四・神になった少女

 初雪から何日か経った後、クラリスの家に再びアテルが訪ねて来た。しかし、いつもと格好が違う。紅い着物の上に白い狐の毛皮を羽織り、顔には不思議な化粧が施されている。弓も矢筒も背負っておらず、狩りに来たようではないらしい。玄関の扉を開けたクラリスは、一瞬彼女がアテルだとは解らなかった。


 また、アテルは長身の若い男性と、腰の曲がったお爺さんを連れていた。クラリスが二人のことを尋ねると、アテルは彼女の兄と祖父だと紹介した。


「お前さんが、クラリスじゃな?」


 お爺さんが口を開く。


「え? あ、はい……そうですけど……」


「足音、声、服の揺れる音……シマエナガたちが話していた通りのお嬢さんじゃな……」


 お爺さんがにっこりと笑う。その目は白く濁り、焦点が合っていない。目が見えないというのは本当のようだ。


 次に、アテルの兄が口を開く。


「急な話で悪いんだけど、妹は嫁に行くことになったんだ」


 それを聴いて、クラリスの心臓が飛び上がる。嫁に行く……つまり、もう会えないということか?


「そんなの嫌! アテルさんともう会えないなんて!」


 クラリスはいつもと違う格好のアテルにすがりつく。もしかしたら、今彼女が来ているのは花嫁衣装なのかもしれない。それなら、こんなの汚して、お嫁に行けないようにしてやる! そう思って鼻水を擦りつけようとした。


「フォフォフォ……そう早とちりしちゃいかん」


 必死な様子のクラリスに対し、お爺さんは朗らかに笑っている。


「嫁に行くと言っても、お前さんに会えなくなるわけではない」


「……どういうこと?」


 クラリスは問いかけるようにアテルの顔を見る。彼女は紅を塗った唇をゆがめて、「むしろ、ずっと一緒にいるってことだよ」と答えた。


「まぁ、自然は人間の思う通りには動いてくれん。柔軟な対応も必要なときがあるのじゃ……」


 お爺さんが話すことは、クラリスにはちんぷんかんぷんだった。それを察したのか、アテルの兄が解りやすいように説明する。


「クラリスの扱いについて、一族で話し合ったんだ。その結果、キミを獣の一種として扱い、アテルは巫女……つまり、獣の花嫁としてクラリスと結婚することになったんだ」


「えっ⁉」


 クラリスは慌ててアテルの花嫁衣装を確認する。大丈夫、鼻水はついていない。


 ふと、アテルの手が肩に置かれる。


「女の人同士で結婚するのも変な気がするけど、私がクラリスの傍にいて守ってあげるには、これが一番良い方法だと思ったの」


 アテルは柔らかいが、少し厳しい声でクラリスに語りかける。


「ごめんね……本当は、お姉ちゃんになって欲しかったんだよね?」


 クラリスは激しく首を横に振る。


「そんなことないよ! アテルさんが私のお嫁さんでも、一緒にいれるなら私は嬉しい!」


 アテルに抱き着き、短い腕にいっぱいの力を込める。アテルもそれに負けないくらいの力で抱きしめてくれた。


「よかった……喜んでくれて!」


 そんな二人のやり取りを聴いたお爺さんが、再び口を開く。


「まぁ、結婚と言っても、アテルがこの森で暮らすための口実にすぎん。二人がどういう関係を築くかは、獣の世界の話。わしらが口出しするようなことはせんよ……」


 ふと、アテルの兄が歩み寄り、クラリスの前に跪く。そして、彼は改まった口調でハトリに語りかけた。


「クラリス……いや、クラリス様。キミはこれから獣として、この森の神になる。どうか、妹をよろしくお願いします!」


 そう言って、アテルの兄は深く頭を下げる。クラリスはその気勢に圧倒されて、少し後退る。仰々しい兄のたいどをみて、アテルはクスクスと笑った。


「兄さんったら、クラリスが緊張しちゃうじゃん。掟の上ではこの子は神様だけど、本当は普通の女の子なんだから」


「いや、しかし……仮にも彼女はこの森の神……無礼を働く訳には……」


「気にしすぎだって。別にクラリスは無礼だとか思ってないでしょ?」


 アテルに話を振られて、クラリスは頷く。アテルは「ほら!」と言ってクラリスの頭をわしゃわしゃ撫でる。


「大丈夫。私は神の花嫁として、この子の姉として、ちゃんとやっていくから。守ってあげるから……」


 アテルがクラリスの身体を抱き寄せる。クラリスもそれに応えるように、彼女の服の端をキュッと掴んだ。


「頼んだぞ?」


 アテルの兄の言葉に、クラリスは「任せてください」と返す。次の瞬間、アテルは腹を抱えて笑い出した。


「アテルさん?」


 クラリスは彼女が笑っている理由が解らない。気が付けば、クラリス以外の全員が笑っていた。


「いや、済まない……俺はアテルに向かって言ったつもりだったんだがな……これは大した神様だ! ハハハッ!」


 それを聴いて、クラリスは急に恥ずかしくなる。真っ赤になった顔を、アテルの紅い着物に押し付ける。皆が笑うから、この着物に溶けてしまいたかった。

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