第10話 決戦

 空を覆う雲が少しずつ晴れていく中、神殿の周りと広場を男たちが埋めつくしていた。背格好はまちまち、としも十五から五十過ぎまで様々あり、めいめいに斧や鎚などを手にしている。神殿の台座では腕利きの者が護りを固め、人目のつかない柱の陰にはファラハ、そして黒い戦装束に身を包むカーリが控えていた。

 カーリは育ての親やかつての仲間に筋を通したあとも、戦が終わるまで都を去るつもりはなかった。自らを欺いたイドワルとまともに口は利かなくとも、他の者を通して幾つかの知恵を授けていた。挟み撃ちを防ぐため三方の城門を閉ざし、兵の動きを掴むべく斥候ものみとして騾馬を置いた。また元から油に火を点ける手筈に加え、軍を誘きよせる囮として数人を先に神殿へ入りこませた。いずれも忌病いみやまいから癒えた者や女子供だけを用い、兵と相対する男はそれらへ数を割いていない。まさに直に刃を振るう男だけでなく、長らく虐げられてきた窮民すべての力を注ぎ込んでいた。

 台座からは、北の大通りに煙が立ちのぼるのが見えた。城を出た兵たちは炎と煙に巻かれ、少なからぬ数が焼け死んだのであろう。刃を交える刻が来たのが窺えるも、神殿の外へ出ようとするのはカーリただひとり。

「少しだけ、待ってください」

 ファラハは二、三歩ほど足を踏みだしたきり、後ろから袖を掴んで引きとめてきた。装いは街を歩いたときとまるで違い、鮮やかに紋章が描かれた外套を羽織り、見せかけだけながらも肩当てと胸当てを着けている。ここ二日は互いに顔を合わせられず、その間も立ち居振る舞いが前とは大きく変わっており、暇を許されたところで元のように話はできなかったであろうが、影を潜めていた娘らしさがこのときだけは面に表れていた。

「カーリ。ここまでさせてしまい、本当に申し訳がありません」

 戦が間近に迫るというのに、細い肩が小刻みに震えている。頬はかすかに朱に染まり、両の瞳は薄く浮かんだ涙で潤んでいる。今にも倒れんばかりに儚い立ち姿は、奥に座する神体の紅玉ルビーにも照らされ眩いばかりに輝いていた。少なくともカーリは別れを済ませたつもりであったが、胸の痛みに耐えかね一人で先を急いでいたらしい。もしやすると心残りが消えず、万が一の望みを繋ごうとしたのかも知れない。はじめ逸らしかけた顔を押しとどめ、脇目を振らずゆっくりと振りかえった。

「俺こそお前に礼を言わねばならない」

「いいえ。私の行いが許されるとは思っていません。周りの方から言われるがまま、貴方の心を知りながら騙しつづけてきました。戦がどちらに転ぶにしても、何かしら報いを受けて当たり前の仕打ちです。しかし出来れば信じてください。たとえ束の間のみとはいえ、貴方と結ばれたいと願ったのに偽りはないことを。傍にいてくれた貴方を、いつまでも胸に留めおくことを」

 もはやカーリはその声、言葉の他に求めるものはなかった。ただ適うのであれば、ファラハの手元に何かしらを残そうと懐を探る。程なくして胴衣ベストの内側に仕舞った、いつか街を歩いたときに吹いた笛が指先に触れた。

「ではこれを受け取ってくれ。気が向いたときに、これで俺を思い出してくれ」

 指を緩く添えて差しだせば、ファラハも柔らかい掌で優しく包む。次いで腰に巻いた飾りつきの帯に挟み、顔を隠すように細く小さな背を向けた。

「参りましょう。もう争いを終わらせなければなりません」

 短く呟いて神殿から出ていく姿を、カーリは大きく息をついて眺めた。直には目にしていなくとも、どのような顔で歩を進めるかが瞼に浮かぶ。その背が物語る想いを受け、床に映る薄い影を踏んで後に続いた。

 外はそこだけ突きでたように神殿の台座が広がっており、その上に玉座のような飾りつきの椅子が置かれている。傍に大剣を携えたヨガイラをはじめ二十人ちかくの護衛が立ち、足下では数多の男たちがひしめき、兵が戦場に来たるのを今や遅しと待ちかねていた。

