第4話 私の可愛い婚約者
風呂から上がったシエラは新しい衣服に身を包んで居間にやってきた。ロッティはお詫びも兼ねて彼の好きな食材で朝食を作って待っていた。
「シエラ様、先ほどは大変失礼しました」
深く頭を下げると、面を上げるように声が降ってくる。
「種族が違えば、多少の誤解はつきものです。これからもこういうことはあると思いますし、その都度理解し合えばいいだけですよ」
愛らしく美しい顔立ちのシエラの微笑みにロッティは息を呑む。
(この顔を見るとやっぱり可愛いって思ってしまうし、年下だって勘違いするわ!)
なんとも解せない気持ちになっていると、シエラが向かいのソファに腰を下ろす。
「この話はこれで終わりにしましょう。折角ロッティ様が作った朝食が冷めてしまいます」
「そ、そうですわね」
ロッティは気を取り直してナイフとフォークを手に取る。作ったのはパンケーキとベーコンエッグ、フルーツサラダ。そして摘み立てのミントとレモンバームのハーブティーだ。
パンケーキを丁寧に切り分けてフォークで刺し、口へと運ぶ――と、外からもう嫌というほど耳にした馬の蹄鉄音と馬車の車輪の音が聞こえてきた。
「まさか……」
互いに顔を見合わせると、慌てて玄関へと向かう。
案の定、玄関先には馬車が停まっていて、中からアレクが下りてくるところだった。毎日返り討ちに遭っているというのになんとも律儀なことである。
「まあ、アレクおじ様。こんな悪路の中わざわざ来てくださらなくてもよろしかったのに」
わざとらしく嫌味な言葉を投げかければ、アレクはにやりと片頬を吊り上げた。
「そうだな。だが今日でここにくるのも最後だ。そしてロッティが独身であることも今日で最後になる」
「寝言は寝てからにしてくださらない?」
眉間の間を揉みながら、ロッティは呆れかえる。アレクはロッティを無視して懐から手榴弾のようなものを取り出した。ピンを引き抜き、素早くこちらに投げ入れる。
「きゃああっ!?」
ロッティは喫驚して悲鳴をあげるが、それが爆発する気配はなかった。ただもくもくと白い煙を上げるだけ。
「……不発のようですね」
腕を組んだシエラはそれに近づくと覗き込むようにじっと観察する。煙は辺りに充満したがすぐに消えてなくなってしまった。
「言っておくが、ただの煙じゃないぞ。それはスウェルデ国の魔具工房に作らせた魔法を無効にする煙だ。いくら竜族でも煙を吸ってしまえば暫く魔法は使えない」
どうだ! とアレクは腰に手を当てて胸を張る。
「魔法がなければおまえなど非力な子供。これまでの礼はこの手でじっくりたっぷりとさせてもらうぞ。何せ今日の魔具はどれも改造してさらに威力が増してるからな!」
アレクの手には魔具の拳銃や爆弾が握られている。
「な、なんて卑怯ですの! 上流階級の風上にもおけませんわ!!」
「欲しいものはどんな手を使っても手に入れるのが俺の性分だ。小僧がいたぶられるのを見たくなければ、大人しく結婚に承諾して書類にサインしろ」
アレクは勝ち誇ったように一枚の書類を提示した。
おじ様、シエラ様は小僧ではなく大人です! というツッコミが頭の中で浮かんだが今はそれどころではない。
いくら彼が百歳の竜だといっても体格ではまだ人間の子供なのだ。魔法が使えない以上、分が悪い。
「シエラ様、逃げてください。ここは私がなんとかしますから」
「逃げる? そんなことをすればロッティ様があの男のものになってしまう」
「でも……」
こんな状況を作ってしまったのは自分にも原因がある。シエラに頼りきりで、彼に万が一のことがあった時の対策がすっぽり頭から抜け落ちていたのだ。
自分の今後の立場を考えるとあまりにも愚かだ。ロッティはまっすぐシエラを見つめた。
