71 生きながらにして抉られる

 裁判所内はハチの巣をつついたような騒ぎとなった。

 この証拠だけで、ジャーリニーの有罪が確定するだろう。

 傍聴席のど真ん中で、ガウリヤ夫人はとてもリラックスした様子で座り、左右のお付きの侍女たちが石像のごとくにらみを利かせて突っ立っている。

 ヴァルナは木槌を叩き、皆を黙らせた。


 「血統詐欺は重罪である」


 重々しく宣言する。


 「その他の罪状は?」


 わたしの後ろに座っている衛兵が立ち上がった。


 「おれたち18区所属の警備兵です。

 先日の火事で、同僚や署長が亡くなりましたが、それは被告人の仕業です」


 「証拠は?」


 「おれが持ってます」


 アジャンが立ち上がり、記録水晶を裁判役員に手渡す。

 役員は皆に見せるように、映像を公開した。

 再び収拾がつかなくなるほどの動揺が広がる。

 これにはさすがのヴァルナもこめかみを抑えている。


 「裁判長、これはどうしたことでしょう?」


 裁判補佐の役員が、映像の一点を指さした。

 燃え上がる衛兵詰所から立ち去るジャーリニー。

 その後ろに影のごとく付き従う、黒衣の小柄な人物。

 

 「影からおん出て、こちらの男性――アジャンを刺したようですが?

 我ら天界諸種族で、かような邪法を扱う者はいますまい」


 ヴァルナの青い目は絶対零度の冷たさを帯びた。


 「被告人!」


 木槌をバン、と鳴らす。

 ジャーリニーは震え上がった。


 「黒衣の者はぞ?

