第9話 因縁
シナンは数人の兵に囲まれ、城の中を歩いていた。護りは一昨晩よりも固められ、羽織を纏った家臣たちが回廊を駆けまわっている。門には番兵が両脇に三人ずつ並び、出入りする者の顔を厳しく検めていた。
カーリが窓を飛び降りてから後を追ったが、外に出たときはすでに姿を眩ましていた。当たりをつけ向かった先ではすでに敵方が群れを成し、とても余所者が近寄るどころではなく、他の幾人かを遣ってもついぞ見つけられず、代わりに穴蜘蛛の一人から言伝を預かるのみに終わった。
扉の開け放たれた玉座には、ラウーのほか二人の近侍を置いたゴンドワヌの姿がある。戦の備えを固めたいのであろう、足を踏みいれるなり手柄の有無を問うてきた。
「どうだ。かなり暇を許したが、グレフは何と申してきた」
「『急ぎ総出でイドワルのもとへ向かったが、勝手に我らとの縁を切り匿われた。裏切り者は掟に照らしあわせ罰するところであるが、すでに争いが目の前に迫るからには力添えに徹したい』との答えにございます。私の恩人ながら、進んで使いも出さぬとは無礼な振るまい。何とお詫びをすればよいか面目次第もございません」
「なるほど。玉座での成り行きは知らせたが、そなたにはつゆも触れなんだか」
城からも穴蜘蛛のもとへ兵が差しむけられ、カーリを探すよう強く迫ったとは聞いた。自らの名が出たからには、一言くらいかけられるだろうと当てにしていた。ところが返事を寄越してきたかつて親しい仲間は、用を済ませるなりその場から立ち去ってしまった。
「義を重んじるはずの者どもが、薄情な頭を戴くものよ。手下が慕っておるのに、見て見ぬふりをしよる」
「戒めに触れた者は、必ず厳しい罰を受けます。いちど抜けてもすぐには許されません」
「それにしてはカーリに甘い。もし本腰を入れて探すのであれば、そのように答えを返してくるはずだ。カーリは縁を切るのと引き換えに、捕らえず逃したのであろう。我らに偽ってまで庇うとは、よほど気に入っていたらしい」
「どうかお怒りにはなりませんよう。よもや殿下に刃向かうはずはありません」
「案ずるまでもない。あの者どもとて身のほどは存じておるはず。しかしそなたも大した尽くしようだ。どれだけ有り難がられるかも分からぬというのに」
シナンは作法を忘れ、跪きもせず深く項垂れた。罪を許されるため掟を破ったのに、久方ぶりに会った顔見知りの仕草からして穴蜘蛛の誰からも疎まれている。勝ちを収めたのち戻ったとしても、冷たく追い返されるのは眼に見えていた。
かといってゴンドワヌに仕える気にもなれない。的はずれにも宿で娘を宛がわれ、今も胸の内を言いあてておきながら面と向かって嘲ってきた。たとえ戦で功を立て褒美を与えられようとも、望むものが得られるはずがなかった。シナンが歯を噛みしめるのも構わず、ゴンドワヌは玉座から腰を上げて傍を通りすぎていく。
「さて間もなく戦が始まるが、そなたは手を貸してくれるのであろうな」
「是非もございません。殿下のためお力添えをいたします」
身柄を絡めとられたうえ的を二度も仕留め損ねては、シナンはどのような言いつけも容れねばならぬ。またあれだけ想いを寄せていたファラハが、このときはただひたすらに憎い。もし出会わなければ仲間から賤しまれることなく、副王らの掌で踊らされずに済んだかも知れなかった。
「嬉しい答えだ。ではいかにして奴らを叩き潰してくれよう。いつぞやも話に上げたと思うが、ここを境にして外は二つに割れておる。北と西は謀反の軍に攻められ、いっぽう南と東は我らの味方が押さえている。儂はこれをうまく使いたいが、そなたはどう考える」
「都の外はこちらと奴らとで、どれほど数の差がありますでしょうか」
「我らは九千、奴らは一万二千、あとは穴蜘蛛が三百。ただし奴らが碌な得物も持たぬのに対し、我らは剣、槍、甲冑を備えた
「私といたしましては、外の戦を当てにするのは止められた方がよろしいかと存じます」
「なぜか。劣っている数を補うのにこれでは足りぬか」
