二・冬至の祭り
ミハルは冷たい石畳の上に座り、乾いた手を擦りながら暗くなっていく空を仰いでいた。陰鬱な色の雲が街の上に覆いかぶさり、今にも雪が降りそうな様子だ。
それでも街の通りは賑やかで、どこからともなく楽団の演奏が聞こえてくる。その音に合わせて陽気に歌いながら歩いていく人々は、寒さすら忘れているように見えた。
何しろ、今日は冬至の祭りだった。通りの先の広場に植えられたトドマツの木は色とりどりの玉で飾り付けられ、その周りに飴細工や串焼きの屋台が開くのだ。子どもたちは親からもらった小遣いを握りしめて広場へ走り、男たちは酔っぱらって大声で笑い、年頃の娘たちは着飾ってダンスの相手を誘いに行く。
しかし、ミハルだけはその中に混じることなく、相変わらず石畳に座り込んでいた。祭りに浮かれた人々はそんなミハルを気にも留めない。例えミハルに気付いたとしても、憐れみとも軽蔑ともつかない眼を向け、足早にその場を離れるのだった。
薄いぼろきれのようなコートを掻き寄せ、ミハルは人々の視線を避けるように顔を伏せた。
三日前の朝、父に手を引かれて街の通りに来たミハルは、彼からこの場所で待っているようにと言われた。用事が住んだら必ず迎えに行くから、どれだけ遅くなっても決してここから離れてはいけない、と。
父の言いつけを守って、ミハルはずっと寒さに耐えてきた。「お腹が空いたら食べなさい」と言って渡されたパンの欠片も昨日には無くなり、今日は何も口にしていない。
(お父さんはいつ戻ってくるんだろう? お父さんが戻ってきたら、一緒にお祭りに行きたいな……)
ミハルは寒さと空腹で朦朧とする頭の中で、父に祭りの屋台で買ってもらいたいものを一つ一つ思い浮かべた。舐めていると味の変わる飴玉、ビロード生地の青いコート、そして去年死んだ母にお供えするためのスイセンの花……
本当はミハルも父が戻ってくることはないと薄々解っていた。だからこそ、それを否定しようと必死にスイセンの花のことを考えた。
すると、誰かがミハルに声をかけた。
「あなたは今、何を考えているの?」
穏やかな女性の声だった。ミハルが顔を上げた先には、声から想像した通りの、優しそうな顔の女性がいた。彼女は目線を合わせるように身を屈め、琥珀色の瞳でミハルの顔を覗き込んでいる。
怖いわけではなかったが、女性の質問があまりにも素っ頓狂だったのでミハルは返答に窮した。ミハルが黙っていると、女性は先ほどよりもゆっくりした口調で「何を考えていたのか、お姉さんに教えてくれる?」と尋ねてきた。
「わ、私は……私は今、スイセンの花のことを考えてたの。お、お父さんが戻ってきたら、お祭りの屋台で買ってもらおうと思って。だから、お父さんが迎えに来るまでここを離れちゃいけないの……」
ミハルは寒くて回らない舌を動かし、どもりながらも女性の問いに答えた。
「あらそう……寒かったでしょうに……」
女性は細い顎に手を当てて、しばらく何かを考えているようだったが、やがてポンと手を打って「私の家に来ない?」と微笑んだ。
「え……? で、でも……お父さんを待ってなきゃいけないから……」
ミハルは頷きそうになるのを堪えた。このまま父が戻ってこないなら、早く暖かい場所に行きたかった。だが、もし父が約束を守って戻ってきたとしたら、言いつけを破ってしまう。
ミハルの葛藤を察したのか、女性は「心配しなくても、あなたのお父さんにはすぐ会えるよ」と言った。
「本当? お姉さん、お父さんがどこにいるか知ってるの?」
「もちろん。あなたのお父さんがどんなところにいてもね。だから安心して」
普段のミハルなら「そんなの嘘だ」と言って信じなかっただろう。だが、今のミハルは女性の言葉を信じずにはいられなかった。もう三日もここに座って寒さに耐えてきたのだ。暖かいベッドと食事にありつけるなら、噓であっても本当と思いたかった。
「お姉さん……ありがとう……」
そう声に出した瞬間、ミハルは強烈な睡魔に襲われた。糸が切れたように全身から力が抜ける。女性の腕に受け止められた感触を最後にミハルの意識は途絶えた。
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