「私、今とっても恥ずかしいんです。だって私の番はスウェルデ国の君主、セリオット様。シエラ様に守っていただくにしても、私は君主の番としてシエラ様の安全を考えるべきでした。それにあなたはもうすぐ成体になるんでしょう? ずっと待ち望んでいたんでしょう? こんなところでやられては、晴れ姿を番に見せられなくなってしまいますわよ! だから私に構わずシエラ様は逃げてください!!」
その言葉を聞いてシエラは目を瞠った。暫くじっとロッティを見つめていた彼は、俯くと彼女の服の袖を掴んだ。
「シエラ様?」
声を掛けると、シエラはロッティを守るようにアレクの前に立った。
「お心を砕いていただき感謝します。でも私の方がもっと恥ずかしい。小さなプライドのために寂しい想いをさせたし、危険な目に遭わせようとしている。でも、漸く全てを打ち明ける勇気が出ました。今から私が諸事情で国へ帰れなかった理由をお話ししようと思います」
シエラは調子を取り戻すと淡々と説明を始める。
「少し前から我が国の市場に違法な改造型の魔具が流通し始めました。水面下で魔具を作っていた工房は摘発して検挙できたんですけど、肝心の出資元が国外の商会だったんです」
シエラは一旦話を切ると懐から拳銃を取り出した。それはアレクがこれまで使っている魔具とよく似ている。
「アレク殿が使っていた魔具は全て違法に作られた改造型。しかも流通前の工房で没収したものばかり。足がつかなければ使っても問題ないと思っていませんか?」
シエラは自分がスウェルデ国から持ってきた改造型魔具と、アレクの魔具の特徴が一致する部分を挙げていく。それは言い逃れできないものばかりだった。
話を聞き終えたアレクは悪びれた様子もなくにやにやと笑っていた。
「犯人捜しの涙ぐましい努力は認めてやる。だが暴いたところで魔法の使えないおまえは俺を捕まえることはできない。非力な子供だからな。口封じにいっそ殺した方がいいかもしれないな」
顎を撫で、狂気じみた表情でシエラを見下ろすアレク。そんな彼に、シエラはにっこりと微笑んだ。
「ご心配なく。魔法が使えないからと言って非力な子供に成り下がるわけではありません。私はあなたの年を遙かに超えていますし、魔法が使えずとも倒すことは簡単です」
次の瞬間、対峙するアレクの前からシエラが消えた。背後に回ったシエラがアレクの後ろ衿を片手で掴んでいとも容易く地面に叩き落とす。
「竜族の身体能力は人間の数百倍。魔法が強いっていうイメージが先行してあまり知られていませんが、加減しないと人間の骨なんて簡単に砕きます」
シエラは叩き落とされて気絶しているアレクを覗き込むように見下ろすと、空からひらひらと落ちてきた書類を掴んで破り捨てる。
(嘘、片手だけでおじ様を!?)
あまりの衝撃にロッティが口元を手で覆って驚いていると、上空で鳥とは異なる独特な鳴き声がした。
見上げると立派な竜が翼を羽ばたかせて飛んでいる。竜は急降下して地上に降り立った。
幼竜が丸っこくて可愛い生物なのに対して成竜というのは威圧的で恐ろしい。腕だけで人間を十人もなぎ倒せそうだ。
あまりの迫力にロッティは思わず腰を抜かしてその場にへたりこむ。
成竜は「これは失礼」と言って、瞬く間に青年へと姿を変えた。そしてシエラを見るなり気難しそうに眉間に皺を寄せ、つかつかと彼の元へと歩み寄る。
「まったく! あなたは一体何を考えているんですか!!」
青年は開口一番にシエラを一喝した。一方でシエラはうん? と首を傾げてから口を開く。
「なんだい宰相殿? 私はちゃんと置き手紙にロッティのところへ行くと書いていただろう? 彼女のおじが事件の黒幕だからそれもあわせての仕事だと。決してロッティに会いたいがために行くのではないと説明したはずだ」
「ええ、ええ。そうですとも! その通りですけれども!! ですがあなたは目覚められてまだ数日しか経っていないんですよ? お身体に何かあっては大変です!!」
「番のいない君には分からないのかもしれないけど、自分の身体なんかよりも相手のことが心配でたまらないものだよ」
「なんか、地味に喧嘩売ってません?」
「そうかな?」
