3の本
強くておいしいアイスクリームさん
「ホッキョクグマっているでしょう?」
筒井つづり嬢は脈絡のなさに定評がある。しかし、熊についてはちょっとしたものだという自負がある自分は確信を持って即答した。
「ホッキョクグマ、いるね」
いわゆるシロクマさんである。英語ではポーラーベアと呼ばれる。学名のウルスス・マリティムスは海に棲む熊という意味で、その名の通り泳ぐのが上手でアザラシを捕って食べる。実は毛の色は白ではなく透明で、光の反射などで白く見えているだけであることがわかっている。しかも肌は黒い。イメージするなら、ヒグマさんが恐ろしく寒い地域に引っ越したらストレスで全身脱色してしまった、みたいな姿をした生き物だ。
つづり嬢は肩の少し上の高さで、くせ毛のくるっとした先端を指でもてあそびつつ、お菓子しか食べたことがないような可愛らしい口を開いた。
「この前コンビニで白くまというアイスを見かけたのだけれど」
あぁ、なるほど。と自分の中で腑に落ちた。脈絡がない、と思ったものでも、思わぬ日常から関連が繋がっているものである。と色々自分の中で消化していたが、続くつづり嬢のセリフですべて台無しになった。
「あのアイスはあまり強そうじゃないのね」
「アイスの……強さ……?」
どこで使うんだそのパラメーター。
「強さって、どういう意味?」
「強さは、そのまま強さだけれど」
強い、というのはどういうことか。色々な考え方はできるがとりあえずパッと定義すると『他と比較して上回ってる』といったところだろうか。比較対象がいなければ強いも弱いもない。つまり、ひとつ言葉遊びをしてみれば、『絶対的強者』というのは存在不可能ということになる。上でも下でも存在する時点で定義としては『相対的強者』になってしまうからだ。
さて、簡単に強さの定義はしてみたものの、これだけだとまだ曖昧過ぎてアイスの強さを解釈するには難しい。もう少し意味を限定するなら……強さが言及されるのはいつだろう。そう、戦う時だ。アイス同士が戦う時、真にアイスの強さが試されるのである。
「つまりつづり嬢が言いたいのは、ホッキョクグマは強い動物なのに白くまアイスは強そうなアイスに見えないってこと?」
自分で言いながら意味がわからないが、流れとしては間違いないだろう。
「違うわ」
間違っていました。
「動物園にはよくホッキョクグマがいると思うのだけれど」
「はい」
なぜか敬語になってしまう。
「アイス売り場では白くまをそんなに見ないから」
「えっと……」
つまりどういうことかというと。
「強さというのは、市場シェア的な話ですか?」
「なんで敬語なの?」
不満げにしながらも、つづり嬢は否定しなかった。
どれだけシェアを得ているかを『強さ』と表現するだろうか。いや、ある種ブランドみたいなものだと判断すればそうともいえるのかもしれない。つづり嬢に限らず図書委員というのは読んでいる本に言葉の選択が影響されやすいところがあるので、もしかしたら今読んでいる本に『市場でのブランドの強さ』みたな話があるのだろうか。いや、ほぼ確実にあるのだろう。そうに違いない。
ここで今日これまで繰り広げられた会話で足りなかったパズルのピースが揃った。大前提として、つづり嬢はブランド価値を基軸に会話を始めていたのである!(これほどエクスクラメーションマークが相応しいタイミングはないだろう)
そんな馬鹿な、などと思われる
「確かに白くまはどこにでもあるという感じじゃないかな。夏限定な気もする」
「でもアイスからすると、見つかりにくいほうがいいでしょ?」
おっと……? どうしたんだ、また難しい話が来たぞ……?
