第205話 車の中で


 次の日の朝──

 指定していた時刻丁度に、執事が迎えにきた。


 普段通り、真っ黒な燕尾服を着たレオは、餅津木家に入るなり、品よく一礼する。


「お待たせいたしました、お嬢様」


「別に待ってないわ。時間、丁度よ」


 迎えの時刻は、朝9時。


 そして、張子時計が丁度を知らせた瞬間、執事は訪れた。もはや流石とも言える。


 だが、レオとしては、遅すぎるくらいだった。


 執事としては完璧な時刻。だが、恋人としては、日が昇ると同時に迎えに来たいくらいだったのだから。


「五十嵐。冬弥さんから、両親への贈り物を頂いたの。あとで届けてくれる」


「畏まりました」


 だが、その後、結月が、にこやかに笑いかければ、レオは品物を受け取りながら、執事として言葉を重ねた。


 できるなら、今すぐにでも抱きしめたいくらいだが、ここで結月の苦労を無駄にするわけにはいかない。


「それでは、冬弥さん。とても素敵なお時間を、ありがとうございました」


 すると、結月が冬弥に語りかけ、メイドや冬弥の両親たちに見守られる中、冬弥も、また笑いかける。


「あぁ、こちらこそ、昨夜は、忘れられない夜になったよ。でも、しまったから、帰ったら、ゆっくり休むんだよ」


「え、あ、はい……そうしますッ」


 すると、結月は、あからさまに頬を染め、恥じいの表情をみせる。


 もちろん、それは、メイドや親たちを欺くためのなのだが、無理をさせたなどといわれると、流石のレオも不安になる。


(大丈夫……だったんだよな?)


 結月の表情を見るに、きっと計画は成功しているはずだ。


 だが、そう思いたいが、まだ確信は持てなかった。


 レオは、すぐさま荷物を手にすると、その後、結月をエスコートし、足早に餅津木家を去ったのだった。







   第205話「車の中で」








✣✣✣


「ふぅ……っ」


 普段よりも広く洗練された高級車の中、結月は、シートにもたれかかり、深く息をついた。


 やっと終わったからか、さすがに気が抜けたのかもしれない。急激に睡魔が襲ってきて、心地よい車の揺れを感じながら、結月は、ゆらゆらと船を漕ぎ始めた。


 ──キキッ


 だが、今にも寝落ちそうになったその瞬間、突然、車が停まった。


 まだ、さほど走っていないし、屋敷に着くには、早すぎる。


 そう思って、スモークフィルムがはられた車窓から外をみれば、それは、どこかの公園のようだった。


「……レオ?」


 あまり人気のない公園。

 だが、なぜ車を停めたのか?


