第10話

それぞれの生活に変化のあった事件から一夜明けた翌朝。アクティは廃れた教会の椅子の上で目を覚ました。


寝る姿勢が悪かったのか背中に強く痛みを感じる。軽く伸びをした後、強く鼻をすすった。


流石に身体は頑丈とは言えど、この寒さの中での野宿には堪えたようだ。

少しでも暖める為に焚べたはずの薪もいつのまにか黒炭と化し、火の姿は何処へやら。よくもまあ気にせずに眠れていたものだ。


外を見て雪が足首の高さ程まで積もっていることを知る。どうやら夜中に降っていたらしい。

割れた窓から凍てつく風が頻りに入っては肌を突く。誰の使用済みかも分からない毛布が捨ててあり、それで寒さを凌ごうかとも思ったが、あまりの生臭さに断念した。


「はぁ」と一息つく。


もう、ファミロに行く必要もない。本当はあの夫婦に感謝の気持ちくらいは伝えたかったが今や近づくことさえ叶わないだろう。悲しい別れとなったものだ……いや、悲しいと感じているのは僕だけか。


これからどうしようか。


アクティは考える。

元々住んでいたマンションに行って必要な荷物を取りに行くくらいの隙はあるだろうか。外の様子にもよるが服くらいは着替えたい。


布団代わりにしていたロングコートに袖を通す。


一夜にして何もかも失った気分だった。最も信頼していた少女に見切りをつけられ、働き口も無くなった。別れ際としては今までの職場の中で間違いなく最悪だ。


しかし、アクティには不思議と彼女を憎む気持ちも昨日のことを後悔する気持ちも湧き出ることはない。むしろスッキリしたような心境だ。

自分では人という概念に線を引いているつもりなど無かったが周囲を騙していることに少なからず後ろめたさが有ったことは確かだ。周囲に見せていた自分は虚像で知らぬうちに無理をしていたのだと気付かされた。今はその反動で自然体を持て余している感じだが。


──あと一時間待って来なかったら外に出よう。


「平和ボケか……」


昨日、スピルに言われたことが頭をよぎる。

自分を偽っていても幸せは確かに感じられた。だが、逆を言えば偽らなければ幸せは得られなかったとも言えた。ファミロの皆の顔、デザイナーズチャイルドを敵だと言ったデモ隊の顔、交互に思い出しては昨日の決意が揺さぶられる。


割れた窓か鋭く刺す太陽が眩しくて日蔭に移動しようと腰を上げたところで目的の人物らが姿を現した。


「意外と早かったですね。その大所帯ならここに来るのにも苦労したでしょう」


アクティは目の前に現れた数十人の集団を招き入れる。集団の一人一人がスーツを着用し右手首には白のリストバンドを巻いている。


過劇団だ。


その中心にいたミドラルが口を開く。


「スピル・カンクトに言われてここに来た。アクティ・バンカレンだな」

「ええ」


ただ一言、アクティは答えた。敵か味方かも分からないようなトーンで。


「君なら力を貸してくれると聞いたが?」


強張った表情で恐る恐るミドラルが尋ねる。


「力を貸すつもりはありません。ただ、同じ目的を持つ者なら目の届く場所に置いておきたいだけです。勝手に動かれて邪魔されるのだけは御免ですから」


アクティは敬語を使いながらも少し棘のある口調を貫いた。

いずれはこうなっていたとは理解しつつも自分の平和を壊した不逞な輩を受け入れるには抵抗があった。


「今日から僕があなたたち過劇団を率いる。あなたたちが理想とする未来に必ず連れて行くと約束します」


アクティは高らかに宣言した。まず、自信を示さなければ信用してもらえない。リーダーにはならずともリーダーシップを取らなければならないのだ。

しかし、ミドラルらも簡単には納得しない。


「随分な自信だが俺たちはまだ君の情報は少ない。簡単に全てを預けることはできないぞ」

「スピルにはそちらから頼んだのに? 彼は良くて僕が駄目な理由があるとは思えません。あなた方は同じ力ならば犠牲が多く出る方を選びたいのですか?」


昨日の内にアクティはスピルからこの過劇団に入る為の打診を受けていたことを聞いていた。何しろこの場のセッティングをしたのもスピルだ。


何が目的かは定かではないが、名目上は毒ガスを止めたことの御礼ということらしい。有難いことにこの交渉をまとめられるだけのお膳立てはしてもらっている。


「まだ君の能力を見せてもらっていないからだ。スピルの言う通り、君がデザインコレクションであるかも疑わしいところではある」

「では、あなたの後ろで殺気立つ人たちを無力化すれば認めてくれますか?」


ミドラルは見るからにヤル気になっている仲間たちを見る。そして、瞬時に悟る。アクティがデザインコレクションならば自分たちの勝てる確率は極めて低く、今以上に立場を失っていくことに。


「……分かった。その話は置いておこう。だが、仮に君が私たちのもとに来たとしてこれからどうするつもりだ。まずはそのプランから聞かせてほしい」


「目先の目標として国王に会うことを定めて行動するつもりです。逆算して考えるに一番の難関は王都に入ることでしょう。そこであなたたちを利用したい。デオトラ・オルタを襲った意味が少しでもあったと思いますから」


「下手しても協力とは言わないんだな」


「今はまだお互いに警戒心がある。上辺だけとはいえ、後々責任のなすり付け合いになりかねませんからね」


「王国を変えるために国王を始末するという意見は理解できる。だが、君が提唱する平和理念はどこまでを許容するつもりなんだ。まさかだと思うが犠牲を一人も出さないなんて不可能だぞ」


「勿論、目標にしたいところではありますけど、現実的ではないでしょう。だから、出すとすれば王国軍か僕たちだ。一般民は絶対に巻き込まない」


「納得できないな。一般民に危機感を与えなければ考えは変わらない」


「攻撃的であることをアピールするのは長い目で見たら逆効果でしかありません。まずは王国自体のルールを変えること。話はそれからです」


口にしていくことで次第に自信が湧く。スピルの言葉など忘れて自分が正しいという理由が鮮明になっていく。


「死ぬ覚悟がないのならこのままひっそりと暮らしていくことをお勧めしますよ。どの道、僕についてくる以外、袋小路でしょうから」


絵空事などではない。デザインコレクションがいなければこの集団は到底軍に太刀打ちできない。

ミドラルらも気づいている。遠回りだろうとついて行くしかないと。


「……わかった。ただ、一つ約束して欲しい。我々も当然命を賭ける。だから君もその責任は感じて欲しい。必要な犠牲と言って仲間がどんどん消えていくような事があれば君を敵と見なさなければならない」


「心配要りません。何を為すにも僕が先頭に立つつもりですから。過劇団ではあっても僕があなたたちに対して演じることはありません」


アクティは決意する。


自分が幸せだと思うには周りが幸せでなければいけない。その為には誰も死なせてはいけないと。


恐怖や悲哀に占められた世界に愛などは有りはしないのだから。

そして歩み出す、同じ理想を持つ同胞を連れて。


この先どんな難題を突きつけられたとしても自分の意思は曲げてはいけない。国民の為、デザイナーズチャイルドの為、何より自分の為に動くことを決めた男の背中は何よりも逞しかった。

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