四・遺された暗号

 アテルが出かけた後、ソフィーはクラリスの祖母が持っていた本を見せて欲しいと言ってきた。


「良いよ! 本棚はこっち!」


 クラリスはソフィーの手を引いて、本棚のある書斎に連れていく。


 祖母の本棚には、おとぎ話や薬草の図鑑、料理のレシピなどがぎっしりと並べられていた。手書きのノートや、巻物の類もある。


 普段使わない書斎の暖炉には火が入っておらず、白い息が出るほど寒かった。ソフィーは本棚から手早く何冊かの本を選ぶと、両手で抱えてクラリスと一緒に居間に戻る。


 暖かい居間に戻ってくると、ソフィーはテーブルの上に本を置き、その内の一冊を広げた。クラリスは「何の本?」と尋ねながら、彼女の手元を覗き込む。そこには、ハーブとウサギの肉を使ったパイの作り方が絵入りで紹介されていた。


「お料理の本か……」


 胸の奥から、急に寂しさがこみ上げてきた。このページで紹介されているウサギのパイは、祖母が生きていた頃によく作ってくれた料理だった。


「おばあちゃんのパイ、美味しかったな……」


 ページのそこかしこに、祖母の字でメモや補足が描き込まれている。子どものクラリスには難しい言葉を、解りやすい表現に直している場所もあった。祖母は、いつかクラリスと一緒にこのパイを作ろうと思っていたのかもしれない……だが、その願いは叶わなかった。


 その時、温かく柔らかいものが、クラリスの手を包み込んだ。ソフィーの手だった。驚いてソフィーの顔を見ると、彼女は優しく微笑む。口数の少ないソフィーだが、その分、人の気持ちを敏感に読み取ることができるらしい。


「ありがとう、ソフィーちゃん……」


 握られた手から伝わった温もりが、じんわりと体を満たしていくような気がした。握られていない方の手をソフィーの肩に伸ばし、クラリスは彼女を抱き寄せる。ソフィーの方もクラリスをなだめるように、ポンポンと肩を叩いてくれた。


 寂しくない訳ではないが、クラリスは一人ぼっちではない。アテルがいるし、狩人の村の人々もいる。そして、今日はソフィーという友だちにも出会えた。祖母と過ごした日々と同じくらい、皆と過ごす今が愛おしい。


 ソフィーはクラリスの肩を叩き続けた。さすがにもういいと思って、クラリスは声をかける。


「もう大丈夫だよ。もうポンポンしなくても平気だから……」


 それでもソフィーは肩を叩き続ける。どうやら、今のポンポンは慰めている訳ではないようだ。落ち着かない様子でクラリスの手を引っ張ったり、ブンブンと前後に振ったりもしている。


「どうしたの?」


 クラリスが身体を離すと、ソフィーは本に書き込まれた祖母の文字を指さした。何かを訴えかけるように、彼女の琥珀色の瞳がクラリスを見つめる。言葉を促すように片方の耳を差し出すと、ソフィーは少しどもりながら、彼女が気付いたことを伝えてきた。


「『暗号』……? おばあちゃんの字、暗号なの?」


 ソフィーによると、祖母のメモの中で一部の文字が古い字体になっていて、それらを繋ぎ合わせると単語が浮かび上がるという。また、一部の単語は隠語や別の言葉に置き換えられ、対応表がないと意味が解らないような工夫が凝らされているらしい。


 二人が見ていたページには、「七」「お祝い」「細道」と言った単語が隠されていた。意味の通るような文章はソフィーにも見つけられなかったが、クラリスは素直に感動した。


「すごーい! 誰に教えてもらったの⁉」


 クラリスがそう尋ねると、ソフィーの表情に影が差す。顔を伏せ、唇の隙間からかすれるような声を漏らす。クラリスは辛うじてその内容を聴きとることができた。


「そっか、お姉さんに教えてもらったんだ。ソフィーちゃんのお姉さんって、とっても物知りなんだね!」


 姉のことを褒められているのに、ソフィーは全然嬉しそうではない。


「……やっぱり、お姉さんと何かあったの?」


 反応はない。答える代わりに、ソフィーはゆっくりと本を閉じた。

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