九・『子棄ての樹海』

 四日後、再びエミリーとアテルの兄が訪ねて来た。


 アテルが二人を出迎える声が聴こえた時、クラリスはソフィーと一緒に書斎で手紙の準備をしていた。エミリーに宛てた暗号の手紙だ。ソフィーは誤字がないことを念入りに確認し、封筒に入れる。


「ソフィーちゃん、エミリーさんが迎えに来たよ?」


 居間の方からアテルが呼ぶ。クラリスはソフィーに代わって返事をすると、机の上に置いた本を抱えて立ち上がる。そして、ソフィーの手を取って書斎を出た。


 居間でエミリーの姿を認めると、ソフィーは彼女の腰に飛びついた。何か言う訳でもなく、細い腕で強く締め付ける。エミリーは呻きながらも、妹であり娘である少女の頭を撫でた。


「うっ……やっぱり、四日は長かったかな?」


 ソフィーがこんなにも甘えている様子を見れば、それは聴くまでもなかった。直接言葉にすることはなかったが、ソフィーがずっとエミリーに会いたがっていたことはクラリスにも解る。


 ソフィーを腰にしがみつかせたま、エミリーはアテルに深々と頭を下げる。


「本当にありがとうございました」

「いえ……私たちもソフィーちゃんといて楽しかったですし、また遊びに来て欲しいくらいですよ」

「はい、是非とも。ソフィーもまたクラリスちゃんに会いたいでしょ?」


 エミリーの問いに、ソフィーは顔を上げて頷く。


「ところで、お婆さんの暗号のことなんだけど……」


 エミリーは安心したのか、暗号のことに話題を変えた。彼女が動く気配を察して、ソフィーが腰から離れる。エミリーは肩から下げたカバンを前に持って来て、クラリスから預かった料理本とノートを取り出した。


 アテルはテーブルの上に出ていたものを少し退かし、そのスペースにエミリーがノートを広げる。ちょうど、窓から差し込んだ日の光が当たる場所だった。


「お婆さんの暗号、結局全部解けなかったの……預かった本以外にも、他の本に分割して暗号が隠してあるみたい。一応、預かった本に隠された部分は解読できたけど……」


 クラリスはノートに顔を近づける。少々汚いエミリーの字で、解読された暗号の内容が記されていた。


「なんて書いてあるの?」


 そう言ってアテルが横から覗き込む。クラリスは声に出して、祖母の残した暗号の内容を読み上げ始めた。



 愛するクラリスへ。


 あなたに伝えおかなければならないことがあって、私はこの本に暗号を残します。


 私は七歳の時に、この森に捨てられました。私は「西の国」の王女として産まれたのですが、生まれつき身体に痣がありました。王室の人々はそんな私を気味悪がって、国から追放したのです。


 この森のことを、王族の人々は「子棄ての樹海」と呼んでいました。ずっと昔からレンガの家が一つ建っていて、国にいられなくなった王子や王女は、そこに置き去りにされます。棄てられた子供たちがどうなるのかを知る者はいません。飢えて死んでしまうのか、それとも親切な人が拾ってくれるのか……それは言い伝えでも語られていなかったのです。


 ある日、一人の騎士から「痣を治してくれるお医者様のところへお連れします」と伝えられ、私は窓の無い馬車に乗せられました。それから何日も馬車に揺られ、途中で船に乗り換え、森の中のレンガの家に連れてこられました。


 騎士は「お医者様を呼んでくるので、三日の間はこの家でお待ちください」と私に伝えて、家を後にしました。そのときはまだ、私はここが「子棄ての樹海」だとは知りませんでした。だから、私は素直に騎士の言いつけを守って、彼がお医者様を連れて戻ってくるのを待ちました。


 そして、三日が過ぎ、六日が過ぎ、十日が過ぎた頃、私はようやく「子棄ての樹海」に置き去りにされたことに気付きました。急に目の前が真っ暗になったような気分に襲われ、私は泣き崩れました。


 しかし、私がこの家に連れてこられてから十三日目に、若い男の人が訪ねてきました。服装は少し変わっていますが、彼はとても親切な人でした。何日かに一回家にやってきては、私に食料を届けてくれたり、ハーブの育て方を教えてくれたりしました。


 しかし、その人は私を森から連れ出してはくれませんでした。私の存在を他の人に知られたくないそうです。彼が一体何者だったのか……それについては、また別の本に暗号を隠しておきます。ともあれ、私はその男の人のおかげで、なんとか生きてこれました。


 そして月日は流れ、私が七十五歳になったある日の朝のことです。玄関のところで、まだ生まれて間もない赤ん坊が泣いていました。赤ん坊が王族なのかは解りませんでしたが、誰かが棄てていったということは簡単に想像できました。


 哀れに思った私は、その子をクラリスと名付け、育てることにしました。そう、あなたは私の孫ではないのです。でも、私はあなたの本当のお祖母さんや、お母さんに負けないくらい、あなたを愛しています。あなたに出会えて、今の私はすごく幸せです。


 まだあなたに伝えなければならないことがありますが、この本の中には納まりません。他の本にもまだ暗号を隠してあるので、あなたが大きくなったら教えてあげるつもりです。


 おばあちゃんより。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る