ありがとうございます!」


 それは、この数時間の中で初めて見せる笑顔だった。

「そんなに、衣服が好きなのか」

「はい。衣服をデザインしたり、それを身にまとったりするのは好きで……父上や兄上には、それでいつも呆れられていましたが」


 確かに、衣服のデザインまでするのであれば、それは一国の姫がすることではないのかもしれない。それは、仕立て屋の仕事だ。


「だが、服はすべて城に置いてきただろう。さぞや心残りだろうな」

 そのために帰ると言い出さないだろうか。ひそかに期待を込めて訊ねたが、ミアンは左右に首を振った。そっと、自分の身体をなでる。


「わたくしの集めた服は、ほとんど父上に燃やされてしまって。わたしの手元に残っているのは、この服だけだったのです」

「ふぅん……」

 国王が娘の衣服を燃やすなど。よほど奇抜な服装を好んだのだろうか。それも、身分にそぐわないような。だが、そういうタイプにも見えない。


「わたくしにとって、こういったドレスは自分に胸を張るための――そういった、一種の武具なのです」

「……ふぅん」

 よく分からないな、と自分の被るフードを引っ張る。衣服で自信が持てるようになるなど、元よりミアンの見目が優れているからだろう。なんにせよ、能天気なことだ。もしかしたら父王がドレスを燃やしたというのも、衣服に傾倒しすぎ、豪遊でもしたことに腹を立てたのかもしれない。


(そういったタイプには見えなかったが……出会って数時間で、真の中身が分かるわけでもあるまい)

 なんにせよ、近いうちに追い出すべき相手なのだから、どうだって良いことだ。


「では、後は好きにしろ」

「あの」

 まだなにか用か――そう、めんどくさく思いながらも振り返ると、ミアンがうかがうような目で続けた。


「魔王さまは、お食事は?」

「我は、魔素を取り込めば十分だ。人間のような食事など不要だ」

「食べられない分けでは、ないのですか?」

「……まぁな」


 ただ、不要だ。不要なことはしない。それだけの話だ。

 だが、ミアンはそれを聞くなり嬉しそうにポン、と手を叩いた。


「では、一緒に夕食をとりましょう!」

「いや、我は」

「魔王さまは、なにがお好きですか?」

 やたら楽し気に話しかけてくるミアンを、「はっ」と鼻で笑う。本当に、この娘は分かっていない。自分が嫁いだのが、魔王だということを。


「もし、処女の生き血が好物だとでも言ったら、どうするつもりだ」

 エルフィオネの問いかけに、ミアンがはたと動きを止める。「えっと」と少し首を傾げたかと思うと、自分の細く白い首元を指し示してきた。


「わたくしのものでしたら……」

「……阿呆か」

 急に白けた気分になって、エルフィオネはスタスタと歩き出した。


「あの、魔王さま」

「人間の食うような飯の中で我が唯一食えるのは、ルグスの実のパイだ。他のものは食わん」

「ルグスの実……? わたくしも好きです。城の庭に植えてあって、幼い頃にはよくつまみ食いを兄上たちと。あぁ、思い出すと口の中が甘酸っぱく」

「実なら、その辺の木に成っている。ゴーレムにでも命じて取れば良い」

「はい! あの、魔王さま」


 後ろからまたついてくる足音にうんざりしながら、「なんだ」と顔だけ向けると、ミアンがパッと頭を下げた。


「いろいろと、ありがとうございました!」

 にこりと微笑むその顔を見て、思わず眉が寄る。返事もせずにまた、城内の薄暗い廊下を一人歩き出し、ぼそりと呟いた。


「本当に――バカバカしい」

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