「聞くところによれば、都の外では謀反の軍が押しているとのこと。成り行きいかんにでは、その勢いを持ちこまれるかも知れません。むしろ城門を閉ざし、跳ね橋も下ろし、是が非でもこの地をものにすべきです」
都で戦を交えるにおいて、シナンは副王らが勝つための足固めを図った。貴族や商人たちをはじめ、街を治めるのは外から遣わされた余所者ばかり。その下に仕える兵も数年で
「なるほど。そなたの言い分ももっともではある。たとえ外がどうなろうと、この都を押さえておけば他の下衆どもも下手に攻められまい。儂はそのために軍を広場、つまり神殿の前へ向かわせるつもりだ。奴らも烏合の衆を煽るために、あそこへ頭数を集めるであろうから」
「はい。ですからこちらは先手を打って、神殿の前に陣取るのがよろしいかと。後手を踏んだときはいち早く追い出すべきです。しかし頭数で後れをとるからには、何かしらの策を練らなければなりません。出来れば相手を狭い路地に誘いたいところですが、万に近い軍のぶつかり合いでそれが出来るかどうか」
「下賤の者が頼みとする数の利に、縋らせぬようにせよというのだな。他の者であれば適わぬであろうが、儂がいる限りは造作もない。いくら束になろうと恐るるに及ばぬ」
窓際に立つゴンドワヌは、手を翳し火の玉を浮かびあがらせた。指先を動かすだけで、何本もの筋や十字、幾つも角のある錐と目まぐるしく形を変える。この力を陣頭で思うように振るえば、相手の男たちを蹴散らしてもおかしくはない。
「徒士は小細工せず正面からぶつけ、騎士たちは奇襲に用いるとしよう。あとは穴蜘蛛たちをどうするか。広場にはそうそう入り込む隙はないであろうから、儂は陰ではたらくよう指図しておきたい。そなたがあれを率いるとしたらどう動かす」
「混み合ったところでは、
「やはり地下の道は使えぬか。うまくいけば虚を突けるところであるが」
「もし相手がセルク
「その穴は都に二百数十もあると聞くが、全てを覚えられるものか」
「誓って申し上げますが、穴蜘蛛の者は一つも漏らさず頭に入れております。ましてやカーリが見落とすはずがございません。また相手がそこを通ると分かったときは、不意打ちを防ぐのはもちろん、罠を仕掛けたうえで待ちかまえるのが定法とされております」
「そなたも随分と高くあの男を買うものよ。そもそも穴蜘蛛から抜けたとて、都に留まっておるかさえ分からぬ。とうにここから姿を消したとは思わぬのか」
「あれから行方が知れないからこそ、どこに潜んでいてもおかしくありません。少なくとも私は、カーリが謀反の軍に身を置いていると考えております」
長い付き合いがあったからこそ、カーリが敵の中に入り交じっているのを固く信じていた。直に目にするどころか噂で聞いたわけでもないが、わざわざ面と向かって縁を切ったからには、事が終わるまで都を去るはずがない。穴蜘蛛として培われた知恵を用い、戦ではあらゆる
いや、誰よりもシナンがそれを望んでいた。自らはグレフから見放されたのに比べ、カーリは最後まで情をかけられたばかりか、ファラハと戦の命運まで共にしている。はじめ裏切りをはたらいたのもグレフ、ファラハふたりのためであったのに、どちらとも手の届かないところまで離れてしまった。
「ですから殿下、カーリから目をお離しになりませんよう」
「そこまで申すなら気にかけて損はなかろう。だが広場は互いの兵で溢れかえるはずだ。穴蜘蛛どもの例に漏れず、周りで繰り広げられる争いから逃れられるとは思えぬがの」
「カーリには
「一昨晩はそなたが退けたが、難しいと申すか」
「勝ち負けには時の運がございます。必ずしもお命をお守りできるかどうか」
「仕留められぬまでも、近づけさせねばよいのであろう。それなら手練れのもの七、八人を傍につけ、槍を構えさせるだけで手出しもできまい」
「あとは殿下の軍が押しているときも、どうか周りにお気をつけください」
「儂が押されているときではないのか」
「はい。カーリを差し向けてくるとしたら、奴らが賭けに出るときのはず。つまりその他大勢の如何に構わず、戦を決しようと動くときかと存じます」