 ・・・ガウリヤ公、そちの家の者か?」


 「い、いいえ・・・」


 黒髪の優男は歯をカチカチ言わせつつ答えた。


 「我らガウリヤ家は、月天の一族に他なりませぬ。

 かような外法に手を染め、他者を害すなどもっての外・・・」


 「裁判官!」


 スシーマが立ち上がり、ヴァルナは発言を許した。


 「スシーマ王子よ、話しなさい」


 この場所では、帝王の息子たる王子よりも裁判官の方が権限があるのだ。

 それほどまでに、天の法律リタの守護者・ヴァルナの存在は偉大なのだろう。

 王子は風で乱れた前髪を払い、話し始めた。


 「先日の女神襲撃事件をご存じでしょうか。

 こちらにいるエリス神が眷属と夜道を歩いていたら、黒衣の者に襲われた・・・」


 「存じておる。

 ドコゾの新聞社が一部デタラメを書いたこともな」


 ヴァルナは巌のようにいかめしい表情になった。

 王子はつづけた。


 「夜中だというのに、野次馬が出ていて大騒ぎ。

 暗殺者のうち数人は女神に殺され、一人は衛兵に捕まりました」


 「18区詰所だな。

 町管轄本部に提出された書類によると、容疑者はタムラと名乗るデーヴァ男。

 火事の際、死亡したことになっているが?」


 「死んでおりません。

 他の被害者は、亡くなった後装備品が残されていましたが、かの者は装備品ごと消えておりました。

 どこぞに逐電したのでしょう」


 「おれも見ましたぜ」


 右席後方の衛兵たちが一斉に騒ぎ始める。


 「それに野次馬の話じゃ、暗殺者の一人は女神に傷つけられた際、大量の黒い液体をぶちまけたとか。

 そこの魔女、天界人じゃないのを囲ってたみたいですね」


 騒がしかった館内が、瞬時にして静まり返った。

 それまで余裕の表情で眺めていたガウリヤ夫人も灰青色の瞳を大きくし、様子をうかがっている。

 ヴァルナは秀麗な顔をガーゴイルのようにこわばらせたままだ。

 しばらくして、彼はジャーリニーに問うた。


 「被告人。

 黒衣の者の正体を明かせ」


 「ヴァルナ様。

 あたいは何も知りません」


 再びきらきら粉が舞うが、何も作用しない。

 それもそのはず。

 わたしがすべて幻術を解除しているからだ。

 無詠唱で出来るようになったので、大変便利である。

 ヴァルナは役員に命じ、赤毛の女の首に魔術の首枷をかけた。

 後ろに座っているガウリヤ公が、少女をまるで汚物を見るような目で見つめ、そろりそろりと離れていく。

 変わり身の早い、調子のよい男。

 こんな奴は大嫌いだ。


 「それは真実の輪という」


 ヴァルナは朗々と響く声で話した。


 「噓をつけば、きつく締まる。

 もしくは電流を食らうであろう。

 魔王ですら涙を流して慈悲を乞うという苦痛がおまえに降りかかるだろう。

 娘よ、正直に話せ。

 黒衣の者の正体は?」


 「お、お友達よ」


 「天界人か?」


 「デ、デーヴァ族で・・・」


 魔法の首枷はぐわーっと締まった。

 屠られる豚そっくりの悲鳴を上げるジャーリニー。


 「いや、アスラとのハーフかも・・・」


 青白い電流が彼女の体中を駆け巡った。

 白目を剥き、だらしなく舌を出すジャーリニー。


 「ああ、あたい、そのひとのことあまり覚えていないみたいで・・・」


 バリバリ!

 ギャアア!!

 

 これを繰り返すこと10回。

 皆はジャーリニーの頑固さに飽き飽きしてきた。


 「裁判長、埒があきませぬ。

 この際・・・」


 役員がヴァルナに何かを提案し、彼は了承した。


 「よろしい。

 ではやりなさい」


 役員は後ろの扉を開け、子供のように小さな男性を連れてきた。

 宮廷魔術師のヴィーサラだ。

 大きな目をますます大きくしてこちらを見ている。


 「王子・・・!

 最近せわしないと思ったら、裁判沙汰になっているとは!」


 「ヴィーサラよ、被告のプラーナを取り出せ」


 「ええっ!」


 彼は思わず尻餅をついた。


 「しかしヴァルナ――裁判長、それでは彼女は死んでしまうかもしれません」


 「構わぬ。

 どうせ死刑にするつもりだ。

 血統詐欺は殺人と同罪ゆえな」


 ヴァルナがものすごく怖いことをさらりと言った。

 わたしの隣に座っているアジャンがそれを聞き、ぶるぶる震えはじめた。


 「ね、プラーナって何?」


 「お、お嬢・・・。

 プラーナを知らないとか、危険すぎる!」


 アジャンは震えつつも教えてくれた。


 「おれら天界人の元になっているもの。

 プラーナを媒介して神通力を使ったり、飛行したり、要するに天界で生きていくための体内組織だね。

 それを生きながらにして抉り出すなんて・・・」


 「人間で言うと、心臓と肺と脳みたいなもの」


 スシーマも嫌な顔をしつつ教えてくれた。

 ということは、ジャーリニーは衆人環視で臓腑を抉り出されるというのか!

 しかも裁判所で死刑まがいのことをする天上界って・・・。


 「にしてもヴィーサラ先生、ひどい役を押し付けられたな。

 まあ先生のことだ、組織を上手に取り出し上手にはめ込むことができるんだろうけれど」


 「元に戻せるのね」


 スシーマはうなずいた。


 「普通の魔術師では、元に戻せない。

 先生はもともと、治療術の大家だったからできるのだろう。

 そんな彼でも、兄貴の傷は駄目だった・・・」


 「これが終わったら探さないとね」


 わたしがそう言うと、彼は少しだけ微笑んだ。


 壇上のヴィーサラは魔力でこしらえた青いメスを手にもっている。

 椅子に縛られたジャーリニーが、声も出せずに滂沱の涙を流している。

 嫌な音がして、メスは少女の頭に食い込んだ。

 固いアイスクリームを取り出すような手つきで、ヴィーサラはメスを使いくるりと抉っている。

 もちろん血は出ないし、皮膚等も損傷していない。

 ジャーリニーは涙を流しつつ、体をピクンとさせたきり動かなくなった。

 ヴィーサラは白いもやを掴み、皆に見せた。

 傍聴席の連中が数人、倒れたようだ。

 天界人にとって、あまりにも残酷な光景なのだろう。 

 宮廷魔術師はかくかくしかじかと呪文を唱えた。

 もやはほんわりと光り、次のようなヴィジョンをみせた。

 


