第四章 歪められた物語

一・南の街

 エミリーが大学の門を出た時、既に太陽は裏山の向こうに隠れようとしていた。稜線から漏れた夕日が大学を囲む塀を照らし、レンガの赤色を濃くしている。


 本当はもう少し早く退勤するつもりだったのだが、図書館で「おそろしの森」に関する文献を探しているうちに時間を忘れてしまった。ソフィーはきっと帰りが遅くなったことで拗ねているだろう。


(さて、どうやってあの子の機嫌をとろうか?)


 大学の前で考えにふけるエミリーの前に、パカパカという小気味よい音を鳴らして乗合馬車がやってくる。お婆さんが降りるのを待ってから、エミリーは馬車に乗り込んだ。


 エミリーが座席に着くの見届けた御者は、前に向き直って二頭の馬車馬に合図を出す。馬たちがそれに応えるように鼻を鳴らし、馬車はゆっくりと動き出した。


 石畳の上を車輪が転がる振動を背中に感じながら、エミリーは後ろに流れていく街の景色を眺める。


 最近は晴れ間が続いていたため、家々の屋根に積もった雪がポツポツと滴を垂らしている。その滴に混じって、時々濡れた屋根を滑って雪の塊まで落ちてくる。道を歩く人々は雁木がんぎの下を通るか、建物から距離を置いて滴や雪を避けていた。


 乗合馬車は大通りを進み、二回ほど曲がってエミリーの家から最寄りの停留所に到着した。御者に運賃を渡して馬車を降りたエミリーは、シャーベット状の雪を踏みながら家に続く道を歩いていく。


 「西の国」風の家と伝統的な家が混在する住宅街をしばらく進むと、薄緑色の蛇腹壁の家が見えてくる。エミリーがこの街に引っ越す借りた家だ。


 エミリーは玄関のひさしの下で靴に着いた雪を落とし、息を整えてからドアを開ける。


「ただいま。遅くなってごめんね……」


 ドアを閉めて、家の奥に向かって声をかける。すぐにソフィーが飛び出してきた。彼女は照れくさそうにはにかみ、後ろに何かを隠している。


 不貞腐れた顔で迎えられると思っていたが、意外にもソフィーは上機嫌だ。


「そんなにニコニコして、何か良い事でもあったの?」


 コートを脱ぎながらエミリーは尋ねる。ソフィーは後ろに隠していたものをエミリーに見せる。それは二通の手紙だった。


 手紙の差出人の名前を見て、エミリーはソフィーが嬉しそうにしている理由を悟る。


「クラリスちゃんからお手紙が届いたんだ!」


 ソフィーはコクリと頷き、片方をエミリーに手渡す。


「こっちは誰から……?」


 エミリーは手紙を手に取り、差出人の名前を確認する。クラリスの名前と並んでアテルの名前も記されていた。字の書けないアテルのためにクラリスが代筆したようだ。


「アテルさんもお手紙書いてくれたんだね……」


 エミリーの胸がじんと熱くなる。


 まだ二回しか会ったことはないが、彼女は自分のことを覚えていてくれたのだ。「おそろしの森」での体験を通して新たな友人を得たのはソフィーだけではなかったらしい。


「じゃあ、夕ご飯の後で一緒に読もうか?」


 エミリーの言葉に、ソフィーはパッと笑顔を見せた。


 以前に比べてソフィーはよく笑うようになった。しみじみとした感慨に浸りながら、エミリーはコートをハンガーにかけた。

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