六・二つの原型
ボーンボーンと低くチャイムが鳴り、隣で寝ていたソフィーが肩を跳ねあがらせる。今の音で目を覚ましてしまったようだ。
エミリーは本から顔を上げ、壁の振り子時計に目を向ける。時刻はちょうど正午を回った辺りだ。
「……良い本は見つかった?」
目を擦りながら尋ねるソフィーに、エミリーは二冊の民話集を示す。
「『スネーグレイヴと黒い犬』が載っていたのはこの二冊。けど、多少の表現の違いはあっても、両方ともミハルちゃんが魔法使いになる結末は同じだったの。特に改変されたという説明も無くてね……」
「じゃあ、私の知ってる『スネーグレイヴと黒い犬』が最初に書かれたものなの?」
「いや、そうとも言えなくて……」
エミリーは民話集を脇に押しやり、民俗学の本を開く。
「こっちの本によれば、『スネーグレイヴと黒い犬』の元になった民話は地域毎に内容が違って、結末は大きく二つの類型に分かれているそうなの」
本に記された文をなぞりながら、エミリーは『スネーグレイヴと黒い犬』の二つの結末について説明する。
「一つはミハルちゃんが魔法使いになる結末。この型の『スネーグレイヴと黒い犬』が伝えられている地域は山岳地帯で、魔法使いの子孫を自称する人々がいるんだって。もう一方のミハルちゃんが死んでしまう結末は、都市が発達した平野部に伝わっているんだけど……」
エミリーはそこで言葉を切って、ページをめくるかどうか迷った。ミハルが死んだ後の、現代では削除されてしまった本当の結末をソフィーに語って良いものか?
しばらく悩んだ後、エミリーは「ちょっと刺激的な話だけど……」と前置きして、次のページをソフィーに見せる。
「もう一つの『スネーグレイヴと黒い犬』には、私たちが知っている結末の後にまだ続きがあるの。スネーグレイヴの家の隣には大きなポプラの木が立っているでしょ? スネーグレイヴはミハルちゃんが死んだ後、彼女の亡骸を木の幹に空いた洞に閉じこめたの」
エミリーはページの右上に載っている挿絵を示す。絵の中では祈りを捧げるスネーグレイヴと、大きな洞の中に胎児のような姿勢で安置されたミハルが描かれていた。
「それで、ポプラの木にミハルちゃんを葬った後、スネーグレイヴは黒い犬と一緒に街に降りるの。そしてミハルちゃんのお父さんを探し出して……こ、ころ……」
「殺しちゃったの?」
恐る恐る尋ねるソフィーに、エミリーはゆっくりと頷く。
「『スネーグレイヴと黒い犬』の初版は民話に忠実に書かれていて、ミハルちゃんのお父さんが凍死体になって見つかる場面で終わるの。けど、後からそれが暴力的だと言われて子供向けに改変されたんだって。お葬式の下りが削除され、凍死していたのはお父さんではなくミハルちゃんということになった……」
エミリーはページの下の補足の欄を読む。
「もともと、スネーグレイヴは戦いの女神であり、子どもの守護神として信仰されていた。そんな彼女が、大人の事情によって子どもをさらう魔女にされてしまった……」
エミリーは「なんだか、可哀想だね」と漏らす。大人たちのエゴによって、おとぎ話の内容が歪められてしまったのだ。
気分が沈んでいるエミリーに対し、ソフィーは少し嬉しそうだった。
「でも良かった。スネーグレイヴは子どもの味方だったんだね……」
ソフィーは微笑みながら、スネーグレイヴの描かれた挿絵を撫でる。
「もしかしたら、クラリスちゃんにとってのスネーグレイヴは、アテルさんなのかもしれないね」
突拍子のないソフィーの言葉に、エミリーは思わず笑ってしまったが、否定はしない。
再び本のページに目を落とし、エミリーは挿絵のスネーグレイヴと記憶の中のアテルの姿を比べてみる。
「そうだね。どっちも強くて優しい女の人だし、アテルさんとスネーグレイヴは似てるかもね……」
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