 ファラハが現れるなり、男たちはそれまでのざわめきを止める。誰に強いられたわけでもないのに放り投げていた手足を正し、ぶらさげていた得物の柄尻で石畳を突き、どの顔も新たに戴いた主を仰ぎ見た。一同が畏まる様はあたかも女神を崇めるようであり、揃っていずれの瞳にも赤い炎が宿っていた。

 しばし辺りを見回したあと、ファラハは細い脚で台座の縁まで進みでる。足を前に運ぶだけでも仕草の一つひとつが気高く、声には聞き手の身を引きしめる厳かさが備わっていた。

「皆、よく今日こんにちこの場に集ってくれました。すでに敵のうちかなりの数が罠に嵌ったと聞きます。あとは命からがら逃げてくる兵を打ち破るのみ。私たちが再び国を取りもどすまで、あと一歩のところまで来ています。どうかこれまで耐えた私たちや、父祖の苦しみが報われますように」

 地鳴りのような喊声を轟かせ、男たちは得物を高々と掲げる。陽が当たらぬうえ夕暮れが近づく頃だというのに、広場は噎せかえるほどに熱い。何度か上がった叫び声は、ファラハが腕を振り下ろすと一斉に鎮まった。

 やがて遠くから、何やら音が聞こえてきた。その数も指を折って数えられるものではなく、幾つもが慌ただしく折り重なり大きさを増していく。広場に群がる男たちの中で数人が身構えると、他も倣って音の方へと身体を傾ける。それを促すかのように、一頭の騾馬が駆けつけ神殿の前で止まった。

「東から兵が来る。おそらく残された全てだ」

「聞いたか。東の通りだ。陣を組んで兵がどこから来るか皆に教えあえ。この戦をものにすれば都が手に入る。俺たちを虐げるゴンドワヌと、その家臣たちを叩き潰せ。かかれ」

 早馬から報せを受けたヨガイラは、鞘から大剣を抜き切っ先で東を指した。男たちは再びくうを震わせる叫びを上げ、勇ましく足音を踏みならし歩を進めた。

 東の端では早くも兵とぶつかり、激しい鬩ぎあいがはじまった。何人かは急拵えの盾を翳し、筵のように突き出される槍を防ごうとする。だがほとんどが脆い鉄や木で造られ、身につけるべき甲冑や鎖帷子もなく、はじめの十数人が繰り出される刃に倒れた。斧や鎚を振るっても槍が相手では届かず、身内が血を流すのに戦いたか、もしくは前が詰まるのに戸惑ったか、勢いのよかった掛け声が程なくしてどよめきに変わった。

 カーリは台座の隅から、あからさまに怯える男たちを眺めた。うまく兵を罠に嵌められたおかげで、出だしだけは思うように事が運んだ。だが勝ち負けの鍵を握るのは、群れを成す敵を迎え撃てるかどうかにかかっている。多くの男たちは得物を握るのも初めてであり、すぐに怖じ気づくようではいくら頭数があろうと無駄に終わる。

 男たちを戦に引き戻せるのは、玉座の前に立つファラハをおいて他にない。カーリが後ろから手をかけるより早く、すでに白刃の交わる東へ向かって口を開いた。

「進みなさい。私たちが彼らに虐げられ、辱められることが二度とあってはなりません。かつての偉大な王たちや民が神殿から見届けています。今こそ再び国を築きあげるときです」

 騒ぎのなかファラハの声が方々に行き渡ると、退きかけていた者たちは耳を傾け、波打つような雄叫びを三たび唸らせる。一度は足を止めたが今度こそ腹を据え、まるで流れる水のように滑らかに歩きだした。

 男たちは瞬く間に攻めに転じ、少しずつ正面から兵を押し返していく。少しばかり顔見知りが槍にかかるのも構わず、数に任せ兵たちへ挑みかかった。運も味方したか、兵たちは攻めを急ぐあまり陣の奥深くまで飛び込んできている。細長く伸びた列を三方から包んで切り離し、何枚もの盾で固められた護りをたちどころに崩していった。

