異食
鳴海てんこ
異食
蒸し暑い日の仕事上がり、どうにも自宅で料理をする気が起こらず、すきっ腹を抱えて行きつけの居酒屋に入った。どうせ家に帰っても一人、ご飯を待っているペットもいないので構いやしない。
入ったのは異食屋という、食に少々難儀している私でも食べられる料理を提供してくれる居酒屋さん。「こんばんわ~」と会釈をすると顔なじみの店員さんが隅の席に通してくれた。
すぐさまいつものメニューとお冷、お手拭きを持ってきてくれる。
「とりあえず生と、何か珍しいの入ってます?」
冷たいお手拭きで手をさっぱりとさせ、お冷で口を潤す。長い髪をざっくり後ろで一つにまとめ、手書きのメニューとご対面だ。異食屋は私の少し変わった主食を美味しく調理してくれるので、どんな高級レストランよりも好き。
「今日はあんまり珍しいのはないですね」
「あら残念。じゃあ六角ボルトのガリバタ炒めと化粧ビスの浅漬け、あと蝶ネジと六角ナットの煮込みでお願いします。とりあえずそれで」
「六角ボルトはステンレス鋼と鉄製ユニクロメッキがありますけど、どちらにしますか?」
「ステンにしようかな」
「ワッシャー抜きにしておきますね」
手際よくメモを取ると、店員さんはカウンター越しに店主に注文を伝えに行った。異食の中でも特にネジを主食とするネジ食いの私にとってこの居酒屋は、美味しくコスパよくネジ料理を提供してくれるありがたいお店だった。
お通しはドリルネジの盛り合わせ。美味。生ビールと相性抜群、最高。すぐさま化粧ビスの浅漬けが出てきたので舌鼓を打つ。
他の席も大抵が一人。紙を食べている人、鉱物を食べている人、プラスチックを、木を、ガラスを、ゴムを、多種多様な異食の人がいた。いずれも普通の居酒屋では食べることが出来なくなった人達で、この異食屋はまさに難民キャンプだ。店主の奥様が異食になり、異食の勉強をしたのがきっかけで始めたお店らしい。
「なんと、あなたもネジ食いですか」
幅広の眼鏡をかけた五十ぐらいのオッサンが隣の席について早々、私のお通しを覗き込んでいた。だいぶ古い携帯端末をつけっぱなしでテーブルの上に置き、汗だく顔を冷たいお絞りで拭きあげている。あいふぉーんとかいう、相当昔のやつだったろうか。
「そう、ですけど」
あからさまに怪訝そうな返事をしてしまった。こっちはまだ二十代の、しかも女。同じ異食で興味を引かれたのは分かるが、いきなり声をかけるのはちょっと引く。
あまりにも露骨だったのか、オッサンは申し訳なさそうに頭を下げた。
「つい、すいません。鉱物食いや金属食いは知り合いにいるんですけど、同じネジだけの方には初めて会ったもので」
「ネジ食いはそこまで多いわけじゃないですから……」
「人口の一割が異食者なのに、初めて同じ異食の方だから嬉しくなっちゃって」
オッサンは生ビールだけ注文して、そのまま携帯端末をいじっていた。あの携帯端末はすでに廃番、通信規格も今は使われていないはずなのだが。
妙な人が隣に来てしまった。壁に肩を押し付けて、お通しと化粧ビスの浅漬けをつまむ。早く六角ボルトのガリバタ炒め来ないかなぁと、せわしなく厨房を駆け回る店主を眺めること数分、待望の料理が二つとも運ばれてきた。六角ナットの煮込みに一味をたっぷりとかけて、さぁいただきますと割り箸を構えた瞬間。
「あのぉ、あなたはいつネジ食いに?」
オッサン、もう絡んでこないでほしい。
かといって年上の男性は苦手だし、なんとなく断りづらい。無視をしてもいいのだろうが、答えなければ悪い気がして構えた右手をいったんテーブルに置いた。
「十二です」
「僕は三十五になってからで。いきなりネジ以外のものを受け付けなくなって、ホントびっくりしましたよ」
「そうですね、私もそうでした」
適当に頷いて頃合いを見計らい、六角ボルトのガリバタ炒めを口に放り込む。絶品としか言いようがない。コッテコテの味付けとボッキボキの六角ボルトの食感が堪らない。
煮込みの方も蝶ネジを一つパクリ。味が染みないネジのネジ溝にトロミのある煮汁が絡み合い、濃いめの味付けとごろごろとしたネジ、そこへ一味のピリッとしたのが実にマッチしている。
料理自体は実に口福だったのだが、料理を堪能する私はオッサンに笑顔で見守られていた。ここまでくると気味が悪い。
「注文しないんですか」
「大丈夫です、もう注文してあるので」
ん、と首を傾げる。いつ注文したのだろうか、気付かなかった。あるいは常連で頼むメニューが決まっているとか。特殊なお店だからこそありうる話だ。
それはそれでよいとして、見られながら食事をすると言うのはだいぶ居心地が悪い。
「見られてると食べづらいんですけど」
「すいませんねぇ。ところであなたが一番おいしいと思うネジ料理は何ですか」
人の話を聞いちゃいない。なんだかだんだん腹が立ってきた。ここはひとつ、意地悪をしてみようと私の脳みそが閃いた。
「左利き用のネジですかね。珍しいですから」
「ああ、左利き用の。確かに珍しい」
「見つけるとつい頼んじゃいます」
「そうそう、僕もアレ大好きですよ」
オッサンはにこにこしながら何度も頷いた。なるほど、オッサンは嘘つきだ。
左利き用のネジなどない。あるのは逆回転のネジ、しかも扇風機などの回転する物に使われるのでさして珍しくもない。ところが、さも食べたことがあるように言うので、つまりこのオッサンはネジ食いではない。
途端、オッサンの意図が分からず、怖くなった。箸を置き、無言でオッサンを睨みつける。するとオッサンの方も察して、笑顔が固まった。
「なんで嘘つくんです?」
気持ちが悪い。ただでさえ異食の人間は偏見の目で見られることが多い。私も会社での昼食は、どんなに寒くても一人屋上で食べるようにしている。
半世紀前に食糧難から自然発生した異食者に対する差別をなくそうなどと誰もが口では言っているが、未だ差別も偏見も無くならない。
「何なんですか」
このオッサンは最高レベルに警戒すべき相手だ。
席を変えてもらおうと店員さんを呼びかけた。
「いやぁすみません。これが僕の食事なんです」
「は?」
見ると開きっぱなしの古い携帯端末に0と1の羅列が並ぶ。今も数列が生成を続けていた。見せつけた携帯端末をオッサンは少し上を向いて口を開けたところに傾ける。携帯端末からゼロとイチがざらざらと音を立てて口へ流れ込んだ。
「ちょ、何、え?」
「データ容量食いなんですよ、僕」
データをもちゃもちゃと咀嚼して飲み込むと、オッサンは生ビールを飲み干す。一気に真っ赤になったオッサンははぁ、と悲しそうにため息をついた。
「しかもビットは真が0で偽が1だからなのか、嘘つきなデータの方が妙に歯ごたえあって美味しいんですわ。でも嘘をつくのは心が痛みましてね」
データを食べ終わったオッサンは店員さんを呼ぶと、二人分のお勘定をして帰っていった。
異食 鳴海てんこ @tenco_narumi
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