第9話



「や、やめて! 私、関係ないの!」


声を震わせ命乞いをするサラを見てもスピルには一切の憐憫の情などは無く淡々と鋒を首元に向けるだけだった。


「仕方のないことだ。どうしようもない不条理というのは何の前触れもなくやってくる」


産まれた時から既に十字架を背負っていたスピルもまた不条理に打ちのめされた一人だ。

不条理に命が誕生することもあれば不条理に命が尽きることもある。運命というのはそういうものだ。


「……だがその前に……」


空気が張り詰める。

その微かな気配の変化をスピルは悟り扉から廊下に目を向けた。

開いた扉からこちらに向く銃口。ライフルを手に持ったアクティだ。


「驚いたな。まさかこんなところで再開することになるとは」


予定外の邂逅。

スピルの表情に変化など微塵も見られないがこれまでの平坦な口調より微かに抑揚が感じられた。


「何故君がここにいる」


アクティもまた、冷静に尋ねる。内心の焦りは出さずに。


「それはこちらの台詞だろう。どう考えてもこの場に相応しくないのはお前の方だ」


服装、佇まいからしてイレギュラーに巻き込まれたのは明らかにアクティだった。

だが、アクティが聞きたいのはそんなことではない。


「確かに僕がここにいるのは成り行きだ。大凡、君の裏の活動に巻き込まれてしまったというところだろう」


アクティはサラの無事を確認するとライフルを下ろした。それを見てスピルも剣を下ろす。


「何を目的としての行動だ。スイーツバイキングに押し寄せた集団に店員を装った軍人、一体ここに何が隠れている」

「隠れていたものは……見つけ出したな。だが、それは偶然の産物に過ぎない。俺はただ都合のいい依頼をこなしているだけだ」

「都合のいい……やはりここは軍の基地なのか……」


王国を恨むデザイナーズチャイルドの内情を考えれば容易に想像できた。結託して軍の一部ずつ壊滅させていくことが有効ではある。成功する可能性は薄いが。


「そんなことより、こいつはお前の知り合いか?」


スピルはすっかり放って置かれているサラを見る。

アクティは思い出して頭を掻いた。


サラは目の前で起こっている情景に理解が追い付いていない。

自分は助かったのだろうか。目の前のスピルの殺意は消えたがいつまたこちらに牙を剥くか分かったものではない。


そして、急に現れたアクティの存在。命を懸けてまで自分を守りに来てくれたと思ったがどうも違う。スピルと対等に話していることも不思議で仕方がない。


「……ねぇ、アクティ……これ、どういうこと?」


声を振り絞り疑問を口にするサラ。

アクティはひとつ息をつき話し始める。


「……ごめん。ずっと黙っていたことがある……」

「──やめて! ……違うよね。嘘だよね……?」


サラにはアクティの言わんとしていることが何なのか分かってしまった。この状況でこの落ち着き。普通の人間とは違う。


「僕は本当はデザイナーズチャイルドなんだ。今まで隠していてごめん」

「……嘘だ! だってあの時は何も異常は出なかった!」


サラは駅での事象を持ち出して強く否定する。時間としても先程のことであり、縋り付く証拠としては最もだ。

しかし、そんな希望も無情にも打ち砕かれる。


「あれは、デモ隊の中にデザイナーズチャイルドがいるのが分かったから助けてもらっただけだ。昔、研究所を出る際に全員に同胞だと分かる目印を約束していて何度か助けてもらったことがある……」

「白いリストバンド……あいつの言ったことがここまで役に立つとは思わなかった」


スピルも同調する。

流石に毎日、デザイナーズチャイルド全員がしていれば怪しまれるが必要な時、必要な人間がする分には全く問題ない。


「そんな……」

「デモ隊にも一般人にも異端は紛れ込んでいる。気づけない存在を嫌悪するなんて馬鹿らしい話だ」


一般人から考えるとまさしく羊の皮を被った狼だが、本人たちは生きていく為にやむ終えずしていることだ。待遇の改善があるまでは羊の皮だろうと化けの皮だろうと被り続けるしかない。


