無表情の彼が私だけに見せる顔

微糖

無表情の彼

 私の彼はいつもクールで、表情もあまり変わらない。でも別に無口ってわけじゃなくて、友達と話している時は楽しそうにしているし、誰に対しても分け隔てなく優しく話す。表情は変わらないけど。


 このクラスのリーダー! ってわけじゃないけど、そのリーダーに慕われているような人。

 だから彼はクラスでも人気者だし、先生からもものすごく評価が高い。


 成績優秀スポーツ万能、人望があってめちゃくちゃかっこいい! 


 ほら今も、授業にすごく集中してる。彼は勉強ができる。普通に学年一桁とかとるけど、全然勉強してないらしい。じゃあなんで成績いいのって思ってたんだけど、彼は授業中の集中力がものすごい。


 どれくらいすごいのかっていうと、私が彼の横顔ガン見してても一切気づかないし、彼の後ろにいる友達に消しゴムを頭の上に乗せられても全然気づいてないくらい。しかもその消しゴムを落とさない。どんだけ姿勢いいの。


 友達は笑いを必死に堪えてる。肩が震えてガタガタいいだしてるけどそれでも気づかないのね。すごい集中力。横顔は真剣そのもので、まるで絵画の中の人みたいに綺麗に整っている。まつげ長い。


 そんな人が私の彼氏である。とか言えたらいいのになあ……


 当然、彼は私なんかの彼氏ではない。私はどこにでもいる、ただの内気な地味女。クラスで目立っているわけでもないし、眼鏡なんてかけていかにも勉強の虫! って感じなのに成績は中の上……。決して彼のような人と釣り合うことはない。


 ただ、妄想の中なら自由だ。彼の彼女にもなれるし、なにより……


 彼が、仲のいい友達にだけ見せる笑顔を私に向けさせることだって可能なのだ。


 私は今日も、彼のストーカーをする。妄想の材料を集めるために。彼の無表情が崩れる瞬間を見逃さないように。授業中、彼が集中していることをいいことにずっとずっと彼を見る。


 なんで私がこんなに彼のことを見てても誰も何も言わないのかっていうと、私の席は彼と黒板の延長線上にあるから。つまり彼の斜め後ろの方で、黒板を見るフリをして彼のことを見ているから。


 それは良くないことだとは思っている。彼に私がストーカーをしていることを知られたら、私はショックで死んでしまうかもしれない。あの顔が、軽蔑の色に変わるのだけは勘弁して欲しい。それが私に向けられるとしたら、どれだけ辛いだろう。


 でも私は見てしまう。ずっとずっと。席替えしてしまったらこの幸運はもう手に入らないかもしれない。だったら、今のこの幸運を最大限に活かそうじゃないか。それを言い訳にして、私は今日も彼を見つめる。まるで物語の中の王子様のような彼を、目に焼き付ける。一生彼を私の頭の中に留めておけるように。


「田沢ぁ! 何笑ってんだおい!」


 ビクッと震えてしまった。先生の怒鳴り声に一瞬何があったのか分からなくて。


「す、すみません」


 田沢。彼の後ろの席の人だ。さっき彼の頭に消しゴムを乗せて笑ってた。ああ、だから先生に怒られたんだ。


 彼は田沢くんの方を振り向いた。無表情のまま頭の消しゴムを落とさず振り向いた彼の器用さに、思わず吹き出してしまった。声は出さないように、口元を手で覆う。


 だってほら、見てよ彼の顔。授業中の時のめちゃくちゃ真剣な顔のまま、頭頂部にゲキ落ちくんの消しゴムが置いてあるの。しかも、縦に。


 彼が振り向いた瞬間、腕を組んだドヤ顔のゲキ落ちくん消しゴムがこっちを向いてくるんだよ。笑っちゃうって。


 この光景は私の心の中のフォルダに保存だ。ドヤ顔のゲキ落ちくんと無表情の彼。このツーショットは面白すぎる。


 あれ、私今、彼と目が合ってない?


 じっと彼に見つめられている。不思議そうに。そんな顔今まで見たことなかったぞ。心のフォルダに保存だ。いやそんなことやってる場合じゃない。


 私は恐る恐る、自分の頭を指さした。なんでこんなことしたんだろ。今まで彼とは話したこともないのに。


 それを見た彼は、ゆっくりと自分の頭に手を伸ばすと、ハッとしたような表情を浮かべる。パッと頭の上の消しゴムを手に掴むと、それを少し眺め、恥ずかしそうにこちらを見てきた。そして思わずといったようにプッと吹き出すと、こちらを見て、それはもう見事な、満面の笑みを見せてくれた。


「あ、あははははは!」


「ふ、ふふふ、ふふ!」


 なんだか照れてしまって、顔が真っ赤で頭が真っ白。今どういう状況なのか、自分が何を考えているのか全くわからないまま、ただ彼と2人で笑ってしまった。


「あはは!」


「ふふふ、ふふ」


 間違いなく今、生まれてきてから一番幸せだ。私が見たかった彼の顔、表情。今日で全部見れた気がする。もう死んでしまってもいいくらい、嬉しい。


 でも、こんなに楽しい時間は今日が終わったらもう二度と味わうことはないんだろうな。今日は偶然と奇跡が重なりすぎた。幸運の裏にはいつも悪いことが待っているものだから。


 せめて、今だけは彼の笑顔を見させていて。


「はは、はあー、笑った。倉元さんありがとう、教えてくれて」


 彼がにこっと笑ってくれる。それはさっきのような大笑いではなくて、彼がいつも友達に向けている笑顔だった。


「う、ううん」


 私にはこれが限界。これ以上の文字数の言葉は、彼を前にして出てこない。


 彼は再び前を向いてしまった。先生は呆れ顔だったけど、これ以上怒る気もないみたい。よかった。田沢くんはもう私の中では恩人だから、あまり怒られてほしくはない。


 彼に視線を戻す。見慣れた横顔。さっきまでのやりとりが嘘のように、授業に戻っていく。


 知ってたよ。でも悲しくないよ。今日はとっても幸せな日だった。一生忘れることはない思い出。もう私の心の中は彼で満たされてる。


 またいつも通りの日常に戻っていく。彼を見つめ続ける毎日に。それでも私は幸せなんだ。どうせこの思いを伝えることなんてできはしないんだから。大人しく見守っていることが私にとっての最高の幸せ。


 じっと彼の横顔を見ていると、彼はゆっくりとこちらを振り向いた。


 えっ? と思って戸惑っていると、彼の表情がドヤ顔に変わっていく。腕を組みながら。


「ぶふぉ!」


「倉本ぉ! お前まで何笑ってんだ」


「す、すみませ、いひっ」


 彼を見ると、必死に笑いを堪えていた。まるでイタズラが成功した子供みたいに。それがなんだか愛おしくて、彼の新たな表情が可愛くて。


 ああ、そんなこともするんだ。彼って意外とお茶目さん? なんて思いながら、彼を軽く睨んでみる。両手を合わせてイタズラな笑顔を見せる彼になんだか切なくなって。


 またしてくれるかな? ただの気まぐれじゃないよね? なんて考える自分は、とっても面倒くさいんだろうなと思う。







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