ハロー新世界
前花しずく
おはよう、みんな
雲一つなく晴れた朝。目を覚ました少女は軽く目を擦って布団から飛び降りる。うーんと真上に伸びをして大きいあくびをしながらとぼとぼ光漏れる窓に近付くと、木でできた開き窓を勢いよく開け放った。
「うーーーん……! いい天気!」
両手を広げて息を胸いっぱいに吸いこむと、酸素が身体中に行きわたる心地がする。しばらくそこで日光を浴びて深呼吸をしてから、出掛ける支度を始めた。鼻歌を歌いながらパジャマをベッドの上に脱ぎ捨て、爽やかなワンピースを頭からかぶる。今日みたいな陽気のいい日にはぴったりだ。そしてお母さんの形見である大きいリボンのついたゴムで肩まである髪を束ねる。それからハンカチと、麦わら帽子とりんごを一つ。それから傘。これだけ晴れていても天気は急に変わるから傘は必ず持っていく。
「おはよう、みんな」
外へ出たらまずはあいさつがてらウサギとリスに餌をあげる。餌と言ってもさっき持ってきたりんごの皮だけど。皮はみんなにあげて、中身は少女自身が食べる。ウサギもリスもいつからかこの辺りに棲み付いて、今ではこうして少女と食べ物を分け合って暮らしている。リスはなかなか触らせてくれないけどウサギは自分から少女にすりよってきて、頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めた。
「おいしい?」
少女が井戸の水を汲み上げながら微笑みかけると、みんなは食べるのをやめて顔を上げる。気持ちが届いているみたいで少女は嬉しくなった。
「またあとでね」
にこにこしてウサギたちに一旦の別れを告げると、少女は街の方へと歩きだした。少女は毎朝、みんなにあいさつして回るのを日課にしていた。街、森、丘、そこにいるみんなに元気にあいさつをしていく。
「おはよう!」
最初に声を掛けたのは電柱に留まっていたクワガタ。彼はじっとしているように見えてのそのそと電柱を上っていく途中だった。あまり昼間に見かけることはないけど、彼は何をしているのだろうか。
「森の方に行かなくていいの? ここは蜜とかないよ」
少女がそう言っても、彼は黙って歩みを進めていく。よくは分からないけど、何か理由があって上っているらしい。
「強情な子ね。じゃ、元気でね」
少女は彼に軽く手を振ってまた街を先に進んでいく。
「おはよう!」
次に声を掛けたのは建物の壁にびっしりとつたを這わせた葛。数日前にはまだ看板の下くらいまでしかなかったのに、もう看板のてっぺんにまで届いていた。『ATM』と書かれていた部分は葛のつたに突き破られて何もなくなっていた。
「君たち、よくこんなに育ったね~!」
少女も感心して彼らを見上げる。壁一面に茂った青い葉は日光に照らされて輝いてすら見えた。
「もっともっと大きくなれるといいね! また今度!」
また軽く手を振って歪んだアスファルトの上を進んでいく。ところどころ穴が開いていたり、逆に山みたいに盛り上がっていたり。歩きにくいけど、根が張り巡らされた山道を歩いているみたいな気分になって少女は好きなのだった。
そのとき、誰かを踏みそうになって少女はぱっと飛び退く。
「わわっ、ごめんね、気付かなくて」
道のど真ん中で触角を掃除していたのはゴキブリだった。踏まれそうになったくせに全く焦った様子もなく、てくてくと歩いてすぐそばのお店に入っていった。
「ここがあなたのおうちなの?」
割れたガラスに注意して中を覗くと、そこには確かに彼女の仲間たちが棲み付いているようだった。他にもゴミムシダマシだったり、シデムシだったり、アリも列を成してこのお店に出入りしているようだった。
「へー! ここがみんなのおうちなんだね! おはよう!」
大きな声であいさつをしたけど、返事はない。彼らは夜行性だから今は日陰で休んでいるのだろう。少女はそれを分かっていたから、手だけ振ってお店をあとにした。
もうしばらく進むとアスファルトがなくなって、土の上に瓦礫が散乱しているところに出る。さっきにも増して歩きづらいけど、両側に建っているものがほとんど崩れているから空がよく見えるから少女は嫌いではなかった。
「あ、おはよう! ひさしぶり、みんな!」
そこで出会ったのはハイエナの群れだった。彼らは移動して生活しているのでたまにしか会わない。ハイエナは少女を見つけるときゃっきゃと鳴いて歓迎した。
「元気にしてた? 痩せちゃったりはしてないみたいだね!」
ハイエナは元気なことを見せるように少女の周りを駆けまわる。撫でたりはできないけど、少女は彼らの元気な姿を見れるだけで満足だった。彼らはひとしきり少女の周りを走ると、そのままの勢いで瓦礫を飛び越えてまた別の場所へ移動していってしまった。
「あ、また会おうね!」
少女が最後にそう言うと、また遠くからきゃっきゃと鳴き声が返ってきた。
「それにしても……そろそろ暑くなってきたな」
少女は額に浮いた汗を拭いながら呟く。この時間になると二個目の太陽が顔を出すから日陰がほとんどなくなる。気温もどんどん上がるし、早めに日陰を探さないと熱中症になってしまう。少女は急いで瓦礫の道を進んでいって、森の中へと駆け込んだ。ブナやクヌギが生い茂る森の中では、流石に日の光は届かずひんやりとしていた。
「おはようございます、樹木さんたち!」
少女は森にも挨拶を欠かさない。木々はただざわざわと葉音を立てるだけ。でもいろんな動物の食べ物を作り、水を溜め、日陰を作ってくれている。少女は感謝のために高らかに歌って歩くのだった。そして森の中にはたくさんの動物が、虫が、植物が住んでいる。その一人一人に少女はあいさつをして話しかけていく。少女にとって彼らは家族であり、動物たちにとっても少女は家族だった。
森を抜ける頃には一つ目の太陽が傾いて気温が少し落ち着いてきた。
「それじゃあばいばい! また明日!」
森に大きく手を振って少女は丘を駆け上がる。丘のてっぺんには種類も分からない巨大な巨大な一本の木が植わっていて、その枝には一年中何かしらの果実が成っていた。
「おはようございます! 今日も少しだけいただきます」
少女は両手を合わせてから、成っている実を三個だけもぎとった。今日の実はりんごだった。少女はふう、と巨木の根元に腰を下ろして一休みした。これから家に帰って何をしようかな。お絵描き? かけっこ? そんなことを考えていると、いつの間にか近くに犬がやってきていた。人懐こいらしく、自分から少女に近寄ってくる。少女は何も言わないで犬の方に手を伸ばして、手際よく首の骨を折った。
「それじゃあまた明日来ますね! さよなら!」
犬の身体を片手に少女は満面の笑みで巨木に別れを告げる。二つ目の太陽が沈みかける。そろそろ三つ目の太陽が顔を出す。少女の一日はまだ始まったばかりだ。
ハロー新世界 前花しずく @shizuku_maehana
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