「たしかに奴らが勢いに乗っているのに、替えの利かぬ手駒を白刃の下に晒しはせぬな」
「ですからその前に私がカーリを討ち、もし適うものであればファラハの
ゴンドワヌは黙り、小雨の降りしきる城の外を眺めた。玉座の窓から都を一面に見下ろし、軍を進めるにあたりどこへ陣を置くか、申し出を聞きいれるか否かを案じる。そのあいだ腕を組み爪先で床を打つ仕草を、シナンは後ろから固唾を呑んで窺った。並ひととおりに考えれば、陣を離れるなど許されるものではない。都の外から邪魔が入らぬよう、カーリが敵の中に潜むと強く説いたのは、もはや残されたただ一つの望みを果たすために他ならなかった。しばらくしてゴンドワヌが痩せた横顔を覗かせる。
「そなたはよほどカーリが妬ましいと見える。その手でさぞ首を掻ききりたかろう。これまでの功を認め、申し出を認めて遣わす。あらかじめ旗印を引き裂くのはしくじったが、戦が始まってから気勢を挫くのも悪くない。ただし儂が許すまでは近くにおれ。もし儂の命に危ういときがあれば、そなたが身を挺して守ると誓え」
戦が終わっても都に留まるつもりはなく、かといってただで命を捨てる気もない。主従の間柄にない者を傍に置く側もそうした腹の内を見抜き、無理は通せないと覚ったらしい。シナンは大きく息をついて右手を腰に当て、床に膝を落とし深く面を伏せた。
それから四半日も経たぬうち、セルク人たちの集う南から狼煙が上がった。表では貴族や商人たちの姿が消えた代わり、城の周りは集められた兵でひしめいている。
シナンはおよそ隊の中ほどで、ゴンドワヌとともに鎧つきの馬に跨っていた。四方を固める騎士たちの間を縫い、湿り気を帯びた風が顔を撫でる。雨こそ止んだものの空は厚い雲に覆われ、夕暮れが近いせいもあり薄暗い。
やがて二度、それぞれ別の向きから石畳を突く音が聞こえる。跳ね橋が上がったあと門に柵が下り、都から外へと逃れる道が閉ざされた。兵たちは、とりわけ徒士の多くがざわめいて後ろを振りかえる。
シナンは鞍から兵たちを見下ろし、兜を空けたそれぞれの面立ちを検めた。殺気に逸る者は数えるほどしかおらず、ほとんどはひどく狼狽えている。あらかじめ読めていたとはいえ、この有様ではまともに戦場に着けるかも疑わしかった。隣のゴンドワヌも同じく憂いたのか、幾らかの備えが整うと声をあげる。
「鎮まらぬか皆の者、儂の命をしかと耳にせよ。つい今し方、北と西の城門を閉ざした。都の外では謀反の軍が味方を蹴散らしておるゆえ、余所からの助けを当てにしてはならぬ。退けるにはここで下賤の者どもを打ち破る他はない。その方らが生きて
すると浮き足立っていた兵たちが、俄に落ち着きを取りもどした。それまで見合わせていた顔を前へ向け、ある者は肩当や胸当ての繋ぎ目を確かめ、またある者は籠手や具足などの結び口を正す。さらに気勢を促すように、城の向かい側から斥候の一人が早馬で駆けよってきた。
「殿下。ついに謀反の軍が動きを見せました。幾人かが
「奴らは隊を成しておるか、得物をもって舞い込んでおるか」
「いいえ。一人、二人ずつばらばらに。しかも多くが女子供にございます」
ゴンドワヌは報せを耳にするなり、周りへ見せつけんばかりに笑みを表した。腰の鞘から宝剣を抜き、切っ先を天に向け高々と指ししめす。
「その方らに告げる。これより我らは神殿へ向け軍を進める。戦場にいる者は取るに足らぬが容赦などするでない。手始めに血祭りに上げよ。また遅れて来るであろう雑兵も一匹たりとて生かして残すな。烏合の衆を煽りたてた輩はこの儂に引き渡せ。生き死にを問わず飽きるまで嬲りものにし、城の塔から吊り下げて鳥の餌食してくれる。我らに盾突くのがいかに愚かか、目にもの見せてくれようぞ」
幟と旗が掲げられるが早いか、兵たちは二度、三度と喊声を上げる。次いで騎士たちを通し号が伝えられると、兜の面を下して盾を構え、順に前へと歩きだした。
通りの端から端までを埋め尽くす列は、ほとんど一糸も乱れず神殿へと向かっていく。徒士の槍はどこかから拍子を取るように上と下に振られ、剣の鍔鳴り、甲冑の擦れる音が一斉に響きわたる。騎士が操る馬の足取りも息を揃え、蹄や靴が踏みならされる度に石畳が少なからず揺れ動いた。
