第46話 アルチーナの婚儀



 アルチーナ姉様の婚儀は、私の時と同じ祭壇の前で執り行われます。

 私が婚儀が行われる部屋に入った時、すでに参列する賓客は座っていました。私が祭壇に近い席へと歩いていると、多くの目が集まるのがわかりました。

 値踏みされていると感じます。でも緊張を隠し、気にしないふりをしてメリオス家の席へと行きました。


 お父様はいつも通りの笑顔を浮かべていました。

 でもその隣の席は、誰も座っていません。ぽっかりと空いたままです。多分、そのことでも賓客たちはいろいろ囁き合っていることでしょう。

 お父様はそれを知っていて、それでも平然と笑顔を浮かべています。

 多分、面と向かってお母様のことを問われても、掴み所のない完璧な笑顔で「最近、見かけないのですよ」といつも通りの言葉を返すはずです。


 お母様の姿勢の良い姿がこの場にないのは、私にもわかっていました。でもまだあの誰もいない席に慣れません。

 ……お母様は、今、どこにいるのでしょうか。会いに行きたいわけではありませんが……でもお元気であればいいと思います。



 思わずため息がもれた時。

 誰かが近付いて来たようです。周囲に静かなざわめきが起きていました。何気なく目を向けると、背の高い人が私の隣に座るところでした。


「……あ」


 グロイン侯爵様でした。

 目を丸くした私にわずかに微笑みかけ、振り返ったお父様に丁寧な礼をしています。腰に剣を帯びていますが、そのお姿は貴族としてのものでした。


「遅くなってすまない。絶対に着替えろとハーシェルに言われて、屋敷に寄ってから来たんだが。思ったより時間がかかってしまった」

「そ、そうでしたか」


 私はやっとそれだけ言いました。

 少し前に王都に帰還したばかりの侯爵様は、旅の汚れを完全に落としていて長旅の後とは思えません。そして、きらびやかな礼服を着ていました。

 黒い髪は丹念に整えられていて、金糸で飾った襟元には大きな宝石が、胸にはいくつもの勲章が輝いています。

 ……そういえば、婚儀の日の後はずっと騎士の制服しか見ていませんでした。

 そう気付いたのは、ぽかんと見つめてしまった後でした。


「エレナ殿? どこかおかしいだろうか」

「い、いいえ! あの、少し驚いただけで……」

「そうか。ならばいい」


 侯爵様は少し窮屈そうに、襟元を指で引っ張りました。

 その仕草にも見入ってしまって、一人で頬を染めて……私はふと気付きました。


「その服は、もしかして私のドレスに合わせてくれたのですか?」

「そうらしいな。俺には柄にもないと思ったが、あなたの隣に座るのならこのくらいは必要だった。見立ててくれたハーシェルには、また礼を言わねばならない」

「ハーシェル様が?」


 私は首を傾げましたが、すぐに納得しました。

 ハーシェル様がメリオス伯爵邸に来ることはありませんでしたが、姉君のローヴィル公爵夫人は一度お見えになりました。その時、帰り際にネイラを呼び寄せて何か話し込んでいましたから、その時にいろいろな情報が渡ったのでしょう。


「あいつに礼を言うと、しばらくつけあがるから面倒なんだが」


 侯爵様は、顔をしかめてつぶやきます。

 そうしていると、とても仲が良いのだなと推測できます。生まれた家格に大きな差がある方々とは思えません。


 私はこっそり後ろを振り返りました。

 少し離れた席に、ハーシェル様が座っていました。

 ハーシェル様も完璧な高位貴族のお姿で、レイマン侯子様とお呼びすべき存在感です。でも私と目が合うと、グロイン侯爵様を指し示しながらニヤリと笑いました。自分の仕事ぶりに満足しているのでしょう。

 私は侯爵様に目を戻し、ほうっとため息をつきました。


「私も、ハーシェル様にお礼を言いたいです」


 思わずつぶやいてしまいました。

 祭司様が入ってきて、前を向いていた侯爵様が私に目を向けます。私は隣に座る侯爵様を見上げ、そっと囁きました。


「今日の侯爵様はとても素敵です。……きっと、他の女の人たちもそう思っていますよ?」


 侯爵様の金色の目が、驚いたように少し見開きました。

 でも、侯爵様が何か言う前に、アルチーナ姉様とロエルが祭壇の前へと進み出て、私たち参列者も全員が立ち上がりました。



 再び座る時。

 侯爵様は、先に座った私の耳元にふわりと顔を寄せました。


「……あなたは、またお美しくなられたな」


 声は低く、短くて。

 侯爵様の顔はすぐに離れていきましたが。


 祭司様が婚儀の祝詞をあげている間中、私の耳には侯爵様の囁きがずっと残ってしまいました。

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