第2話
※※※
大陸南端に広がる瘴気の森--その最奥に、魔王の城はあった。駐ドラゴン場としている中庭にエルフィオネは降り立つと、「ふぅ」と息をついた。
(参ったな……)
ついうっかり、その場のノリで姫をもらい受けてしまったが。
正直、こんな予定ではなかったのだ。
(取り敢えず盟約を果たさぬわけにはいかないから、行くには行ったが……事前情報だと、本当に姫はいないはずだったんだがなぁ)
ちらりと後ろを見ると、当の姫がドラゴンからよいせと降りてきたところだった。目が合いそうになり、エルフィオネの方からさっとそらす。
「――城の中は好きに使え。我が部屋にのみ立ち入らなければ、自由を許す」
「随分、寛大なのですね。魔王さま」
声だけでも、十分に美しい。その美しさを避けるように、エルフィオネはフードを深く被り直した。
「そなたは、我が花嫁だからな。好きにするが良い」
そのまま、返事が聞こえてくる前にスタスタと歩き出す。
城の中には、武具でもなんでもそろっている。それらを使い、すぐにでもこちらを襲いにくればしめたものだ。「欠陥品」として、国に送り返す口実となる。
(こちとら、何百年引きこもっていると思う。どう考えたって無理だろう。嫁をもらって共に暮らすなんぞ)
魔王城には、魔王たるエルフィオネしか住んでいない。かれこれ三百年ほど、気ままなお独りさま生活だ。
幸い、姫にとってエルフィオネは人間の敵である魔王であり、志願こそしたものの、それは自国を想っての断腸の決断によるものだったのだろう。あのときの様子を見る限り、気高く、勇気ある姫のようだ。本当の意味でエルフィオネの「妻」となるくらいなら、こちらを襲ってくるくらいのことはしそうだ。
(まったく面倒な……あのとき、あんな口約束をするのではなかった!)
「――あの」
パシッと腕をつかまれ、はっとする。
(もう襲ってきたか!?)
ばさりとローブをひるがえし、腕を払いつつ振り返る。
「武器でも隠し持って来たのか? 良い覚悟だ。だが、夫となる者を襲うような不届きな嫁は――」
嬉々として語り始めた言葉は、「いいえ」と続けられた言葉で、あっさりと否定された。
「あまりにも、広いお城ですから。よろしければ、案内していただけませんか?」
面倒だ、とか。勝手にうろつけ、だとか。拒否の言葉が瞬時にいくつも頭によぎったが。エメラルド色の目で真っすぐに見つめられていると、なぜかそれらの言葉はのどにつかえてしまった。
「……ついてこい」
結局、ため息と共にそう呟き、再び歩き出す。姫は、後ろから静かについてきているようだった。
「確かに広い城ではあるが――実際に使っている部屋は、そう多くない」
なにせ、住んでいるのはエルフィオネ一人だ。広すぎる城を持て余しているのが実情だ。
「部屋は、それこそいくらでもあるから、好きな部屋を居室として使えば良い。ただ、最初は掃除からせねばならんだろうがな。それが嫌なら帰れ。それと、武具庫が地下にある。貴様でも扱いやすそうな短剣や魔法具などもある。鍵はかかっていない」
「別に、掃除は苦でありませんし、武器を使用する予定もありませんが」
言いかけた姫が、ハッとした表情を見せる。
「もしや、魔王さまを狙った冒険者などがここまで……?」
「あ、いや。最近はそういうのもないな、うん」
思わずスッと答えてしまい、慌てて口を閉じる。危ない危ない。あくまで自分は魔王なのだ。人間の前ではそれっぽくせねば。
姫は特に気にした様子もなく頷くと、周囲をきょろきょろと見回した。
「ほかの魔物、なども……いないのですね」
「……まぁな。不要なものは、ここには置かぬ」
言ってから、「これはなかなか良いフレーズなのでは?」と心の中で自画自賛する。こほん、と一つ咳払いをし。
「なればこそ、不要だと判断すれば貴様も――」
「では、魔王さまに不要な嫁だと判断されぬよう、わたくしも精進いたしますね」
さらりと先に言われてしまい、「う、うん」ともう一度咳払いをする。
(どういう意図だ? この娘――)
本来であれば、さっさと城に帰りたいだろうに。エルフィオネとしては、先から帰りやすいよう絶妙なパスを投げ続けているつもりなのに、まったく受け取ろうとしない。
(……相手が魔王とは言え、出戻りと揶揄されるのを恐れているのか? それとも、女だてらに我を本気で退治するつもりか)
どちらにせよ、自分から進んで戻る気がないのであれば、少し面倒だ。どうにかして、追い出す口実を作らねばならない。
「魔王さまのお部屋はどちらですか」
「我の部屋か。我の部屋は、本棟二階の最奥だ」
「では、わたくしはそのお隣を使わせていただきます」
そう言ってスタスタ歩いていく姫を、エルフィオネは「待て待て待てッ」と慌てて止める。
「なぜそうなるっ!? 部屋はいくらでもあると言っているだろうがッ」
「ですが、魔王さまの部屋はそちらなのでしょう?」
真っすぐな目で、姫が首を傾げた。エルフィオネはフードの中を覗き込まれる前にぐっと顎を引いたが、姫は気にした様子もなくそのまま続ける。
「わたくしは、魔王さまの妻として参りました。わたくしは夫婦として、魔王様のお傍にいたい」
「……っ」
なんと言い返せば良いのだろうか。邪魔なのだと、煩わしいのだと、そう言えば良いのだろうか。自分で連れてきておいて?
(本当に――やっかいな盟約だ!)
「好きにしろ」
結局それ以外に言えるわけもなく。エルフィオネはさっさとまた歩き出した。
(今日はもう疲れた。さっさと部屋に戻りたい……)
「あの」
「まだなにか用かっ!?」
思わず強い口調で訊ね返してしまったが、姫は顔色変えることなくエルフィオネを見ていた。
「名前を。わたくしはミアンと申します」
「……別に、名など必要ない」
「でもわたくしは。あなたに名前で呼ばれたいですし。あなたのことも、名前で呼びたい」
(――嫌な目だ)
じっとこちらを見つめてくる、湖面のように澄んだ瞳。こちらのすべてを映し出そうとしているかのような。
「……必要ないと、言っている」
そうとだけ答え、エルフィオネは足を速めた。足音はついてきたが、振り返ることはせず、逃げるように自分の部屋へと入り込んだ。
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