「……嘘だ」


サラは許容量を越えた衝撃に塞ぎ込んでしまった。現実逃避ともまた違う、自分の感情の遣り場に困惑しているのだ。


「それにこいつは俺と同じ、Dr.ゼラのデザインコレクションだ。お前が最も嫌うべき人間なんだぞ」


更に追い討ちをかけるスピル。


「やめてくれスピル。彼女にはお世話になったんだ」

「相変わらず甘いな。お前くらいだぞ。血の気のない世界で暮らしているのは」

「他の皆の現状を知っているのか?」

「詳しくは知らない。だが、こっち側にいれば風の便りで名前くらいは聞くさ」

「そうか……」


裏社会の事情は分からない。先生を失ってそれぞれがどんな内情を抱いたのか定かではないが生きているであろうことは自信を持って言えた。


「お前もこっち側に来い。王国に迎合して暮らす未来が明るいはずがないだろう。俺たちを生み出すだけ生み出して容易に捨て、大事な人を奪った。叛逆せずに何をする」

「敵になっても何も変わらないさ。確かに王国は僕たちから先生を奪った。だからと言って牙を剥いたところで余計な犠牲が増えるだけだろ」


真っ向から対立する意見。同じデザインコレクションでも考え方は違う。


「逃げているだけだな。俺らには無限の可能性がある。遺伝子操作されたからこそ普通の人間よりも高く手を伸ばせるんだ。王国の俺らの扱いは日に日に悪くなっている。このまま先生を歴史に埋もれるただのテロリストで終わらせる気か? 俺らが望んだ世界、叶えるべきだ──先生がこの世にいるなら尚更な」

「……何?」


寝耳に水な情報にアクティの目が見開いた。


「全てはミロが知っているさ。俺はこれからあいつに会いに行くつもりだ」

「何故ミロが?」


また懐かしい名前、思わず声が大きくなる。ミロとは研究所が解体される前に別れている。一番会いたい人間の一人だった。


「今あいつは王国軍の特殊部隊で軍人として活動しているようだ。そして、その相手をしているのが先生らしい」

「どれほどの信憑性だ」

「ほぼ確実だ。今、俺が追っているデオトラ・オルタという男は軍の幹部クラスの役職に就いている。軍の機密情報を握っていてもおかしくはないだろう」


ましてや、予期していない襲撃である為、釣り餌という訳ではないはずだ。


「お前も一緒に来るか? ミロまで辿り着くには中々面倒な道程だからな。いてくれる分には頼りになる」


アクティは蹲って動かないサラを見ながら考える。

今までのこと、これからのこと。

そして、すぐに答えを出す。


「……いや。僕は行かないよ。仮にその情報が本当だったとして、何故先生は一刻も早く僕たちを迎えに来ない。君が動くことも望んでいないと思う」


いかにも保守的な考え。Dr.ゼラの無言でさえもアクティは命令だと受け取る。だが、スピルは納得しない。


「だからそれを聞く為にミロと会う必要がある。あいつの首を切り落とすことになってでも真実を知らなければならない」

「ミロが軍にいるということがもう答えじゃないのか? 動かないことを強制するつもりは毛頭無いが焦っても良い結果は得られない。現状と向き合うべきだと僕は思う」


「なら、お前はどうするつもりなんだ? 今まで通り、肩身の狭い思いをして騙し騙し生きていくことが現状と向き合うこととは言えないぞ」


「僕も方向性は決めている。今日こうして君と出会って改めて自分が普通の人間じゃないことを自覚した。どんなに平穏に過ごしていても争いに巻き込まれる。抗えない運命だというのなら自分で思う道を創る。僕は出来るだけ平和裏に理想を求めていきたい。先生と再会する為に、離れ離れになった皆と再会する為に、完璧な舞台を用意して迎えたいんだ。その為には国王と会って平等性について話し合う必要がある」