 不思議に思い、結月が声をかければ、レオはその後、運転席からおり、後部座席、つまり結月の隣に乗りこんできた。


 リムジンの扉がバタンと閉まり、レオが結月の目の前までやってくる。


 すると、レオは、そっと結月の頬に触れたあと


「大丈夫だった?」


 そう言って、心配そうに瞳を揺らす執事を見れば、レオがどれほど不安だったか、昨夜の様子を垣間見た気がした。


 結月は、そんなレオ手に、自分の手を重ねると


「うん、大丈夫。冬弥さん、味方になってくれたわ」


「そうか……怖い思いはしてない?」


「うん。夜はね、一緒に漫画を読んだの。それに、ちゃんと指1本触れさせずに──きゃっ!」


 瞬間、レオが結月を抱きしめた。


 強く強く、隙間なく身体を抱き寄せれば、その熱は、ずっと求めていたもので、結月の瞳からは、無意識に涙が零れ落ちた。


「……っ」


「結月? やっぱり、何があった?」


「うんん。違うの。本当になにもなかったわ。でも、レオに抱きしめられたら、なんだか急に……っ」


 餅津木家を離れて、今こうしてレオの温もりを感じてホッとした。


 決して隙を見せないように、常に毅然とした態度で振る舞い、立派にやり遂げた。


 だけで、やっぱり──怖かった。


 一歩間違えば、どうなるか分からない。そんな場所で一夜を過ごすのは、これまでにないくらいの恐怖だった。


「結月」

「ん……っ」


 震える結月を抱きしめながら、レオが、そっと目尻に口付けた。


 まるで、不安や恐怖を取り除くように、目尻や頬に、優しくキスを施す。すると、その焦れったい動きに反応して、結月は、くすくすと笑いだす。


「ふふ、レオ、くすぐったい」


「じゃぁ、もっとくすぐってあげようか?」


「え?」


 すると、文字通りレオは、結月の脇腹に手を移動させ、こちょこちょと、くすぐりはじめる。


「ひゃ……ちょ、やめ…っ、やめて、レオ!」


 泣いていた結月が、声をあげて笑いだす。


 それは、お嬢様には有るまじき反応だったが、普通の女の子らしい反応でもあった。


 品よく微笑む結月もいいが、こうして、声を上げて笑う結月も、また可愛い。


 そして、その声が車内から漏れることがないのをわかっているからか、レオは更に、結月の弱い所を攻め始めた。


 阿須加家の中でも、特に防犯性の高い車で来たからか、お嬢様が、中で執事にくすぐられているなんて、誰も気づくことはないだろう。


 だが、そうして無邪気に笑う結月を見て、レオはホッと息をついた。


 本当に、なにもなかったのだろう。


 もし、冬弥との間になにかあったとすれば、こんな笑顔、見せてはくれないだろうから……


「無事でよかった」


「……っ」


 安堵と同時に、結月を抱き締めると、結月は、そんなレオの背に手を回し、静かに身をゆだねた。


「レオのおかげよ。色々、準備してくれたから」


「何を言ってるんだ。全部、結月の力だ。俺は、待つことしかできなかったんだから」


「でも、待っててって命令したのは、私だし。それより、夜はちゃんと眠れた?」


「眠れるわけないだろ」


「もう、心配しすぎよ。帰ったら、レオもしっかり休んでね」


「大丈夫だよ、俺は。それより、一眠りしたら、夕方からパーティーをしよう」


「パーティー?」


「あぁ、クリスマスパーティー。相原や冨樫が、飾り付けや準備をしてくれるって」


「ホント!」


 レオの話に、結月の表情が、パッと華やいだ。まさか、屋敷でパーティーができるなんて!

 結月は、嬉しさのあまり、ぎゅとレオに抱きつくと


「私たち、とても幸せ者ね。たくさん、仲間ができたわ」


「そうだな」


「絶対に成功させなきゃね……あと、少しだもの」


「あぁ」


 あと少し、あと少しで──夢が叶う。


 好きな人との、何気ない日常が手に入る。


 自分たちにとって、決して叶うはずのなかったものが


 ──やっと、手に入るのだ。



「結月」


「ふ、ん…っ」


 再び名を呼べば、結月の唇に、レオの唇が重なった。


 触れるだけのキスは、時折、角度を変え、何度と降り注ぐ。


 甘い吐息と、熱っぽい視線。


 甘美な口付けは、互いの熱と同時に、安らぎに満ちた感情を、ゆっくりと身体の中に浸透させていく。


 たった一晩、離れていただけなのに、とても長い時間、離れていたような気がした。


 抱きしめられるのが、嬉しい。

 キスをするのが、心地いい。


 すると、それから暫くして、結月の身体は、ゆっくりと後部座席に押し倒された。


「え? ちょ、なにしてるの?」


「なにって、屋敷に戻ってからじゃできないだろ」


「で、できないって、こんな場所でなんて……っ」


「はは、一体、どこまで想像してるんだ? 別にするわけじゃないよ」


「……っ」


 結月が、顔を真っ赤にすれば、結月を組み敷いたレオは、どこかイタズラめいた笑みをうかべた。


 まぁ、ここは高級車の中。シートはフカフカだし、座席も一般の車より広く設計されている。


 だから、それなりに余裕はあるので、正直、最後までしようと思えば出来なくはない。


 だが、流石に、それは──


「レオ? 何考えてるの?」


「いや、別に……そんなに不安そうな顔をしなくても、少し、じゃれ合う程度だよ」


「じゃれ合う?」


「あぁ、早く帰らないと、みんな心配するだろうしね。でも、もう少しだけ──結月を感じたい」


 不安だったからか、もう少しだけ、触れていたいと思った。


 もっと、近くで、結月を感じていたい。


「嫌?」


「……っ」


 甘えるように尋ねれば、その後、結月は、無意識に頬を染めあげた。


 意地悪な質問。

 嫌だなんて、言うわけないのに。


 いや、きっと、それすらも見越して言っているのだろう。この執事のことだから──


「す……少し、だけなら……っ」


 その後、恥じらいながら、結月が了承すれば、レオは結月に覆いかぶさり、また唇を重ねた。


 薄暗い車中で、誰にも気づかれないように、こっそり愛を囁きあう。


 そして、そうすることで、二人の想いは、より強く重なり合う。



 どうか


 二人の『夢』が叶いますように──





 この先、この愛しい人と




 二度と





 離れることがありませんようにと──…








✣あとがき✣

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16816927862655022228

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