二・ソフィー
「はい、どうぞ」
椅子に座らせた女の子に、クラリスがハーブティーを差し出す。女の子は軽く会釈してからカップを受け取ると、ゆっくりと口を付ける。少し落ち着いたのか、固かった表情がわずかに緩んだように見えた。
「それで、どうしてキミはこの森に一人でいるの?」
アテルが尋ねると、女の子は隣に座ったクラリスの耳元にささやく。大きな声で話すのが苦手な子なのだろう。
「うん、うん……そうなんだ」
「何だって?」
女の子に代わって、クラリスが答える。
「一昨日からお姉さんと一緒に狩人の村に泊まってたんだけど、お散歩しているうちに迷っちゃったんだってさ」
「そう……でも、この森には危ない獣がたくさんいるんだよ? お姉さんや村の人の傍にいなきゃダメじゃない?」
アテルはできるだけ穏やかな声で語りかけたつもりだが、女の子は申し訳なさそうに縮こまってしまった。そんな彼女の様子を見ていると、どうも叱る気になれない。
女の子を励ますように、クラリスが話題を変える。
「とりあえず、お名前を教えてくれる? 私はクラリス! あなたは?」
女の子はまたクラリスの耳に口を近づけ、小さな声で何かを伝える。
「ソフィーって言うんだね! 素敵なお名前!」
クラリスの言葉に、ソフィーと名乗った女の子は頬を赤らめる。
「私はアテル。ソフィーちゃんが泊ってる狩人の村から来たんだけど、訳あってクラリスと一緒にこの森に住んでるの」
アテルが自己紹介をすると、クラリスが「アテルさんはね、私のお嫁さんなんだよ!」と付け足す。
それを聴いて、ソフィーは困ったように眉を寄せる。彼女は答えを求めるように、アテルとクラリスの顔を交互に見た。
「あ……えっと、ちょっと事情が複雑だけど、狩人の村の掟で、私とクラリスは夫婦ってことになってるの……解るかな?」
アテルの話を聴いても、ソフィーはその内容を理解できていないようだった。無理もない。アテルを妻として迎えたクラリスでさえ、その意味を理解していないのだ。
狩人たちにとって、「おそろしの森」は魔物が住まう場所である以前に、神として崇められる獣たちの聖域だ。その事情を知らずにこの森に住んでいたクラリスは、評議の結果、獣の一種として扱われることになった。そして、彼女を守るためにアテルは神の花嫁となり、この森で一緒に暮らすことを許されたのだ。
これをソフィーにどう説明したら良いのだろうか……アテルは腕を組んで、しばらく考える。まだ幼いソフィーにも解る言葉で言い換えようにも、上手い表現が思いつかなかった。
結局、客観的な事実だけを伝えることにした。
「まぁ、村の人たちがどういう風に言ってるかはともかく、私はクラリスの親代わりをしてるの。こんな森の奥で、小さな女の子を一人にしておくわけにはいかないからね……」
一瞬、アテルの脳裏に二年前の記憶が蘇る。
枯れ葉の中に横たわる老婆……彼女が身に着けた「西の国」風の装束は鋭い爪で引き裂かれ、喉の辺りは強靭な顎に食いちぎられている。一目でヒグマに食われたと解るその老婆が、クラリスの祖母だった。
アテルが人食いのヒグマを取り逃したために、クラリスはたった一人の家族を失った。そのことに自責の念を抱いたからこそ、アテルが神の花嫁となることを選んだのだ。
この家にたどり着かなければ、ソフィーも獣の餌食になっていたかもしれない。本当に、無事でよかった……アテルはホッと息をつき、テーブルを挟んで座るソフィーの方を見る。
「とりあえず、少し休んだら村に帰ろう? きっとお姉さんも心配してるよ?」
そう語りかけると、ソフィーは首を横に振った。
「帰りたくないの?」
ソフィーは膝の上に置いた拳を握りしめる。口元がわずかに動き、ひそひそと何か言っているようだ。クラリスはその声に耳を傾け、彼女が口にしたことをアテルに伝える。
「今はお姉さんに会いたくないってさ……どうして?」
クラリスはソフィーの顔を覗き込むが、彼女がそれ以上声を発することはなかった。
三人の間に、気まずい沈黙が降りてくる。誰も声を出さないので、暖炉で薪が爆ぜる音がやけに大きく感じられた。
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