第3話 第二の「お願い」
「お願い、エレナ。ロエルを譲って!」
「どんな誹りも甘んじて受ける。だから、どうか……っ!」
うーん……。
ここで「私を裏切るなんて、絶対に許さないっ!」と叫ぶのも何か違う気がします。
お母様はこの二人の恋に浮かれているのか、それともいつも通りに関心がないのか、いつも通りの美しい笑顔を浮かべています。
お父様はまだ考え込んでいるようですが……これ、絶対に政略的な計算をしている気がします。どうやって婚約相手を変更する話を進めるか、という方向で将来の絵を描いているのでしょう。
そんなことを考えていたら、お父様が額に当てていた指を下ろして、私に向き直りました。
「エレナ。遠慮はしなくてもいい」
……遠慮、ですか?
「よく考えてみるのだ。ロエル君の相手がアルチーナに替わっても、我がメリオス伯爵家とリュステック伯爵家の縁組であることには代わりないだろう?」
そう……ですね。
「だからな、この二人を心の赴くままに祝福しても許されるのだよ。エレナ、私は怒ったりしないから、素直に言いなさい」
……翻訳すると。
「このまま推し進めたいから、さっさと祝福しろ」という命令のようです。
わがままを言えない私の性格を知り尽くしています。こんな言い方をされてしまったら、例えロエルに恋していたとしても諦めざるを得ないでしょう。まして、恋はしていないのです。……空気を読む以外に道はありません。
私はこっそりため息をつきました。
鈍すぎた私の落ち度と言えなくもないですから、仕方がないでしょう。
「ロエル。立ってください。大好きな二人が幸せになるんですもの。とても嬉しいわ」
「エレナ……すまない……」
「ありがとう、エレナ!」
アルチーナ姉様にお礼を言われてしまいました。
とても貴重ですね! ものすごく報われた気がします。でもしばらく「寝取られ令嬢」などと呼ばれるのでしょうか。それは嬉しくないかもしれません。
……いや、待ってください。
「あの、お姉様」
「なあに?」
上機嫌なアルチーナ姉様と、笑顔を貼り付けたお父様を交互に見ながら、恐る恐る聞きました。
「……明日はアルチーナ姉様の結婚式なのですが……どうするのですか?」
私がロエルと婚約していたように、アルチーナ姉様も婚約をしていました。
幼い頃に見切りをつけられた私と違って、美人なお姉様の縁談は吟味に吟味を重ねてきました。
多分、お父様は王弟殿下とか第二王子殿下に嫁がせようと画策していたのでしょう。最有力候補になっていたとも聞いています。
でも年頃になるまで婚約していなかったせいで、国王陛下から忠臣との縁談を持ちかけられてしまいました。もし相手が私だったら、お父様は最高の良縁と喜んでいたでしょう。
でもアルチーナ姉様の縁談の相手は、お父様のお気に召す人ではありませんでした。
なぜなら、そのお相手は……グロイン侯爵様は「成り上がり」だからです。
「アルチーナ姉様の結婚式は明日です。今更、中止なんてできるのですか?」
「中止? なぜ?」
お姉様は首を傾げました。
その表情はどこか幼く見えて可愛らしいです。いつもの華やかな美女しか知らない男性なら、その落差にキュンっと来るでしょう。私たち姉妹と一緒に過ごした時間は長いはずなのに、ロエルはぼーっと見惚れています。
私の存在を完全に忘れていますね。
……あれ?
もしかして、ロエルはいつもこうだったでしょうか。こんな顔をしていたのに気付いていなかったのなら、本当に間が抜けていましたね。
ちょっとうんざり……じゃなくて、自嘲の念に浸りかけましたが、私は話を続けました。
「アルチーナ姉様は、ロエルと結婚するのでしょう?」
「ええ」
「ではグロイン侯爵様とは結婚できないですよね?」
「当然よ」
悪びれないお姉様では話になりません。
私は諦めて、お父様に言いました。
「明日の結婚式は中止ということでしょうか」
「中止にはならないよ。アルチーナもそう言っただろう?」
お父様は曇りのない笑顔です。
予想外の反応に、私は一瞬言葉を失いました。
その隙を突くように、立ち上がったお父様が流れるようにそばにきて、私の肩をぽんぽんと叩きました。
「明日の結婚式は予定通りに執り行われる。国王陛下の使者を始めとした列席者はもう集まっているし、宴の準備も進んでいる。全てを無駄になどできないだろう?」
「……で、でも、お姉様はロエルと……!」
「もう、エレナってこういう時は察しが悪いのよね。そこがかわいいんだけど」
よくわからないことを言いながら、アルチーナ姉様は私の手を取りました。
「明日の結婚式は国王陛下のご意志によるものよ。だから絶対に執り行わなければいけないの。だから、ね。明日は私の代わりをお願いね!」
アルチーナ姉様は、少し鼻にかかった甘い声で言いました。
屈託が全くないのは、いつもの「お願い」と同じです。私に向けられた顔には、それはそれは美しい微笑みが浮かんでいました。
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