あなたから君の返事にかけての短編集

甲池 幸

あ【あなた】

拝啓 親愛なるあなたへ。


 まずは、宛名に名前ではなく「あなた」なんて表記をする身勝手をどうかお許しください。宛名に名前を書いてしまったら、本当にあなたに手紙が届くと勘違いしてしまいそうで、怖かったのです。ごめんなさい。


 届かないと知っていて手紙を書いていることを知ったら、あなたは怒るでしょうか。そんなことで怒らないよ、とほほ笑むような気も、早く前に進みなさい、と諭されるような気もしています。


 多くの些細でなんでもなくて、とても幸せな日々の、あなたと過ごした日々の断片を繋ぎ合わせて、推理してみたのですけれど、どうしてもあなたが何とおっしゃるのか分かりませんでした。例えば、紅茶を飲んだマグカップをすぐに水につけないときは怒るでしょう? でも、目が冴えてしまって真夜中に起きだしてホットココアを飲んでいる時は微笑んで「ひとくちちょうだい」なんて言って見せるでしょう? もう声も届かないあなたに手紙を書くという行為は、どちらに当てはまるのか、皆目見当も付きません。


 出来ることならば、あなたの口から、あなたの声で、その答えが聞きたい。怒られるのでも、微笑まれるのでも、どちらでも構わないから。だから、もう一度、あなたに会いたい。


 そんなことばかりを考えている日々です。例えば、空にクリームパンのような雲が浮かんでいるとき。あなたなら何に例えるのだろう、と思います。例えば、網戸に蝉が止まってうるさいとき。あなたならどんな風にそれを受け止めるのだろう、と思います。例えば、冬の夜空に練習用の花火が上がっているのを見たとき。あなたならテラスに机を持っていくのでしょうか、と思います。


 日常のすべてにあなたが居て。

 思い出のすべてにあなたが居ます。

 どこを見ても、あなたが居ます。

 なにをしても、あなたが居ます。


 世界の全部が、あなただったのだと、ようやく気が付きました。手が届かなくなってから気が付くなんて、なんとも在り来たりで、なんとも馬鹿らしい話です。どうか、笑ってくださいね。


 最後に、ひとつだけ。

 いつか、あなたにもう一度会える日を、心待ちにしております。どれほど遠くに離れていても、いつまでもあなたをお慕いしております。ですから。ですから、どうか、その遠い夜空の駅で、待っていてください。


敬具


追伸


 庭の桜は綺麗に咲きました。あなたの居る場所からも見えることを願っています。

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