四・トミ子さん

 翌日、エミリーはソフィーを連れて街に出かけた。


 近所のポストに手紙を投函した後、乗合馬車に乗って大学へ向かう。今日は出勤しなくても良い日だったが、大学の図書館なら『スネーグレイヴと黒い犬』の初版が所蔵されているかもしれないと考えた。


「おや、エミリーさん。今日は娘さんと一緒にお出かけですか?」


 通路を挟んで隣の座席に座った老婦人が、エミリーの姿を認めて話しかけてきた。はす向かいの家に住んでいるトミ子さんだ。


「おはようございます、トミ子さん。ほらソフィー、はす向かいのトミ子さんだよ? 挨拶しなさい」


 エミリーはソフィーを促すが、彼女は顔を隠すように腕に額を押し付ける。


「すみません。この子、人見知りが激しくて……」

 頭を下げるエミリーに、トミ子さんは「いや、人見知りしない方がむしろ危ないですよ」と返す。


「私の娘なんて、小さい頃は誰彼構わず着いて行っちゃって、しょっちゅう『さらわれたかも!』って大騒ぎになってました。人見知りなくらいが、世話をする身としては落ち着きます」

「そ、そうなんですか……」


 エミリーは狩人の村にフィールドワークに行った時のことを思い出す。あの時はお互いに距離を置いていたこともあり、ソフィーがいつの間にか村を抜け出し、「おそろしの森」に迷い込んでしまった。今のようにソフィーがエミリーにくっついているのは、二人の関係が元に戻った証なのかもしれない。


 一方のトミ子さんは、尋ねてもいない娘さんのことを語り始める。


「心配ばっかりかけてたあの子が、今では小学校の先生になりましてね、子どもたちに向かって『知らない人に着いて行っちゃいけませんよ』なんて言ってるんです。全く、どの口が言うんだか!」


 ケロケロと笑うトミ子さんに、エミリーは愛想笑いを返すしかった。良い人ではあるのだが、一度喋り出すと話が止まらないところが少し苦手だった。


「そういえば、ソフィーちゃんは小学校には通ってないんですか?」

「はい。今は家庭教師の先生に勉強を教えてもらっています。でも、いつかは学校に通わせたいとは思っています……」


 馬車の外に目を向ければ、小学生くらいの女の子が数人、雪を蹴散らしながら走っていくのが見えた。


 ソフィーはあんな風に賑やかに遊ぶのは好きではない。それを欠点ではなく彼女の個性と捉えて、尊重してあげたかった。


「でも、無理はさせないようにしています。この子のペースに合わせて、少しずつ環境に慣れさせていきたいです……」


 特に意識したわけではないが、エミリーの腕は勝手にソフィーを抱き寄せていた。


「それが良いでしょうね。無理やり学校に通わせて、学校が嫌いになっちゃう子もいますからねぇ……」


 トミ子さんがさっきまでの早口とは違って、穏やかな口調で漏らす。エミリーはその言葉にトミ子さんの優しさを感じた。一見ガサツに思える彼女も、ちゃんと細やかな気配りができる人なのだ。


 やがて馬車は病院の前に停まる。


「それではエミリーさん、私はこの辺で失礼します」


 軽く会釈をして、トミ子さんは馬車を降りる。


 突然、ソフィーが顔を上げて、馬車から離れていくトミ子さん手を振った。それに気付いたトミ子さんは一度立ち止まり、「ソフィーちゃんもまたね!」と手を振り返した。

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