第45話 メリオス伯爵家の変化



 あの日から、メリオス伯爵家は少し変わりました。


 アルチーナ姉様は妊婦として扱われ、料理人が献立をいろいろと工夫するようになりました。

 一時は、ローヴィル公爵夫人から頂いたお茶以外は水も飲めなくなっていましたが、それも緩やかに落ち着いて行きました。

 二ヶ月近く経った今では、お姉様の食欲が戻ってきたようです。

 料理人はさらに工夫を凝らし、メイドたちは腹回りがゆったりしたドレスを大急ぎで準備しています。


 リュステック伯爵の次男であるロエルは、アルチーナ姉様のつわりがひどい時は、オロオロとしていましたが、お姉さまが落ち着いてからはお父様と一緒に仕事をしています。

 二人の結婚式の手配は、ほとんどロエルが一人でやったそうです。婚約披露パーティーを中止したり、結婚式を早めたりと面倒な変更があったのですが、ロエルは持ち前の人当たりの良さで乗り切ってしまいました。

 ロエルって優しいだけでなく、有能でもあったんですね。

 気の強いアルチーナ姉様もついていますから、メリオス伯爵家はこれからも安泰でしょう。



 そして。大きな変化が一つありました。


 メリオス伯爵邸から、お母様が出て行きました。

 お父様との間に、どのようなやりとりがあったのかはわかりません。ある日突然、お母様はいなくなっていました。私たちに別れを告げることもありませんでした。

 それについての説明は、今になってもありません。

 お父様は何事もなかったかのように毎日王宮に出仕していますし、屋敷の中は表向きは何の変化もないように見えます。


 でも、お母様付きだったメイドは全員いなくなりました。何人かの使用人の姿も消えました。お姉様付きのメイドも何人か入れ替わっていましたが、それについてお姉様は何も言いませんでした。彼らはどこにいったのでしょう。お母様のところで雇用されていればいいのですが。


 お母様がいなくなった部屋を見に行ったお姉様は、扉を開けて……すぐに閉めてしまいました。私には馴染みのない部屋ですが、お姉様には何か思い出があったのかもしれません。




 さまざまな変化の中。

 ……私はあまり変わりません。

 身長は少し伸びたかもしれません。ネイラを始めとしたメイドたちが、必死の形相でドレスを直していたので、肉付きも少しだけ良くなったと思います。

 変化はそれだけです。

 相変わらず私は広い寝台で一人で寝ていますし、グロイン侯爵様とは、あれから一度しかお会いしていません。


 王都に戻ったばかりでお忙しいだろうし、なんとなく気恥ずかしいし……とためらっているうちに一週間が過ぎ、お会いしに行く口実が見つからないまま二週間が過ぎ。

 良い葡萄酒を贈られたとアルチーナ姉様が分けてくれて、やっと口実を見つけたと王宮へ向かう準備をしていたら、グロイン侯爵様がメリオス伯爵邸を訪れてくれました。


 なんて偶然!と浮かれたのに。

 これから南西の国境に赴く、と告げただけでそのまま旅立ってしまいました。


 ……顔を合わせたらどう反応すればいいか悩んでいたのですが。侯爵様は本当に何もなかったように接して、だいたい一ヶ月くらいの予定であることだけを教えてくれて、すぐに出発です。戸惑う暇もありませんでした。

 それから一ヶ月と少し、お会いしていません。

 あれは侯爵様の配慮……ではないのでしょうね。本当にお忙しい方みたいですから。



 すっかり気が抜けてしまいましたが、おかげでいろいろ考える時間ができました。

 王国の南西部の地図を眺め、国境にある砦を調べ、近辺の情勢をロエルやハーシェル様から教えてもらいました。

 侯爵様が所属している第二軍が、国内の街道を中心とした広い範囲を担当していることも知りました。

 王国軍で軍団長の肩書を持っている方の中には、高い地位にあるだけの名ばかり騎士であったり高齢すぎたりする方もいると知ってしまいましたし、実質的にグロイン侯爵様が第二軍の中心であることも理解しました。

 だからいつも忙しくて、いつも遠い地まで出向いていたのですね。


 南部の貴族のことも調べました。

 グロイン侯爵様のご実家の領地も地図で確かめました。

 王都から何日かかるのかとこっそり調べたこともあります。周辺の貴族を含めた名簿を覚えてしまった時には、アルチーナ姉様から呆れられてしまいました。



 必要なことも不要なことも、私はたくさんのことを調べ、学びました。

 アルチーナ姉様と一緒に学んだ不相応だった知識を利用し、私は自らの意思でさらに積み上げていきました。


 だから、前よりグロイン侯爵様をめぐる環境のことを理解したつもりです。それが、あの方の妻として必要なことと考えたからです。

 ……それなのに、まだそれを夫であるグロイン侯爵にお伝えできていません。


 お姉様の結婚式の日までには必ず帰還する、という手紙だけは受け取りましたが。

 それから、すでに二週間。

 手紙はそれ以降は届いていませんし、当然のようにまだお帰りになっていないのです……。





「つまり、あの成り上がりはまだ帰還していないのね?」


 アルチーナ姉様は呆れ顔です。

 容赦のない言葉に反論できなくて、私は無言でお姉様の髪に生花を飾りました。


 今日はアルチーナ姉様の結婚式です。

 私が着た花嫁衣装より地味な、お腹周りも少しだけゆったりしたドレスで、でもお姉さまにとてもよく似合っていました。

 お姉様の表情が明るいからかもしれません。


 ……でも。最近のお姉様は、つわりが楽になったからと言って、少し食べすぎていませんか?

 ロエルは何の不満もなさそうだから、敢えて口には出しませんけれど。


「もうすぐ婚儀が始まるわよ。ローヴィル公爵夫妻が来てくださったのに、妹夫婦が揃わないなんて」

「そ、そろそろお見えになると思います。少し前に王都の門はくぐったとハーシェル様に教えてもらいましたし……」

「そのハーシェル様もいないじゃないの。まあ、私は別に構わないわよ。うちもお母様が来ていないから」


 アルチーナ姉様はどうでも良さそうにそう言ってベールを被りました。

 私が使わなかった、本来の花嫁衣装のベールです。薄くて短くて、お姉様のきれいな金髪とふっくらとした唇がちらりと見えていました。

 思わず見惚れていると、メイドがそっと声をかけてきました。


「エレナ奥様。そろそろお席へ……」

「すぐに行きます」


 私はお姉様のベールのひだを直してから、部屋を出ました。

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