八・ソフィーの想い

「ほら、ソフィーちゃんこっちおいで♪」


 クラリスがそう言って、ポンポンと掛け布団を叩く。ソフィーはためらうように、枕を抱えたまま立ち尽くしていた。傍で見ていたアテルは急かすようなことはせず、ソフィーが自らベッドに入るのを待ってから、後に続いて布団に身体を滑り込ませる。


 その時、ソフィーが「わっ」と小さな声を発した。アテルにはその声が、驚いているようにも、安心してため息を漏らしたようにも聴こえた。


「ウフフ……こんなにベッドが狭くなったの、初めて♪」


 クラリスは嬉しそうだった。狩人の村で育ったアテルや、人見知りとは言え都会に住んでいたソフィーとは違って、この子は産まれてからずっと祖母とだったのだ。ベッドの上で三人が密着することなんて、今まで経験したことがなかったのだろう。


「ソフィーちゃんはお姉さんと毎晩一緒に寝てるの?」


 クラリスが尋ねると、ソフィーは枕に顔を擦りつけるように首を横に振った。


「……お姉ちゃん、毎晩遅くまでお勉強してるから……一度も一緒に寝てくれたことがないの……」


 布の擦れる音にかき消されそうだったが、今のソフィーの声はアテルの耳にも届いた。


「ソフィーちゃんも寂しかったんだね……」


 そう言ってクラリスがソフィーの肩をさする。すると、ソフィーの小さな手が、クラリスの手を捕らえる。もう片方の手はアテルの方に差し出された。アテルは無言でその手を取り、もちもちした感触を手のひらで確かめる。


「本当はね、嬉しかったの……お姉ちゃんがお母さんになったとしても、一緒に暮らせることが嬉しかったの。だけど、お姉ちゃんは急に忙しくなって、あんまり私とお話してくれなくなったの……」


 ソフィーは淡々とした口調で語っているが、彼女の細い指がアテルの手に強く食い込んでいく。少し痛いくらいだった。柔らかい手からは想像できない程の力に、アテルは彼女の中にある感情の強さを悟った。


「狩人の村に行くまでの馬車の中でも、お姉ちゃんはずっとノートを見てた。村に来てからも、お爺さんの昔ばなしばかり聴いて、ぜんぜん私のことを見てくれなかった。でも、お姉ちゃんが大切なお勉強をしてるって解るから、邪魔しないようにしてたの……」


 そこでソフィーは一旦口を閉じる。いつの間にか、クラリスは目を真っ赤にして涙を浮かべていた。それに気付いたソフィーは、クラリスの方を向いて微笑む。


「クラリスちゃんは優しいね。私のために泣いてくれるんだ……」

「だって! ソフィーちゃんがあんまりにも寂しそうだから! お父さんが死んじゃって寂しいのに、お姉さんとお話しできないなんて……そんなの……」


 クラリスは言葉を詰まらせる。会話がないことの辛さを、彼女はアテルと結婚するまでの二年間で十分すぎるほど味わっている。だからこそ、ソフィーの話に深く共感し、彼女のために涙を流すことができるのだ。


 一方、アテルの心の隅には、それを大げさだと思ってしまうもう一人の自分がいた。アテルには兄がいて、父がいて、祖父や村の人々がいる。生まれてから一度も孤独を知らなかったアテルは、二人の感情を深いところでは理解できないのかもしれない。


 それでもソフィーの手は、しっかりとアテルの手の中にあった。孤独を知る者だけに想いを伝えたいのなら、両方の手がクラリスの方へ伸びるはずだ。だが、ソフィーはアテルの手も握った状態で彼女の胸の内を吐き出したのだ。


 孤独を知らなくても、孤独に寄り添うことはできる……ソフィーの小さな手がそう言っているように思えた。だからこそ、クラリスだってアテルに心を開いてくれたのだ。そんな自分になら、ソフィーにしてやれることがあるはずだ。


 アテルは空いている方の手をクラリスの肩に置き、ソフィーと一緒に抱き寄せる。クラリスもアテルの身体に短い腕を回し、ソフィーはその間に挟まれる形になった。


「我慢しなくていいんだよ」


 アテルはソフィーの耳元に囁く。


「ソフィーちゃんが寂しいって思ったら、それをちゃんと伝えていいの」

「でも、お姉ちゃんは忙しいから……お勉強の邪魔になったらいけないから……」

「ソフィーちゃんが迷子になった時点で、とっくに邪魔しちゃってるよ。だから、今さらどうってことないんじゃないの?」

「うぅ……」


 恥ずかしそうにソフィーが布団で顔を隠す。ほどなくして、布団の中からすすり泣く声が聴こえてきた。つられてクラリスも声を上げて泣き始める。アテルは二人が泣き止むまで、彼女たちを抱く腕の力を緩めなかった。


 クラリスが落ち着いた時、布団の中から瞼を腫らしたソフィーが顔を出した。アテルは彼女にゆっくりと語りかける。


「私たちに話してくれたこと、エミリーさんに伝えられる?」


 ソフィーは答えない。まあ、素直に自分の気持ちをエミリーに伝えることが出来ていたなら、彼女はそもそもここにはいない。


 アテルは質問を変えてみる。


「じゃあ、どうしたら伝えられると思う?」


 それを聴いて、ソフィーは少し考えた後、「お手紙?」と口にした。


「けど、そのまま書くのは、なんだか恥ずかしい……」


 内心もどかしく思いながらも、アテルは「そのまま書いたらいいじゃん」とは言わなかった。引っ込み思案な彼女は、自分の気持ちを伝えるのが人一倍苦手なのだ。誰とでも気さくに話せるアテルが余計な口出しをするより、ソフィーが彼女なりの方法を見つける方が良いと思った。


「じゃあ、暗号にするのはどう?」


 さっきまでとは打って変わって、クラリスは楽しそうな声で言った。「暗号?」と聞き返したソフィーに、クラリスは笑顔で彼女の考えを説明する。


「私のおばあちゃんがやったみたいに、暗号にするの。普通に見れば全然関係ない文章の中に、ソフィーちゃんが本当に伝えたいことを隠してみれば?」


 クラリスはきらきら光る瞳でソフィーの顔を覗き込む。しばらくの間キョトンとした後、ソフィーはニコリと笑って頷く。


「それ、いいかも……!」

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