 とある街角。

 スラムだろう、すすぼけた建物が立ち並び、通りを歩く男女もみすぼらしい格好をしている。

 彼らのイタチのような目線は、足を痛めた尼僧とばさばさの赤っぽい金髪の少女に向けられている。

 尼僧の顔を見て、わたしははっとした。

 ソーマーだ。

 正確には、ソーマーに化けた餓鬼プレータだったけれど。

 彼女は足を挫いたらしく、道端にうずくまっている。

 それを、赤毛の少女が介抱しているのだ。


 「アマラヴァティに初めて来て、これだものね」


 偽ソーマーは自嘲するように話した。

 少女、幼い日のジャーリニーは冷水を汲み、清潔な布と薬草を持ってきた。


 「お坊様、ちょっと我慢してね」


 腫れ上がった足首が洗われ、薬草と包帯が巻かれた。


 「お嬢ちゃん、ありがとう。

 小さいのにこんなことできるなんて、すごいわねえ」


 ソーマーが言うと、ジャーリニーは痛々しい笑みを浮かべた。


 「あたいの母さんが病気だから、何でも自分でやらなくてはいけないの。

 でも最近、いじめるひとが増えてきて・・・」


 言葉通り、どこからか小石が飛んできて、少女の肩に当たった。

 物陰から男たちの卑しい笑い声が聞こえる。

 ソーマーはそちらをじろりとにらみ、少女にこう答えた。


 「この世界は、ずいぶんと意地悪が多いものね。

 最初私も驚いたものよ。

 天界天界いいながら、こんな程度かよって。

 お嬢ちゃんはかわいそうに」


 まじまじと少女を眺めている。

 しばらくして、尼僧はこう続けた。


 「お嬢ちゃん、私には手下――いや、お友達がいるのよ。

 そのひとは呪文を唱えないと現れてくれないんだけれどね。

 彼なら、あなたを守り支えてくれるかも」


 「呪文を唱えて来てくれるだなんて、精霊さんみたい」


 少女の無邪気な言葉を聞き、ソーマーは皮肉な笑みを浮かべた。


 「そうね、精霊さんの一種かもしれない。

 けれどこの精霊さんはね・・・」


 尼僧の黒い目は闇に覆われた。


 「誰かを殺さなくてはならないの。

 呪文を唱えながらね。

 出来るかしら・・・?」


 「こ、殺すのはちょっと・・・」


 ソーマーは微笑んだ。

 

 「大丈夫。

 殺しは最初の一回だけだから。

 次からは呪文だけ・・・慣れれば名前を呼べば召喚できるようになる。

 さて、呪文はこうよ・・・」


 こそこそ、こそこそ。

 尼僧はその後いずこへか去っていった。

 後には呆然とした表情のジャーリニーが残された。


 場面が変わった。


 夜。

 ジャーリニーは自宅で何者かに押さえつけられている。


 「ふふっ、なかなか別嬪じゃねえか」


 暗闇の中で、侵入者が舌なめずりしている。

 男の声だ。

 ジャーリニーを押し倒し、首に手をかけている。

 彼女の衣服は破かれ、男の下半身は裸。


 「明日、おまえを戯女市げじょしに売り飛ばすことになった。

 恨むならおまえの母親を恨めよ。

 なんせ、アシシュ欲しさに平気で娘を売るようなクズだからなあ。

 おまえはまだ生娘。

 だから今宵、おれが奪ってやろう」


 「う・・・ううっ!」


 ジャーリニーは首を締められた状態で、なんとか手を動かし護身用の短刀を掴んだ。

 男は気づかないようだった。

 そのまま刃を、彼の首筋に埋める。

 強姦しようとしていた男は目を開いたまま死んだ。

 彼女は教えてもらった呪文を唱える。

 すると。

 男の死体があった場所が、黒い淀みと化した。

 死骸はもうない。

 そこにいたのは、少年、小柄な12歳ぐらいの男の子だった。

 整った白皙の顔に、殺人者の笑み。

 ジャーリニーは彼を見て、納得した。


 「おれを召喚してくれてありがとう」


 少年は言った。

 

 「あんた誰・・・?」


 「名前は・・・いや、あんたが付けてくれ」


 少女は考えた。

 しばらくして口を開く。


 「ムシカって呼ぶことにする。

 古代語でネズミっていう意味よ。

 あんた、はしっこそうだから」


 「じゃ、そう名乗ることにするよ。

 今日からおれもここの世界で生活できる」


 少年は地の底から湧き出るような笑い声をあげ、すーっと影に吸い込まれて消えた。

 黒い瘴気が少しだけ立ち込めている。


 ガウリヤ邸に引き取られた後も、少女はムシカを召喚していた。

 気に入らない侍女を殺したり、物を盗ませたり。

 そして、ついにあの日が来た。


 魔法の鏡で何かを見たジャーリニー。

 

 「この女を殺してくるのよ!」


 黒装束のムシカに命じる。

 少年は大喜びでうなずき、影と共に消えた。



 「天界人ではない・・・!」


 幻影を見た後、ヴァルナは唸るように言った。

 両手がカタカタ震えている。


 「なんということだ!

 我らの国に、悪霊が跋扈しておるぞ!」

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