 兵たちの中には業物の鎧兜を着ける者もあったが、男たちの得物を前にしては役に立たなかった。防ぎきれるはずの薄い剣や細い槍ではなく、切れ味の鈍い斧や刃のない鎚が重みで鉄を突きやぶり、肩や肘などの継ぎ目に当たろうもなら、鎖帷子を粉々に千切り骨までへし折るのだ。一気呵成に飛びかかった疲れも噴きだし、頼もしいはずの肩当てや籠手は手足を縛る枷となった。互いに入り乱れての争いとなっても、兵が押されていくのに変わりはなく、むしろ剣に持ちかえたせいで間合いの利を失う。

 片や男たちの胴や四肢は、日頃から強いられた苦役でいつしか鋼のように鍛えられていた。荷運びに使われていた腕は力強く得物を振りおろし、手向かう兵は数で囲んで思いきり殴りつけ、なお抗う者は滅多やたらに打ちのめす。戦の前は車引きで時おり悲鳴をあげていた脚は、足首を払って兵を転ばせ、倒れたところを寄ってたかって蹴り潰した。憤りが恐れや悲しみに勝り、長きにわたり積もった怒りを力の限り兵にぶつけ、幾人かが足下で血の海に沈んでもみな屍を踏み越え前へ進んでいった。

 男たちは戦に身を置くうち、次第に知恵をつけはじめる。兵ひとりに対し二、三人で立ち向かうだけでなく、小さな徒党を組んでそれなりの数とも渡りあった。前に出た者が傷つけば退き、代わりに後ろの者が前へ出る。逆に囲まれたときは互いの背を預けて守りあい、周りから助けが入るまで時を稼いだ。元から携えていた斧などの柄が折れても、殺した兵の剣や槍を拾いあげて補い、腕の立つものは鎧や兜の隙間を通して相手を斬りつける。手に余る分は他に譲り、或いは兵に奪われぬよう神殿まで届ける者まであった。

 人々の群れは広場から東へと伸び、わずかの間に敵方を呑み込んでいく。篝火と紅玉の神殿に赤々と照らされ、兵を倒していく様は頼もしくある。その姿にはかつて道端で虐げられていた面影は失せ、すでに都の主であるかのような誇らしさが芽生えていた。

 カーリが柱の傍で辺りに目を配っていると、隣のヨガイラが声をかけてきた。

「改めて礼を言う。よくぞ俺たちについてくれた。おかげで今のところは思いどおりに進んでいる」

「頭を下げられる覚えはない。穴蜘蛛を抜けたのは俺の勝手だ」

「だとしてもいくら詫びても詫びたりない。お前がこれだけ力を貸してくれたのに、俺たちは碌に餞も贈ってやれない」

「気にするな。お前も同じだろう。それに気を抜くのはまだ早い」

 横から覗いただけで、顔には穏やかな笑みが滲んでいるのが分かる。屋敷では何かにつけ喰ってかかってきたのに、戦に入ってからようやく面と向かってうち解けられた。足下で続く争いに意を用いつつも、二人はほんの少しだけ気を緩める。

 ところが長く互いを慰める暇もなく、頭の上で赤い光が小さく瞬いた。見やれば厚い雲の下に火の玉が点り、広場を囲むほどの大きな輪を象る。間を置かずして形を保ったまま下へ降り、石畳の上でも灰色の煙と赤い炎をあげた。炎は油が撒かれていないのに消えも弱りもせず、激しさと高さを増しながら立ちはだかり、神殿と広場との行き来をも遮った。

「この炎は誰の仕業だ。どこにいる。分からなければ早く探せ」

 ヨガイラが外に身を乗りだし、神殿の側に残った者に聞いてまわる。荒だてられる声を落ち着かせようと、カーリは後ろから肩に手をかけた。

「雑兵の一人には出来ない。おそらくゴンドワヌだ」

「玉座でだまし討ちを仕掛けてきたときは、ここまでやるとは聞いてなかったぞ」

「城に誘き寄せたとき、俺を消す手筈を整えていた。もし他に使える奴がいるなら呼んでたはずだ。それにさして力も込めずに炎を撃ってきた。後先を省みなければ玉座ごと火の海にしていただろう。だいたい、あそこまでの魔力の持ち主がそうはいない」