ゴンドワヌがうまく焚きつけたおかげで、はじめ覚束なかった士気も兵の間で充ち満ちるようになった。陽の落ちかける頃合いであるのも、多勢を相手にするのに大きく味方する。暗がりの中では数に勝る側は同士討ちになり、もしくはそれを避けるため早くけりをつけようと焦りやすい。
ここまでは思惑どおりに事が運んでいたが、少し進むと幾つかの人影が見えた。身体じゅうに包帯を巻きつけ、脇道から兵の列を窺っては物陰に姿を消す。シナンは馬を寄せ、ゴンドワヌの傍で指をさした。
「殿下。あれをご覧下さい」
「報せは受けておる。奴らの中でも
「あの中で我らに手向かう者はおりませんでしょうか」
「得物も持たぬうえ、兵が近づくと逃げていきよる。そのくせこの近くをうろついておるのだ。新たな拾い主でも探しているのかも知れぬが、我らの構うところではない。そやつらのために兵の列を乱しては元も子もなかろう。訳も分からず近寄る者だけ、突き殺しておけばよい」
あれだけの手間をかけ旗印を据えたのに、病持ちを捨てたとすればセルク人の纏まりはひどく脆いように映る。捨てられた方も敵方へ助けを求めると憐れであった。しかし俄にイドワルの屋敷で耳にした話が思い出され、この場での様子からそうとは受け取りにくいが、もしかすると包帯姿の男たちは見切りをつけられていないのではとの疑いが生まれる。それだけではない、女子供が神殿へ先んじて向かったのも、果たして氏長らの指図に背いてのものか。相手に策を弄する知恵がなければつけ込んでもよいが、そうでないとしたらこのまま進むのは危ういのではないか。
シナンが考えを巡らせる間に、南から吹きつける風に乗ってかすかな臭いが漂う。兜を被る兵たちは気づかないが、日頃から勘を研ぎ澄ませる身には嫌でも鼻に障った。しかも雨が止んで少し経ったというのに足下は濡れたまま、石畳を踏むと靴底が妙に粘りつく。
「油だ」
咄嗟に呟くもわずかに遅く、列の頭から赤々と火の手が上がった。続いて燃える布や松明、火矢などがすかさず投げ込まれてくる。油は思いのほか多く撒かれており、辺りは瞬く間に炎と煙に包まれた。兵は徒士と騎士とを問わず甲冑を纏ううえ、道幅いっぱいに広がるせいでまともな動きがとれない。炎そのものはシナンの足下へは及んでいないが、騒ぎはすぐ近くの兵にまで伝わった。
ゴンドワヌは顔に血の気をたぎらせ、目を血走らせながら叫びをあげる。
「者ども、狼狽えるでない。気を確かに落ち着けよ。倒れた者には構うな。この通りから急ぎ退き、脇道から神殿へ進め」
兵を導くよう脇道へ逃げるも、そこにはまたも罠が張られていた。樽や瓦礫が積み上げられており、棄てられたはずの手負いや病持ちが油を流し込んでくる。余所を当たろうとして後ろへ戻ろうにも、あまりに多くの兵が押しあうために藻掻くほど道が詰まってしまう。かといって樽などを取り除こうと足を止めれば、たちどころに火を点けられ熱と煙に巻かれるのだ。
だがゴンドワヌは十人ほどの命を引きかえに道を開き、路地を走り抜けてから兵たちに促す。
「ここから逃れろ。瓦礫が低ければ飛び越えていけ。たしかにうまく謀られたが、まだ力の差からして五分だ。このまま
後を追うシナンも馬腹を蹴り、掌の皮が破けるほど手綱をきつく握りしめた。思えばイドワルはただの気まぐれで、あの
いっぽうゴンドワヌは脇道を駆けながら、いちど露わにした怒りを収めていく。焦りは消え頭も冷えたと見え、ひたすらに急がせていた馬の足を少しずつ緩めた。やがて四方を固める騎士たちが追いつくのを待ち、傍で留まるよう制して後ろを振りむく。
運にも恵まれたか、大通りから抜けだした兵の数は多い。思わぬ形で将が頭に立ち、道を切りひらいたのも幸いであった。兵の中にはところどころ煤にまみれ軽い火傷を負う者もあったが、赤く灼けた顔から血の気は失われていない。
「騎士たちを動かせる者はおるか。なければ誰か早くここに呼べ。徒士の者は今のうちに息を整えよ」