その後、シエラはこの国の国王にアレクを引き渡すように伝えてくるよう、宰相に指示を出す。
宰相は不満そうな表情を浮かべたが渋々頷くと、再び竜の姿となってアレクを咥えて飛んでいった。
「やっと二人きりだね」
シエラはこちらに振り向くと言葉を投げかけてきた。だが、二人のやり取りと聞いていたロッティは完全に放心状態だった。
(あら、一体誰が誰の番? 私はセリオット様の番でシエラ様の番じゃないわよ)
一人で混乱しているとシエラが近づいてきて、視線が合うように屈んでくれる。
「――本当は完全に大人の姿になって迎えに来たかった。でもうっかり歳を数え間違えたんだ。成長期に入ると成長薬は副作用が出るから使えなくて。子供の姿が恥ずかしくて会えなかった。かっこ悪くて真実を言えなかった。眠っている間にあなたのご両親が亡くなって、大変な時期に寄り添えなかった。領地と爵位を守るため、独りで戦っているのにすぐに支えられなかった」
話を聞いていたロッティは頭の中が妙に澄み渡っていく感覚を覚える。
(もしかして――)
気づいた途端ドクン、と心臓が大きく跳ねる。
「目覚めてここに飛んできたけれど、正直怖かった。いつ成体になれるか分からないし、人間は竜と違って番という概念がない。他の男を好いている可能性だってある。もしそうなら、私はそれを甘んじて受け入れようと覚悟した。でも……」
そこで一旦話を切るシエラがふわりと微笑む。瞳には慈愛に満ちた光が宿っている。
「でもあなたは私を信じて待ってくれていた。私を好きと言ってくれた。それがとても愛おしく、堪らなく嬉しかった。だから私は変なこだわりを捨てる。ありのままの姿であなたを迎える」
シエラはロッティの頬へとゆっくりと手を伸ばす。
「ロッティはこんな子供の姿の私でも受け入れてくれる?」
「……っ」
胸の奥底から熱い何かがこみ上げてくる。ずっとセリオットが来るのを待っていた。
それが実現してこれ以上幸せなことはない。
「そんなのとうに決まっておりますわ。どんな姿でも構いません。だってあなたは私の大好きなセリオット様ですもの」
「ロッティ……」
感極まって涙声になっていると突然、彼の身体が淡い光を放ち始めた。
まるでおとぎ話のように、不思議な光の粒を纏った美しく可愛らしい少年が精悍で眉目秀麗な青年へと変わっていく――
セリオットは「タイミングが悪いな」と苦笑を浮かべて呟いたが、ロッティには聞こえていなかった。
「セリオット様、ついに大人になれましたのね」
大人になりたいという念願が叶って、ロッティは心底喜ぶとセリオットの胸に飛び込んだ。
彼はロッティを受け止めると優しく抱き締めてくれる。そして耳元に顔を寄せ、甘い声色で囁いた。
「ロッティ、あなたが番で私は本当に果報者だ」
ロッティは首を横に振るとセリオットを見上げた。
「セリオット様はいつも私のことを一番に考えてくださいました。もっと執着の強い竜だっているはずなのに。あなたは自制していつも私のために動いてくださいます。私の方がとっても果報者ですわ。だから、たまには自分の気持ちも大切にしてくださいな」
するとセリオットが僅かに身じろいだ。やがて、やや遠慮がちに尋ねてくる。
「……少しはロッティに我が儘を言っても?」
「もちろんです。私はあなたの番ですもの!」
ロッティが大きく頷くと、セリオットは空を仰いで少しの間考え込む。そして何か思い出したのか、どこか楽しげに口端を吊り上げた。
「……じゃあ、近いうちに今朝の熱烈な介抱のお礼をさせてね」
「っ!?」
これは子供扱いしたことへの、それともサミーと同じ扱いをしたことへの仕返しだろうか。
ロッティは今朝しでかした自身の所業を思い出し、顔を真っ赤にして言葉を失った。
婚約者の使いは、大人になりたい幼い竜 小蔦あおい @aoi_kzt
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