 副王の力を肌で味わったカーリも、炎の輪で広場を囲みにくるとは考えていなかった。だが他に思いあたる節はなく、兵たちが押されてから力を振るってきた。望みどおりの成り行きであったかは別として、少なくとも使い手は機を見て策を弄するだけの頭を備えている。

 もっとも相手方とて、カーリたちの腹を読みきってはいない。魔力を秘めたセルクびとの多くは血筋を断たれながらも、難を逃れた者が切り札として残されている。

「お前の力でどうにか消せるか。それとも使い手の他には無理か」

「やってみるが、あまり当てにするな」

 ヨガイラに訊ねても色よい答えはなく、遠くの炎に手を翳してもわずかに勢いが弱まるのみ。腕を下ろし息をつくと、すぐ元どおりに戻されてしまう。

「ここでは力が及ばないが、近づけば出来るかも知れない」

「無理には出るな。どこも兵が多い。お前がやられたら、それこそ手の打ちようがなくなる」

「だったら力の源を断つしかない。仕留めればすぐに炎は収まる。誰かゴンドワヌを見ていないか。どこにいるか聞いただけでもいい。兵に守られ他と違う形をしているはずだ」

 神殿の傍にいる男たちは、一言二言を交わしただけでかぶりを振る。炎に隔てられた向こうにいる仲間は、一進一退で兵とやり合っていた。辛うじて何人かが言いつけに応えるも、突きだしてくるのはほとんどが雑兵の屍ばかり。中には近侍であったラウーの首もあったが、火の魔法が解かれる気配は一向にない。そもそも将など容易くはれず、もし首級が上がったのであれば報せはとうに届いている。

 ヨガイラが苛立つ間にも、戦の流れは変わりつつあった。一度は兵を呑み込んだはずが、炎の壁と挟まれた男たちが狼狽えを見せる。しかも炎は石畳で燃えあがるのに加え、少しずつ内側へにじり寄ってきた。逃れようと身を退ければ兵から斬りつけられ、逆にやりあおうと下手に動きまわれば背を灼かれる。炎は高さも幅も八フィートをゆうに越え、とても無理には乗り越えられない。広場から東側に出ていた者も仲間と切り離され、さして数の変わらぬ兵たちに押し返されていった。

 さらにカーリが策を練るうち、炎の一角が消え入るほどに弱まった。石畳に苔のように張りつくまでに衰え、前が開けたところへ男たちが足を向ける。しかしそれも束の間、前を行こうと気を取られた合間を突き、列を成した騎士たちが飛び込んできた。数は二百を超え、人馬ともに甲冑を纏い、前に立つ者を瓦礫のように踏みくだいていく。広場で固まっていた男たちは多くが馬の蹄に四肢を引きちぎられ、頭や胸、腹などを潰された者は苦しむ間もなく、人の形をまったく留めずに肉の塊と化した。

 近しい者の酷い死にざまを目の当たりにし、炎だけで浮き足立っていたセルク人はひどく取り乱した。まだ数では勝っているというのに、足を竦ませて動きを止めるばかりか、幾人かは得物を投げすてて戦場から逃げようとする。だが騎士たちが通り過ぎたあと、炎はあざわらうかのように再び広場を覆い、先を急いだ者は黒い炭となって転がった。騎士たちは一度のみならず、二度、三度と炎が弱まるのに合わせ、兵の数が少ないところを通りつつ男たちのもとへ飛び込んでは踏みつぶしていく。

「落ち着きなさい。兵はまだ多くありません。先ほどのように戦うのです」

 ファラハが奮い立たせようとするも、助けを求める叫びと呻き声だけが木霊する。徒士だけならまだしも、数を揃えた騎士には太刀打ちできない。斧や鎚は構えるのが精一杯であり、どうにか振り下ろしても当たらずに空を切る。もはや炎に囲まれた広場は、戦を続けるどころではない。兵が失いかけた勢いを取りもどす一方、男たちはかなりの数が怯えを露わにし、まともに立ち合った者も多くが討ち取られていた。

 カーリは辺りに気を払い、足下を見やる。神殿の台座からは、騎士たちの動きが手に取るように分かった。騎士が飛び込むのは炎の壁が消えかけた後と決まっており、どこから来るかも蹄の音からして当たりはつく。だがいくら喉を枯らしても、広場にいる男たちの耳には届きそうにない。