「本気で言っているのか? 俺の言っている話よりも遥かに現実味のない話だ」


世迷言だとスピルは呆れた顔になる。何しろデザイナーズチャイルドが虐げられる社会にしたのは今の国王だ。そう簡単に考えを改めるとは思えない。


「確かにそうだけどね。だけど、このままでは王国は壊れてしまうよ」

「壊れて何が悪い? 俺らを化け物扱いする国などに愛着もなにも無い」


スクラップアンドビルド。破壊と再生。

遺伝子操作への偏見を根絶するには変えるより無くす方が現実的だとスピルは考える。おそらくこれはデザイナーズチャイルドから見て正しい道なのだろう。


「この数年間で王国民にはたくさん助けられたし、たくさんの愛を恵んでもらった。君には分からないだろうけどね……。ここにいる人々は決して僕らの私怨に巻き込んではいけないんだ」


一方でアクティは自分たちの害はないと伝えれば分かってもらえると言う。王国を壊しても国民の考えは変わらない。むしろその力を怯え、今と全く逆の構図が作られるだけだと。この未来になれば戦いはまた繰り返される。そうならない為にも話し合うことが必須なのだ。


そして、こちらもまた正しい道。


どちらを選んでも誰も文句は言えないだろう。境遇の違いで考え方が変わっただけで根本では望むことは同じなのだから。


王国もまた彼らの叛逆を手伝うには十分な所業を重ね過ぎている。


「国民のフリをするあまり脳まで腐ってしまったか。……まあいい。お互いに理想の道を進めばいずれまた交わることになる。その時に決着をつければいい。おそらく、それまでにお前は自分の間違いに気づくだろうがな」

「正しさなんかに興味はないよ。自己満と言われても仕方ないだろう。だけど、ただ、僕は自分の見てきたものを信じたいだけだ。世間を知らない君には分からない。感情は変えられなくとも考えは変えられるんだ」


問題はデザイナーズチャイルドが差別の対象だと国民全員に植えつけられていること。意識さえ変えることができれば誰だって同じように生活できる。

偽りのアクティがファミロの皆から受けた愛は紛れも無い真実だったように、同じ人間である以上、それを隔てる弊害は合って無いようなものだ。


おそらくサラも自分を受け入れてくれる。

そう願いながらサラの側によりそっと肩に手を置く。


「怖い思いをさせてしまってごめん。おじさんたちの所に帰ろう」


サラは優しく歩み寄ったアクティをだらりと垂れた前髪の隙間から睨むと肩に置かれた手を振り払った。


「触らないでよ嘘つき‼︎ 私たちを騙して楽しんでたんでしょ! 化け物め。あんたたちなんか死ねばいいのよ」


サラは勢いよく飛び出しアクティを押し退ける。

そのまま扉に向かおうと走り出したところで背後から殺気を感じた。


スピルだ。


スピルは素早く左手でサラの腕を掴み、右手で剣を振り上げる。

……しかし、刃が背のところで何かに引っかかって動きを止めた。


「……どういうつもりだ?」


スピルがアクティを鋭く睨む。自分たちを冒涜したにも関わらず未だに対立するアクティが理解できない。


「言っただろ……。僕の前では殺させないって」

「……やはりお前は間違ってる」


スピルの手に力が入る。サラの腕は血が止まる程の圧力で締め上げられた。

呻き声をあげるサラ。


「なら、どうやって正解を決める? 多数決か? 戦争か? 権力者の一声か? ……どれも違う。ひとりひとりが問題と向き合った上で考えるべきなんだ。その機会を奪ってはいけない」