ゴンドワヌが口早に呼ぶと、間もなしてラウーが馬で走りよってくる。顔や甲冑は傷んでおらず、手つき足取りもまだ軽い。
「殿下。騎士隊の長は別におりますが、私でよければ承ります」
「策を存じておるそなたなら心強い。儂は例の力を振るうため皆とは離れる。その間はそなたに兵を率いてもらいたい。前から示し合わせておいたあれ(・・)を用いるゆえ、巻き添えを食らわぬよう触れまわってしかと伝えよ。特に騎士たちには、迷わず真っ直ぐに馬を走らせるよう言い聞かせよ」
「では仰せのとおり従います」
「それから火の手より逃れた兵はこれだけか。通りの向かいには一人もないのか」
「こちらと比べれば多くありません。およそ二千足らず」
「炎は消えかけておるから、そやつらを呼び集めよ。広場へは先ほどの通りではなく、東の門に通じる方から突き進め」
ラウーは居ならぶ兵の頭に立ち、そのほとんど全てを引き連れていった。率いる者が変わっても気の萎みは窺えず、さすがに多少は数が減りこそすれ、ひとまず軍は不意打ちから立ち直ったようである、
「儂たちはこちらを行く。シナン、そなたもついてくるのだ」
ゴンドワヌは手元に八騎だけを残し、徒士の列とは別の方へ馬の鼻を向けた。多くの兵と同じ東寄りの横道ではなく、大通りと添うようにして南へ伸びる細い路地を進んでいく。
後から並足でついていくシナンは、一行がどこを目指すかが気にかかった。ラウーに兵を渡したからには、離れたところで何かしら別の動きを取るつもりなのであろう。周りは建物によって戦場とは隔てられていながら、馬を走らせるうち敵方の騒がしい声が近づいてくる。
やがてゴンドワヌは、行き止まりに現れた館の前で馬を降りる。シナンも騎士たちに手招きをされ、中へ入るよう身振りで命じられた。壁に掛けられた剣や槍を見るに館は兵の詰所であるらしく、いつもであれば番についている者は戦に出ており、いくら回廊を歩いても人の姿はまったくなかった。はじめ何のためにここへ足を踏みいれたか分からなかったが、騎士たちが堅く鍵の掛けられた扉を外したとき合点がいった。敷居を跨いだ先は剥きだしの石に囲まれており、狭い階段を昇りきると広場の傍に立つ塔の頂に出た。
なるほど向かいには紅玉の神殿が座し、足下に目を落とすだけで戦場の様子が手に取るように分かる。広場は先に陣を敷いたセルク人で占められ、数えきれぬほどの足音、物音がせり上がるように耳に届く。兵たちは東から突き進んでいくも、元からあった数の差が開いたせいか少しずつ退けられ、
ところが兵士たちが倒れても、ゴンドワヌは口元に歪んだ笑みを浮かべている。
「奇を突いたつもりであろうが、自ら首を締めるのに気づかぬ痴れ者どもめ。儂の前で炎を用いた愚をとくと悔いるがよい」
低い壁際に歩み出て掌を翳すと、塔からほど離れた宙に火の玉が点る。はじめ小さいばかりのそれは膨らみ、大きく輪を象りながら下へ降りていく。
はるか下では炎が広場を囲み、戦の流れが瞬く間に変わるのが見えた。敵方は勢いを失ってはどよめき、数で劣る兵たちが押しかえしにかかる。炎は石畳で燃えつづけてもなお消えず、使い手が指先を曲げるたび生き物のように伸びては縮む。さらに列を組んだ騎士たちが飛び込むのに合わせて一角だけ穴をつくり、通り過ぎたあとで再び壁のようにそびえ立つなど様々に形を変えた。
塔の頂は、炎の魔力を振るうのに絶好の足場であった。敵方の多くは広場へ釘付けとなり、取り乱すあまり近づけもしない。首を獲りにくる者があったとしても、周りでは八人の騎士たちが長槍を構えている。懐へ入るには空でも飛ばない限り、ただ一つの出入口から足を踏み入れるしかない。
このまま事が進めば戦は動かぬものとなり、じきに塔の頂を離れる許しも得られるであろう。さすれば残された望みを叶え、カーリとけりもつけられる。シナンは階段の傍から足下を眺めつつ、その刻が訪れるのを待った。
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