三・スネーグレイヴ

 どのくらい眠っていたのか解らない。気が付くと、ミハルは赤ん坊のように女性に抱かれていた。彼女はミハルが寒くないようにマントで覆ってくれていたが、時折わずかな隙間から氷のように冷たい空気が吹き込んでくる。


「気が付いた?」


 女性に聞かれて、マントの中のミハルは頷く。


「ここはどこ? お姉さんのお家にはまだ着いてないの?」


 女性がミハルを抱いて歩いているなら、足音が聞こえたり揺れを感じたりするはずだ。しかし、風の音と女性の鼓動以外は聴こえず、揺れも全く感じない。周りの様子が気になったミハルは、マントの外に顔を出してみた。


 まず目に入ったのは青白く輝く大きな月だった。さっきは曇っていたのに、どうして月が見えるのだろう? 不思議に思いながら下を見下ろしたミハルは、目に飛び込んできた光景に「わっ」と小さく悲鳴を上げる。


 下には雲がびっしりと敷き詰められていた。雲の隙間から不思議な模様の地面が見えたが、目を凝らすとそれは家々の屋根だった。


 女性はミハルを抱えたまま空の高いところを飛んでいたのだ。


「ど、どういうこと⁉ どうなってるの⁉」


 今にも下に落ちてしまいそうで、怖くなったミハルは必死に女性にしがみついた。艶やかな銀髪を夜風になびかせる女性は、ミハルを落ち着かせるように話す。


「私はスネーグレイヴ……北の山に住む魔女なんだ」

「魔女……?」


 目をぱちくりさせながら、ミハルはスネーグレイヴと名乗った女性の顔を見上げる。


「お姉さん、本当に魔女なの?」

「もしかして疑ってる?」


 ミハルは首を横に振る。鳥でなければ見れないような景色を見せられたのだから、もはや疑いようがない。


「ねぇ、お姉さんは空を飛ぶ以外にどんな魔法が使えるの?」


 興味津々で尋ねるミハルに、スネーグレイヴは「家に着いたら色々見せてあげるね」と返す。


「ほら、そろそろ見えてきたよ」


 ネーグレイヴが雲の絨毯の一点を指さす。細い指が示した先には、海に浮かんだ島のように山の頂上が突き出していた。


 岩の上に薄く土が被ったような山だったが、ただ一本だけ背の高いポプラの木が立っていて、冬なのに青々と葉をつけていた。その不思議な木の隣には黒い屋根の家が建っている。


 スネーグレイヴはポプラの木に向かって徐々に高度を下げていき、やわらかな綿毛が落ちるように足を地面に着ける。着地の衝撃は全く感じなかった。


「ここがお姉さんのお家?」


 ミハルがスネーグレイヴの顔を見ると、彼女は「殺風景な場所でごめんね」と目じりを下げる。


「そんなことないよ。だって、お星さまがこんなにキレイなんだもの」


 二人が目線を上に向けると、紫色の夜空を埋め尽くすほどの星が金や銀、オレンジ色に煌めいていた。これほど多くの星が満ちた夜空を見るのは、ミハルにとっては初めてだ。とても「殺風景な場所」だとは思えない。


「毎晩こんなにたくさんの星を見れるなんて、とっても素敵な場所だね!」


 再びスネーグレイヴの顔に目を戻すと、彼女はまだ星を眺めている。一瞬、その横顔に影が差したように見えた。


 薄い唇が動き、白い息が漏れる。


「そうだね……素敵な場所だね。この世の景色とは思えないほど……」

「え……?」


 ミハルはその言葉の意味について尋ねようとしたが、スネーグレイヴはその前に「さ、早く中に入ろう」と言ってミハルを地面に降ろした。

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