第3話 ドラゴンですので…



 ◇


 シエラのおかげで、ロッティの領主代行業務は随分と楽になった。セリオットに仕えていることもあり、彼は領地の管理や経営などにも造詣が深い。ロッティの悩みを聞いてくれたり、アドバイスをしてくれたりとなにかと相談役になってくれている。


 もちろん、性懲りもなく毎日やってくるアレクを撃退してくれる役まで引き受けてくれるので至れり尽くせりだ。


 アレクもアレクでシエラの魔法に対抗しようと魔具をたくさん抱えて攻めてくるが、彼の魔力には到底及ばない。竜の魔力は魔法使いの魔力や魔具の数百倍らしいのでシエラは攻撃を受けても少々不快に感じるだけで痛くもかゆくもないようだ。


 先日は欠伸を嚙み殺しながら、アレクが放った氷の矢を片手で受け止めるとその量を百倍にして返していた。

 ある意味鬼畜とも思える所業だが懲らしめるには丁度いいのかもしれない、とその様子を執務室から垣間見たロッティは思った。




 仕事にも余裕が生まれ、屋敷の手入れも無事に終えた昼下がり。

 ロッティはシエラと一緒に庭園でお茶を飲んでいた。


「ロッティ様は令嬢なのに屋敷の手入れまでできるのですね。それに家事も。このリンゴのパイだってあなたが作ってくれたんでしょう?」

「ええ。お口に合うかは分かりませんけれど」

「いえ、ロッティ様が作ってくださったものはどれも美味しいです。家庭的な優しい味は食べていて幸せな気持ちになります」


 シエラは目を細めるとフォークに差したパイを口に運ぶ。

 ロッティは顔に熱が集中するのを感じた。シエラの和やかな笑みはどこかセリオットと重なる部分がある。


 単に彼が同じ種族で同じ髪と瞳の色だからなのかもしれないが、それによって自分がセリオット不足に陥っていることを思い知らされる。

 少し気恥ずかしくなって顔を伏せた。



「そんなに褒めないでくださいませ。私はただセリオット様にふさわしい婚約者に、番になりたかったのです。少しでも彼の隣に立てるようになりたくて。だからいろいろと学びましたの」


 ロッティの中でセリオットは完璧な存在だった。早く彼の背中に追いつきたい。同じ目線で世界を見られるようになりたい。

 ただその一心でここまでひたすらに努力を重ねてきたのだ。


 すると、カップをソーサーの上に置いたシエラがうーんと考える素振りをみせる。


「ロッティ様の中でセリオット様が変に崇拝されているように思います。もっと力を抜いて大丈夫ですよ。セリオット様も魔力が最強ってだけでただの竜です。机の角に足の小指をぶつけて悶絶はしますし、うっかり大事な書類にお茶をぶちまけて宰相に怒られて半泣きになりながら作り直します」

「なんておっちょこちょい!? って、そんな話聞きたくなかったですわよ?」


 ロッティが頭を抱えて半ば叫ぶと、シエラはくすくすと笑う。


「私は事実を、あなたの知らない陛下を話しているだけですよ。この世に完璧な者はいません。……ロッティ様はそれでもセリオット様が好きですか?」

「へっ!? あ、えっ!?」


 突然好きか尋ねられて困惑した。

(な、なんで突然そんな質問を!?)


 どこか表情に影を落とすシエラ。きっとそんなセリオットでも、ロッティが受け止めてくれるのか心配しているのだろう。彼のセリオットへの想いは十分に伝わってくる。

 ロッティは小さく咳払いをし、背筋を伸ばすとはっきりと答えた。


「――はい、とっても好きですわ」

「……なんだか嬉しいのでもう一回仰ってください」


 ぱっと顔を輝かせたシエラはロッティの手を両手で握り締めてきた。嬉しくて思わずといった様子だが、セリオット同様に顔の良い美少年に至近距離で迫られてはたまったものではない。


「はいっ!?」


 ロッティの顔はさらに熱が集中する。別に本人に告白したわけではないが、セリオットのことを知っている人に告白を聞かれるのは大変気恥ずかしい。


「も、もうっ! シエラ様ったら意地悪ですのね!! そんなですと番に嫌われますよ?」


 口を尖らせてそっぽを向くと、シエラはくすくすと笑いながらロッティから離れた。


「大丈夫です。私の番は私のことが大好きですので」

「そ、そうなんですの?」


 なんとも凄い自信だ。

 シエラは自分の番を思い出しているのか大層うっとりとした表情でお茶を啜っている。彼もまた、番を大切に想っているようだ。


(それにしても、子供のシエラ様にはもう番がいらっしゃるのね。番に出会える確率がゼロに近いと言われているのに。彼の方がセリオット様よりよっぽど果報者では?)

 ロッティは幸せそうな彼を眺めながらぽつりと呟いた。





 ◇


 シエラがここへ来てから数週間が過ぎた。

「今日は雨が降りそうだわ」


 朝早く起きたロッティはショールを羽織り、自室のバルコニーから空を見上げていた。灰色の雲が空一面を覆っていて、今にも降り出してきそうだ。


 洗濯物は明日にした方がよさそうだ、などと頭の隅で判断していると頬に雫が落ちた。とうとう降り始めたのだ。

 雨は瞬く間に激しくなり、ロッティは慌てて自室に戻って扉を閉める。


「雨で悪路になるから、アレクおじ様は来ないわよね。今日はいつもよりゆっくり過ごせそう」


 ロッティは身支度を調えるとお茶を淹れに厨房へ足を運んだ。ハーブティーが飲みたい気分なので厨房の勝手口すぐの裏庭に傘を差して向かう。裏庭には多種多様なハーブが自生しているので料理の味付けの際は大変助かっている。