今日のつづり嬢はどうにもいつもと調子が違うように見受けられる。体調でも悪いのだろうか……と顔色を窺うと、眠たげな、それでいて可憐で、誰も足を踏み入れたことのない雪原で咲く一輪の花のような
さて、皆さんも混乱してきただろうから、今回はここで早々にネタ晴らしというか、こんな混迷した状況に陥った直接の原因を述べさせて欲しい。
つづり嬢はこの日、徹夜した上に発熱していたのだ。
そうだとわかってみれば確かに調子が悪そうではあったのだが、筒井つづり嬢は
ということで、ここから先はつづり嬢が平常ではないという前提で、自分が戸惑っている様子に付き合って欲しい。
「アイスが見つかりにくいほうが良いって、どういうこと? 売れるためには見つからないと困ると思うけど」
「でも、食べられてしまうのよ?」
アイス主観でいうと、そうかもしれない。そうではないかもしれない。先述の事情を知らず真面目に考えていた自分はやはり大きな混乱の中に囚われていたが、
「うん、食べられてしまうのは……困るかな……アイスさんとしてはね?」
原理的につづり嬢を否定することができない脳になってしまっている自分は、つい消極的に同意してしまった。
「だからね、白くまアイスは強くないけれど、それはアイスにとっては良いことなんじゃないかしら」
「確かに、そうだね。ホッキョクグマほどの強さはないけれど、それは白くまにとっては良いことだね……?」
先ほど同意してしまったこともあり、もはや自分は混乱しながらも頷くだけの存在になろうとしていた。
もちろん、自分にはまだいくつか手段は残されているように思う。これが委員会で他の図書委員と意見をぶつける場面であったなら、自分は一歩も引くことはなく、語気を強めて論理の道筋を舗装しようとしただろう。
しかし、自分が今話している相手は誰だ?
想像してみて欲しい。
もしあなたが何かしらの宗教の
まぁそんな状況になったとして、神様相手に「ちょっと意味がわからないです。おかしくないですか?」などと言えるだろうか? いや言えるはずがない。言えるやつは信仰心が足りないし空気が読めていないしデリカシーがないし足が臭い。
とりあえず反論する気持ちは欠片もなかったので、うんうんとつづり嬢の言葉に相槌を打ち続ける。
「それで、私は白くまを買ったの。それで、村高さんが、白くまが懐かしいって言っていて。熊が懐かしいなんて、私笑ってしまって。熊ってほら、動物園にいるでしょう?」
しかし、もう少し話していると、もはや白くまと本当の熊が混同され始めている気がする。
本当に大丈夫つづり嬢?
とうとう疑念を抑えきれなくなった自分は、そっと顔を寄せて表情を近くで見ようとする。
つづり嬢の表情は変わらない。神の与えた造形もそのままだ。しかし……少し、ほんの少し赤く見える……?
「……なに? また変なことを考えているの?」
そこで、つづり嬢がはぁと大き目の吐息を出した。うわっはぁ大好きな憧れのあの娘の吐息が顔に!!! と興奮したのも束の間、自分は吐息が含んだ明らかな熱量に気付いてそれどころではなくなった。
「ちょっと待ったつづり嬢」
「なに、白くまはまだ、冷凍庫に入れているけど」
「まだ食べていないのはわかった、ちょっと額を失礼するよ」
そうして額に手を伸ばしたことで彼女の異常が明らかになり。村高さんに連絡を取ってもらって、つづり嬢は図書室から帰っていくこととなったのである。
後日談ではあるが、結局つづり嬢は土日を挟んで翌週も2日間休んでようやく学校に復帰してきた。
彼女が言うには、前回の図書室では隣に座ったホッキョクグマと白くまアイスのことについて話していたという。熱にうなされた時の夢と合わさって、なんかそんな感じの記憶になってしまったらしい。
そして──
「あなた、少しだけ熊になれちゃったわね」
自分に向かってそんなことを言ってしまうのだ。
自分はその時、その場で叫びながら走り回らないよう、暴走する恋心を必死にセーブしていたのであった。
筒井つづりの取りとめない話 白ゆうき @haku_yuki
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