三・アテルの後悔

 「おそろしの森」から帰ったアテルは、囲炉裏の横に大の字になって寝転がる。夕食の準備だとか、狩りの道具の手入れなど、やるべきことは多い。だが、身体が鉛のように重く、全く力が入らない。


 胸の辺りには、まだクラリスの温もりが残っているような気がした。またあの子を置き去りにしてしまった……暗く寒い森の中に、あんなに小さな女の子を一人っきりにしてしまった……どろりとした罪悪感が、腹の底から湧き上がってくる。


「おい、アテル! だらしないぞ!」


 頭の上の方から、兄の呆れた声が聴こえる。狩りで獲った得物を外でさばいていたらしく、手には皮をむいたウサギをぶら下げていた。


「いいじゃん、家の中なんだし」


「家の中でもシャキッとしていろ。お前は狩人としては一人前だが、まだ嫁にはやれないな」


 そう言いながら兄は台所まで歩いて行き、包丁でウサギを切り分け始める。アテルは寝返りを打って兄の姿を追い、彼の背中に反撃の言葉を投げかける。


「そういう兄さんこそ、縁談を片っ端から断ってるクセに」


 痛いところを突かれたのか、兄の手が止まる。


「あのなぁ、俺は自分がだらしないから縁談を断っているわけじゃない! 俺の狩人としての実力が、結婚相手と釣り合わないからだ。父さんやお前の助けを借りることなく、オオツノジカをあと二頭ぐらい仕留めてから嫁を貰いたい……」


 兄の考えは、狩りにおいて配偶者と対等であるべきとする狩人の男らしいものだった。だが、大物を仕留められていないとしても、狩りの実力が劣っている訳ではない。


「でも、兄さんは大きな獲物よりも、小さくてすばしっこい獲物を仕留める方が得意だと思うな。やっぱり、弓の命中精度が高いからね。私なんて、手元がブレてウサギとかは仕留められないよ……」


「だが、身内が大物を仕留めてる中、俺だけウサギ程度しか狩れないのはやはり恥ずかしい。妹が人喰いのヒグマを仕留めて、皆を守った英雄になっちまったからな……余計な苦労をしてるんだよ」


 兄のその言葉が、小さな針のようにアテルの胸を突く。口の中に不快な苦みが広がり、アテルは歯を食いしばる。


「守れてなんか……ないよ……」


 アテルは人喰いのヒグマとの戦いを思い出す。


 二年前、岩ほどの大きさのあるヒグマが、一族の人間を三人食い殺した。人を襲った獣は「邪神」とされ、狩人たちは優先的に狩ることになっている。十四歳だったアテルも、成人儀礼を兼ねてヒグマの討伐に駆り出された。一度は取り逃がしたものの、アテルはヒグマの脚に傷を負わせることに成功した。そして、その三日後に止めを刺した。


「ヒグマが私の方に向かってきた時、私は少し迷った。一か八かで致命傷を狙うか、脚を狙って動きを鈍らせるか……結局、弱らせてから確実に仕留める方を選んだ……」


「お前の判断は正しかったよ……あの時点では……」


 兄もアテルが悔しがっている理由を知っていた。だが、彼の言葉は何の慰めにもならなかった。アテルは握りしめた拳で床を殴る。


「でも、私の判断が遅かったから、アイツを三日生き長らえさせることになった……その三日の間に、もう一人が……」


 仕留めたヒグマを解体すると、胃の中から人間の身体の一部が見つかった。ヒグマのいた場所の傍には、同じ人物のものと思われる亡骸もあった。狩人たちとは瞳の色や顔立ちの違うお婆さんだった。彼女こそ、クラリスの祖母だったのだ。


「アイツが向かっていったのが、兄さんの方だったらよかったんだ……兄さんなら、確実にアイツを仕留められた……そうすれば、クラリスは一人ぼっちにならずに……」


 再び床を殴る。自分の一瞬の迷いが、クラリスから家族を奪ったのだ。アテルは駄々をこねる子供のように喚き散らす。


「私は英雄なんかじゃない! あんな下手くそな戦い方じゃ、何も守れなかった!」


「お前は悪くない……あの時は『おそろしの森』に人が住んでるなんて、誰も知らなかった」


 包丁を置いて、兄が歩み寄る。彼は妹の背中をさすろうと手を伸ばすが、アテルはその手をはねのける。諦めたように溜め息をつき、兄はゆっくりと語りかける。


「あの二人がどうして『おそろしの森』に住んでいたのかは解らない……けど、いずれお婆さんは病気か何かで亡くなって、クラリスは一人ぼっちになっていたかもしれないんだ……あの子の存在に気付けただけでも、良かったんじゃないのか?」


「グアアアアアアアアアッ!」


 湧き上がる感情どこにぶつけて良いか解らず、アテルは咆哮を上げる。その声は家の外にも聴こえているだろう。だが、それを気にする余裕はなかった。たった一人の女の子の家族すら守れなかった自分が悔しい。


「そんなに後悔しているなら、ちゃんと自分の失敗の責任をとれッ!」


 兄とは違う男の声がして、アテルは家の入り口の方を見る。そこには、頬に深い傷跡を刻んだ男が立っていた。アテルの父だ。


「これから一族の者で集まりがある。お前たちも来い。『おそろしの森』に住んでいる娘のことを話し合う……」


 父の鋭い眼光が、アテルを貫く。


「アテル……あの子の家族を死なせた責任をどうとるか、お前が決めるんだ!」

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