五・エミリーとの約束
アテルは兄とエミリーを伴って家に戻る。
二人を居間に通すなり、クラリスはエミリーの方に視線を向けてきた。
「その女の人が、ソフィーちゃんのお姉さんなの?」
「えっと……それも間違いじゃないんだけど……」
アテルはエミリーとソフィーの関係について、出来るだけ解りやすいような言葉で説明する。その間、ソフィーはずっとクラリスの後ろに隠れて、エミリーと目を合わせようとしなかった。
「え⁉ ソフィーちゃんのお姉さんって、お母さんなの⁉」
クラリスは目を丸くしてソフィーを振り返る。ソフィーは小さく頷いた。その顔はどこか申し訳なさそうで、謝っているようにも見える。
「ソフィー……」
エミリーが娘の名前を呼び、ゆっくりと歩み寄る。ソフィーはクラリスの肩越しに、上目遣いを彼女に向ける。
「ごめんね、色々と無理させちゃって……急にお父さんが亡くなって、私がお母さんになって、知らない土地に連れてこられて……疲れてたんだよね?」
優しく語りかけるエミリーだったが、ソフィーはまだ警戒しているようだった。
「本当なら、あと四日は村にとどまるつもりだったけど、フィールドワークはもう終わり。一緒に南の街に帰ろう?」
ソフィーはクラリスの背中にすがりつき、髪を揺らしながら首を横に振る。
「ソフィーちゃん、帰りたくないんだって……」
クラリスはそう言って、庇うように手を広げた。
「でも、この森にいつまでもいる訳にはいかないでしょ?」
アテルが説得を試みるも、ソフィーはクラリスの後ろにくっついて離れようとしない。無理やり連れて行くのも可哀想な気がして、アテルはそれ以上何も言えなかった。
「困ったねぇ……」
エミリーは頬に手を当てながら、考え事をするように目を泳がせる。すると、彼女の視線が机の上に置かれた本に留まった。
「あれ……この本?」
エミリーが尋ねるようにアテルの方を見る。
「あー……それはクラリスのおばあちゃんが持ってた本です。私は文字が読めないんで内容は解りませんが、エミリーさんなら読めるんじゃないですか?」
アテルの話を聴きながら、エミリーはパラパラと本のページをめくってみる。
「……暗号が隠してあるんだって……」
ボソリと、クラリスが呟く。
「暗号?」
聞き返すエミリーの声に、兄から「おそろしの森」について聴かされた時と同じ響きがあった。彼女の瞳の奥で、ギラリと好奇心が光る。この人はソフィーの保護者である以前に、知識欲に従う研究者らしい。
「エミリーさんは、ソフィーちゃんに暗号の解き方教えてくれたんだよね?」
クラリスの問いにエミリーは「ええ」と答える。
「昔の人たちが、秘密を限られた人だけに伝えたいときに使っていたのよ。先生――ソフィーのお父さんから託された研究書も、暗号にしてあったわ……」
エミリーは再びページをめくり、ざっと文面に目を通す。
「見た感じだと、おばあちゃんの手記のようね……」
クラリスはソフィーを背中に匿いながらも、エミリーの言葉に食いつく。
「なんて書いてあるの⁉ おばあちゃんは何を伝えようとしているの⁉」
「う~ん……きちんと読める文にするには、少し時間が必要ね……」
エミリーは顔を上げて、クラリスとソフィーに声をかけた。
「じゃあ、こうしましょう。私はこの本を預かって村に帰るわ。ソフィーはフィールドワークの間はこの森にいて良いけど、四日経ったら迎えにいく。その時、できる所まで暗号を解読した文章を持って行く……それでいいわね?」
ソフィーはしばらく黙っていたが、クラリスに促されてやっと首を縦に振る。
「クラリスちゃんもそれでいい?」
「うん! 私、もう少しソフィーちゃんといたいし、おばあちゃんが隠した暗号の答えも知りたい!」
クラリスの答えを聴いて、エミリーはクスクスと笑う。それからアテルの方を向いて、深々と頭を下げる。
「では、ご迷惑をおかけしますが、もうしばらくの間、ソフィーのことをよろしくお願いします」
彼女の改まった態度にたじろぎながらも、アテルは「大丈夫です」と返す。
「私も、ソフィーちゃんの存在がクラリスに良い影響を与えると思ってます。この子は同年代の友だちがいませんでしたから……」
それに、アテルもクラリスの祖母が残した暗号の中身に興味があった。もしかしたら、二人が「おそろしの森」に住むようになった理由が書かれているかもしれない。
「全く……護衛を任される俺は大変だな……」
居間の入り口の方でやり取りを見守っていた兄が、溜め息まじりにぼやく。だが、その顔はどこか嬉しそうだった。
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