刃を止めたアクティの手から剣先に向けて血が滴る。

ショックであったはずのサラの絶縁宣言から窮地を救う行動に瞬時に転じることができたのはアクティの根底からの意思の強さだ。


平常ならばスピルも力尽くで剣を抜いてアクティに斬りかかっていただろう。

しかし、今この剣は動く素振りを見せようとしない。同程度の力を有するデザインコレクションの力比べにおいて意思の強いものが僅かに上回ったのだ。

ただならぬ気配を悟ってか、スピルも手を離しサラを逃した。

腕を押さえたままサラは扉へと向かいすぐに死角へと消えてしまう。


「これでいいのか? 誰がどう観てもお前の考えは甘い言うだろう」

「お互い批判は無しだよ。僕たちは互いに見ている道に進んでいくと決めたんだ。もう生き残る為に自分を殺すことはしない」


相容れない二人。幼馴染みであるという一点でお互いの拳を遠ざけているのみだった。


「まさか、今から俺の後を追ってデオトラたちまで助けるとか言いださないだろうな」

「遅かれ早かれだろう。それに今は、国王寄りの人間はそこまで救う気にはなれない」


相手は選ぶ。牙を剥いて来る相手を素通りで無視できるほどの超人ではない。

全員を守りたいだなんて殊勝な台詞、今の自分の身の丈に合わないことなど分かっている。


「そうか。かつてのファミリーも今となっては赤の他人か」


ここで十年ぶりの二人は別れることになる。別の道を歩んで。

そして、必ずまた交わる日が来る。別の思惑を持つ者を絡ませて。



***



スピルはアクティと別れた後、すぐにミドラルと連絡を取り、デオトラのいる部屋へと向かった。


半壊に近いくらいにぼろぼろになった部屋。奥にはデザイナーズチャイルドの集団が縄で括られたデオトラに銃を突きつけていた。

周りには無残にも散った護衛と幾人かのデザイナーズチャイルドの屍が重なり合っている。 


床を紅く染めた仲間たちの悔恨を胸にミドラルがデオトラをスピルに突き出す。


「何故だ。何故、ガスが出ない……」


想定外の事態に狼狽えているデオトラ。


「どこかの平和ボケした一般人がプログラムを書き換えたんだ。お前の最後の悪足掻きは顔も知らない第三者によって儚くも散ったわけだ」


スピルは剣を抜きデオトラに突きつける。


「ミロ・マイアスを探している。奴はどこにいる?」

「貴様……デザインコレクションか……」


ミロの名前にデオトラが唇を噛み締めた。きっと心の中ではミロのせいだと怒りに沸いていることだろう。


「どこだ?」


催促するように喉元と刃の距離が縮まる。


「貴様らのような平和を脅かす敵に教える事など何もないわ。この人を騙る外道共が!」

「お前らのような愚劣で醜悪な考え方しかできないような奴らが人なのだとしたら俺は人でなくていい」


何をどう思われようと既に敵であると見なした者同士。今更、これ以上も以下も感情が動いたりはしない。共存はできないという厳然たる事実がそこにある。


「我々に罪をなすりつけたお前らに愚弄する資格なんてないってことだ」


ミドラルが同調し過劇団のライフルが一斉にデオトラに向く。


「まだそんな荒唐無稽な作り話に踊らされているのか。哀れなものだな」


不敵に笑うデオトラ。

しかし、スピルはそんな揺さぶりなど歯牙にも掛けない。


「命が惜しくないのか?」

「言ったところで私を見逃す気は無いのだろ。死ぬと決まっていながらお前らの味方などするか!」


最後の悪あがきといったところか。死ねば諸共までとはいかずとも踏み台には決してなってやるものかと思っているようだ。


「……分かった。なら、言えば解放してやる。周りの人間にも手出しはさせない」

「おい──」


不満を露わにするミドラルだったがすぐにスピルの目を見てそれ以上を言うのをやめた。スピルには何か考えがあるのだと悟ったのだ。


「そんな見え透いた嘘に引っかかるか!」

「藁にも縋りたい気分だろう。助かる可能性があるならば何だろうと選ぶのが得策じゃないか?」


上級貴族だ。言う言わないはさておき拷問には慣れていないだろう。生まれながらにして楽な道を歩んで来た男の窮地に陥った選択肢など高が知れている。


「……時間をくれ」

「──駄目だ。すぐ決めろ」


少しでも時間稼ぎをしようものならと鋒が首に紅い線を描いていく。


「……分かった言う。奴は今隣国の──」


とそこまで口にしたデオトラが血反吐を吐いて気を失った。


スピルの剣が彼の胸から背中にかけて突き刺したのだ。刃は確実に心臓を貫いている。一瞬の出来事だった。


情報を聞き出す前に見切りをつけたことに周りは困惑する。


「いいのか? 全て聞き出してからでも良かっただろ」

「いいや、どうせフェイクだ。聞く価値がない」


そう吐き捨て、周囲に命じる。


「そろそろタイムリミットだ。後始末は俺が引き受ける。お前たちは早くここを離脱しろ」

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