 万策尽きたかに思われたそのとき、西の空に鮮やかな夕日が覗いた。それまで空を覆っていた雲が晴れ、切れ間から差しこんだ光が影を浮かびあがらせる。右を向けば塔の頂があり、数人が槍を構え、ほど近くから宙に走った炎が石畳へ降り、広場を包む円に吸い込まれていく。

 カーリはヨガイラを呼び止め、塔を指でさし示した。

「聞いてくれ。ゴンドワヌはあそこにいる」

「今になってなぜ分かる。新しい報せは来てないのに」

「あそこにいるのが炎の使い手なのは見れば分かる。他にそれと思しき奴はいない」

「もし違っていたとしたら、魔力を振るうのがゴンドワヌとは別の奴だとしたらどうする」

「どちらにせよあそこを狙えばいい。力の源を絶てば火は消える。ゴンドワヌなら首を獲って晒せば戦は終わりだ。こっちは遅かれ速かれ総崩れになる。巻きかえすにはあの塔へ斬りこみをかけるしかない」

 騎士たちは何度も測ったように、炎の壁が開けた狭い道を縫うように突きいってくる。男たちを押しつぶすとき勢いに乗っているからには、かなり手前から駆けだしているはず。向きも攻めるたびに少しずつ違っているのに、馬は一頭たりとも火の粉に触れてさえいない。かくも違わず炎を操れるのは、使い手がどこか高みから戦場を眺めているために違いなかった。

「カーリ。もしあそこを攻めるとして、お前はどこを通そうとしている」

「東には兵がいる。西からだ。もう北の大通りの火も消えている。もっとも広場の外には騎士がいるから、見つからずに行けるかは一か八かだ」

「では仮に辿りつけるとして、誰を行かせるつもりだ」

「登るには広場まで近づかなければならない。炎の壁を抜けられるのはお前だけだ。傍に寄ればどうにか操れると言ったな」

「ああ。ここからでは力が及ばなかったが、近くでなら少しのあいだ思うように出来る」

「ならば頼む。あとはその大剣で槍を払ってくれればいい」

 顔を合わせずに口を開いたが、事を仕遂げるのは難しい。塔を登るだけでも易くないのはもちろん、頂では何人もの兵が護りを固めている。首級を上げられるか如何を問わず、戦が終わったときに生きていられるとは思えない。引きうけるのは命を捨てるのと等しいにも関わらず、ヨガイラは眼下で神殿の護りにつく者へ声を張りあげた。

「いいか。あの塔まで届く梯子を探せ。今から俺があそこにいる奴、おそらくはゴンドワヌの首を獲りにいく。ここが手薄になってもいいから、手の空いている皆は俺と一緒に来てくれ。塔へ運ぶまで壊されないよう、梯子と俺を兵から遠ざけてくれ」

 指図を受けた男たちは互いの数を確かめ、おのおの得物を構えこの場に残るか、梯子を持ちだすかのどちらかに分かれた。みな広場の様子から戦を立て直すのは適わぬと諦め、速やかに賭けに出るべくそれぞれの役目を滞りなく決めた。

「頼んだぞ。戦が終わるまで、どうかお前の手で守りぬいてほしい」

 ヨガイラは大剣を鞘ごと背負い、神殿の表から男たちを引きつれて出ていく。台座の上で主立った顔はファラハしかおらず、周りは十に足らぬ護衛が周りを固めるのみ。あとは塔まで届く梯子が見つかり、辿りつくまで他が持ちこたえられるかどうかにかかっている。

 しかし足音が去りやらぬうち、裏手についていた者たちが駆けよってきた。

「大変だ。どこかから黒い霧が。手で払っても消えない」

「まだ日が落ちていないのにおかしい。梯子を運ぶのを邪魔するつもりか」

 誰の仕業かは、報せを受けただけで判った。外からは隔てられた都の戦にあって、敵方でこの力を振るえるのは一人しかいない。

「お前たちは戻るな。玉座を護れ。あそこには俺が行く」

 カーリが後ろを向くと、神殿の後ろから暗闇が湧きあがっていた。傍からでもただの影ではなく、常ならぬ力で呼び起こされたものと感じとれる。煙のように立ちのぼるそれは、台座の四方を囲いつつも玉座には及ばない。あたかも同じ力の持ち主を、果てなく満ちる暗闇の底へ誘うかのようであった。