 新鮮なミントとレモンバームを摘んで籠に入れていると、目端に黒い塊が映った。

 ウサギにしては大きく、キツネにしては小さい。一体何だろうと顔を向けるとそこには見たこともない生物が泥まみれになっていた。


  青みを帯びた銀の鱗に覆われた身体。背中には有翼があり、手足の爪はとても鋭い。しかし丸っこいフォルムからは畏怖などはまったく感じない。


「……幼竜?」


 ロッティはまじまじと幼竜を観察する。その下には見覚えのある白いシャツや短パンなどが敷かれていて、側には靴が転がっていた。


 そこでロッティはハッとする。



「もしかしてシエラ様!?」


 急いで駆け寄って抱き上げる。ぐったりしている彼の身体は雨に濡れて冷たい。このままでは風邪をひいてしまうかもしれない。

 ロッティは幼竜のシエラを抱えて連れ帰ると、風呂場に向かった。バスタブにお湯を張っている間、お湯に浸したタオルで泥のついた箇所を優しく拭いていく。


 すると、固く閉じていたシエラの目がゆっくりと開いた。


「ロ、ティ様……?」

「気づかれまして? 裏庭で倒れていたのでとってもびっくりしましたのよ」

「ああ、ごめんなさい。成長期は自分の意思にかかわらず眠りに落ちることがあって」


 シエラ曰く、竜族の子供は成長期に入ると急激に眠くなって倒れてしまうことがあるらしい。通常、竜は成長する際半年ほど眠りについてエネルギーを貯めて成体へと変化する。その期間の睡眠の質が悪い場合は、今回のように眠りに落ちてしまうらしい。


「私はこの間までずっと眠っていたんです。だからもうすぐ成体になれるんです」


 ――そうしたら、胸を張って彼女に会える。会って、これまでのことを謝るんだ。



 まだ微睡みの中にいる彼はトロンとした瞳で胸のうちを吐露してくれる。彼女、というのはシエラの番のことだろう。

(シエラ様は、早く大人になりたいのですね)


 きっと、彼の番は既に大人なのだろう。自分も早く大人の姿になって彼女に追いつきたいという気持ちがとても可愛らしい。

 大人になったら、シエラはどんな青年になるのだろう。


 ……セリオット様以上の方はいらっしゃいませんけれど。などと考えてしまうあたり、本当に自分は重症だなと思って苦い笑みを零してしまう。


「早く大人の姿になれるといいですわね。――身体の泥は大体落ちました。湯船に浸かって身体を温めたら、今度は石鹸で綺麗に洗って差し上げますわ」


 ちゃぷんとシエラをバスタブに入れると、お湯を入れ直した桶に海綿を浸して馴染ませる。


「そう。ロッティ様が身体を…………洗うぅっ!?」


 漸く意識が覚醒したシエラは素っ頓狂な声を上げた。



「いやいや。やめてください!! そんなことされたら私はっ! 私はどうにかなってしまいます!!」


 室内は湯気が立ち上り、まるで霧のように濃くなって辺りを覆い隠していく。これはシエラの魔法によるものだろうか。

 ロッティはシエラがいる方を向いて優しく声をかけた。


「でも、その腕では背中は洗えないでしょう? ですから私がお手伝いします」


 竜の腕は少々短いので背中には届かない。きっと一人では苦労する。

 石鹸の泡をつけた海綿を握って手探りでバスタブの縁を探していると、湯気の中で黒い影が動いた。


「ロッティ様は慎みを持ってください!! 私は男で、あなたは女なんですよ!」


 湯気の中からいつの間にか人間の姿に戻ったシエラがこちらに顔を突き出した。

 青みがかった銀の毛先からはぽたぽたと水滴が滴り落ち、頬は熱い湯に浸かったせいなのか紅潮している。上半身は白磁のように滑らかで、まだあどけないはずなのにどこか艶めかしい色気を帯びていた。



(顔が整っていると少年でも色気を帯びてしまうのかしら?)

 呑気に見とれてしまったロッティは我に返ると、小さく咳払いをする。


「えーっと、シエラ様はまだ子供です。おませな年頃なのかもしれませんが遠慮しないでください。これでも小さい頃は飼っていた牧羊犬のサミーの身体を洗ったことがありますの」

「竜をよりによって犬と一緒にしないでくれます? というか私はロッティ様よりも年上! 見た目で判断されては困ります。男女の知識だってありますし、私はもうすぐ百歳なんですよ!!」

「えっ!?」


 ロッティは頭を鈍器で殴られたような衝撃を受け、ぽかんと口をあけた。

 まだ十二、三歳にしか見えないこの少年の年齢は自分が生きた年も、両親が生きた年も遙かに超えている。


「ひゃ、ひゃく!?」

「種族が違うと寿命も成長の仕方も違うので当然です。竜族は百歳になると成体へ変化するんです。あ、因みに番になると互いの魂の寿命を半分にして分けるから先にロッティ様が先に死ぬ、なんてことはないですよ」


 知らなかった情報に触れて驚きの連続だ。理解が追いつかなくて目を瞬いているとシエラが気まずい様子で視線を逸らす。



「……あとは自分でやりますからロッティ様はここから出てってください」

「あっ」


 気づいたときにはロッティは厨房に立っていた。シエラの魔法で強制的に転移させられてしまったようだ。


「見た目が子供だもの。百歳だなんて言われてもなかなか信じられないわ」


 額に手を当てて自分のやらかしを深く反省する。彼からすれば十八歳の小娘に子供扱いされてさぞ嫌な気持ちになったことだろう。

 あとできちんとお詫びしよう、とロッティは深いため息を漏らしながら思った。


 窓の外はいつの間にか雨が止み、雲の切れ間から太陽の光が差していた。


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