 ファラハも同じく勘づいたのであろう、玉座の前で立ちつくしている。唇を閉ざし顔も逸らさず、濃さを増していく大きな影を見据えた。面には事の顛末を受け入れる覚悟が込められている。

 すでに親との別れは済ませたが、都を立ち去る前に務めが残されていた。ゴンドワヌの側は半ば勝ちをものにしかけているのに、護りが手薄となった神殿にわざわざ向かってきている。ついに都を巡る戦こそ相応しい刻と定め、シナンがけりをつけにやってきたのだ。

 カーリは神殿に足を踏みいれ、闇の呪文を胸のうちで唱えた。

──月夜よ癒せ、全てのものを。闇夜よ隠せ、煩いを。

 黒に染まる神殿の左手から、戦装束に身を包んだシナンの姿が現れる。いつぞやのように不意打ちを狙うのではなく、堂々と正面に立ち止まっては二本の短剣を両手に構えてきた。瞳には怒りや怨みではなく、ただ悲しみを静かに映し出している。

 カーリはそれらの情を受けとめ、短剣を左右とも腰の鞘から引き抜いた。城ではいちど不覚を取ったが、かつてのような焦りは些かもない。他の何者の立ち入りも許さぬ暗闇に囲まれ、二人はしばし向かいあい、もの言わずどちらともなく相手へ得物を繰りだした。

 そのさまは、まるで互いが鏡に写る己に闘いを挑むかのようであった。カーリが右の刃を振りおろせばシナンは左の刃で受けとめ、シナンが右の刃を斬りあげればカーリは左の刃でしのぐ。突きはどちらも等しい間合いをもって避け、たいの芯を狙う薙ぎ払いも揃って裏鎬で受けながす。刃は幾度も噛みあうように交わり、その度にそれぞれの手首には痺れが走った。二人は鍔迫りあいでも僅かも譲らず、幾度か刃を押し引きしたのち同じ拍子に足を後ろに蹴って離れた。

 二人は五合い、十合い、二十合いと刃を交える。腕や脚、胴を動かすたびに同じ数の汗が飛びちり、同じ大きさの息をつく。斬り払い、横薙ぎ、突き下ろしなど全てを親から教えられたとおりに放ち、まだ幼かったころ稽古を積むように互いの技を競いあった。

 カーリが顧みるに、シナンとは何もかもが表裏おもてうらの間柄であった。ともに同じ育ての親から同じ教えを受け、修羅場では何度でも互いの背を預けあった。いっぽう見目や気性のとおりに役を違え、余所者に対してはおのおの義と剛勇を謳ってきた。その役は外面そとづらだけであったはずであるのに、果たして何が道を分かたったのか、今となっては解りもしない。その想いはシナンも変わりないらしく、次第に振りあげる腕により強い力を込めてくる。手の甲からは涙のごとく汗が流れ、刃はやり場のない嘆きのごとく音を立てて空に唸った。

 二人の争いは、いつまでとも知れず続くかのように思われた。だがついに疲れのためか、シナンの動きがわずかに鈍った。離れて間合いをとった際に足が止まり、得物を握る拳は下がり構えにも緩みが生まれる。

 その隙をカーリは見逃さず、呼吸いきをはかり爪先を前に蹴りだした。一足とびで懐へ飛びこむや護りの空いた頸をめがけ、短剣を左から横一文字に薙ぐ。遅れて迎え撃とうとしたシナンは得物を翻すも及ばず、カーリの刃だけが肉を裂き、赤い血を孕んで宙を奔った。

 シナンはその場に倒れ伏し、一面の黒へ身を深くうずめる。暗闇の呪文を解いたとき、すでに息は絶え冷たい骸と化していた。辺りに光が戻るとファラハも歩みより、汗や垢に汚れた瞼を閉ざした。生ある間に恵まれなかったからには、せめてこのときは二人きりの暇を与えるのが弔いであろうと、得物を鞘に収めたカーリは神殿の外を眺める。

 すると広場を挟んで向かい側に、塔へ梯子が立てかけられるのが見えた。足下でも激しいやりとりが繰り広げられ、激しく相争う声がより大きく耳に届く。広場を覆っていた炎は塔の近くに集まり、煙を上げて壁を焦がしている。梯子は消し炭のように黒く焼け、全てが燃やしつくされたように思われた。

 しかし他の者たちはいざ知らず、ヨガイラは梯子を駆けあがっていく。下から這いあがるように炎を浴びせられても、互い違いに横木を掴む手の動きを止めない。身を焦がす熱に耐えているのではなく、同じ力の持ち主であるがゆえに炎を操っていた。そして身体の四方に張りめぐらせた炎を、塔の頂めがけ嵐と吹きつける。警固の兵はみな突き落とそうとするも、壁を銜える梯子の鉤までは腕も槍も届かず、逆に火の手を避けんとするあまり塔から足を踏みはずし、どうにか留まった者も喉を灼かれ息絶えた。

 その中でただ一人、ゴンドワヌだけが周りの熱を押しとどめ立ちふさがる。両の掌を広げ、再びあらん限りの力をもって炎を跳ねかえしにかかった。戦の流れを変えた魔力は炎を溜めこみ、やがて塔の頂で巨きな渦を成しヨガイラへと向ける。

 ところが、ゴンドワヌの足掻きはそこまでであった。広場に何度も炎の輪を降らせ、あまりに長いあいだ石畳で燃えあがらせたせいで力が底を尽きた。蜷局を巻いた炎が消えたところでヨガイラが梯子を登りきり、鞘から抜きざまに斬りかかる。警固の兵を失ったゴンドワヌは身を守る術を持たず、斜めに下ろされた長い刃は裸の首をひと振りで斬りおとした。

 首は鈍い音を立てて転がり、ヨガイラは左手でその長く伸びた髪を掴み、眼下に向けて高々と晒す。右手には大剣を持ったまま、息を上げながら広場に向かって叫んだ。

「ゴンドワヌは討ちとった。戦は俺たちのものだ」

 夕日に照らされる顔から、もしくは血の滴る首もとの飾りから判ったのか、兵たちに嘆きの声が広がった。主が討たれたとあっては戦を続ける気を失くし、ほぼ全ての兵が雪崩をうって得物を投げすてた。

 男たちはわずかに残って抗う兵を仕留め、息のある兵も外へ追いやり鬨をあげた。それまで家々に隠れていた女子供は、戦に加わらなかった貴族、商人ら臣民を叩きだしにかかる。広場のみならず至るところから歓呼の叫びがあがり、その日は絶えることなく都じゅうに響きわたった。


 明くる朝を待たずして、都は新しい主の手に渡った。城壁の外でも友軍が戦に勝ち、並みいる将兵が街中へ迎えられている。氏長たちは使者に書状を渡し、人々を苦しめてきた王国へ遣わした。王も負けを認め、もとの領地まで兵の全てを引きあげるという。セルクの民は長きにわたる縛めから解き放たれ、ようやく自らの国を手に入れようとしている。

 ところどころに家の灯が漏れる夜の都を、カーリがひとり歩いていた。戦が鎮まって七日が経ち、目に入るのはこれまで虐げられてきた町衆まちしゅうの生き生きとした姿である。戦が起こるまで人足であった者は城の門で見張りに立ち、車引きで荷を運んでいた者は馬の背に跨っている。生業の変わらない者も身なりを小綺麗に繕い、物腰や仕草も前より穏やかに見える。生きながらえた副王の家臣たちは財物ざいもつを取りあげたうえ虱潰しに追いだしたため、かつて臣民であった者は都に誰ひとりとして残されてはいなかった。

 むろん副王に与した穴蜘蛛たちも姿が見えない。稼業や装いを変え町衆に紛れるのでも、人知れず地下へ逃げ隠れるのでもない。何度か根城へ足を運んでも、人の気配すら窺えないもぬけの殻であった。

 また敵味方の入り乱れた戦に紛れ、皆が死に絶えたようにも思われない。命を落とした者は火に葬され、誰のものか分からぬ骨は裏通りに捨て置かれているが、供えられた遺品にはどれも覚えがない。顔見知りや親しかった仲間の行方は知れず、それらしきものはいくら探しても見つからなかった。戦の跡は街の隅に幾らか残っても、そう遠からぬうちに何処へともなく消え去るのであろう。

 少し前まで道に溢れていた物乞いは、大きく数を減らしていた。あれほど金をせびってきた者も、カーリだけにはそ知らぬ振りをする。ぼろ市でやり込めた物売りも、決まって身内の町衆だけを呼びとめる。いつか代わりに薬を与えた老婆も、礼はおろか頭ひとつ下げずに通りすぎていった。

 ところどころ割れた石畳を踏みしめていると、向かいから男ふたりが慌ただしく駆けてくる。どちらも胴鎧に剣を帯び、時おり顔を突きあわせて右左を見まわしていた。

「もう戴冠の儀が執り行われるのに、あの方はいったいどこへ行かれたんだ」

「昨晩までは一緒に飯を食った。いや今朝までは話もしたのに」

「だがじきに儀式が始まる。このまま進めてよいものか」

「神殿には氏長たちも顔を揃えるから、遅らせるにはいかない。副王の首級を挙げた方は是が非でも見つけなければ」

「そう言えばあの方は、大剣を携えていらした。誰でもいいから見覚えはないか」

「どこを探してもお姿がないんだ。剣もどこにも置かれていない」

「イドワルさまには訊いてみたか。いつもすぐ傍にいらしたから」

「ああ。他の氏長と話があるのか、ただ探しに行けとだけ仰せられた」

 カーリは両の腰に短剣を差し、黒い胴衣と脚衣を身につけていた。二人は穴蜘蛛と判る身なりに眉を顰めるも、すれ違いざまに呼びとめてくる。

「おいお前、ヨガイラさまを見なかったか。大きな剣を背に負っている」

 首を横に振ると諦めたのか、背を向けても追ってはこない。余所に心当たりがあるのか知れないが、足音は二つとも遠のいていく。

 西に聳える神殿を遙かに望めば、数えきれぬほどの町衆が周りを囲んでいた。その外は戦で奪った甲冑を纏う男たちが固めており、カーリが近くを横切るだけで槍の柄を交えて奥へ行かせまいと塞いでくる。

 人だかりは神殿の傍だけでは収まらず、大通りや広場を埋めつくしていた。年格好も老若男女を問わず、忌病いみやまいに冒されると思しき者も、誰からも遠ざけられずに入り交じっている。民はいちど滅びた国を取りもどしただけでなく、この夜、燃えさかる炎が闇に映える夜に、再び自らの王を戴こうとしている。

 広場のいたるところには篝火が焚かれ、紅玉の神殿を燃えるような赤に照らしていた。神殿の台座には氏長をはじめ、戦で功を挙げたと思しき者たちが居ならぶ。いずれも擦りきれた法衣や血に汚れた鎧兜ではなく、外衣トガの上から剣を差し、槍や杖を携えていた。

 人混みから離れて足を止めると、あの笛のがどこからともなく聞こえる。響きは戦がはじまる前に渡した横笛に違いなく、短く細いながらたしかに耳の内で鳴った。

 振りかえれば神殿に上るファラハの姿があり、顔には鮮やかな化粧を施し、腕、首には銀の輪、腰に金の腰紐を巻きつけ、純白の長衣ペプロスを雅やかに棚引かせている。長い袖口を揺らしながら玉座の前まで進み、片方の腕を上げて何事かを言い放つ。人々はみな鎮まるのにも関わらず、声はカーリには届かない。

 台座ではイドワルが立ちあがり、両の手に持った冠を高々と掲げる。月と炎に翳されたそれは、細かな紋様とも相まって眩い輝きを放つ。そして頭を垂れるファラハの額に嵌ると、いっせいに広場から歓呼の声があがる。

「不滅のウーゼル王の一族、セルクの女王ばんざい」

 勝利を讃える人々を背に、カーリは人気の失せた裏通りを歩きだした。喜びに酔いしれる町衆には小さな足音に気づく者も、立ち去るのを見とがめる者も誰ひとりとしていない。天たかく昇る月の下、どこまでも広がる闇に消えていった。

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闇に消ゆ 新宮義騎 @jinguutakeru

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