最終節 明日は明日の風が吹く
夜風が頬を打つ。扉を開けた先で、倒れ伏す仲間達を下にして、ホワイトライダーが立っていた。天馬が嘶く。勝利を誇るかのごとく。
「随分遅い帰還だったな」
ホワイトライダーは仁を見ないまま、言葉を発した。
「どうした?仲間が倒れているぞ」
仁は迷うこと無く、ホワイトライダーの方に足を伸ばした。そして、天馬の顔ごとホワイトライダーを殴った。白い顔に傷がつく。
「ほう、やるか」
仁は首を振った。
「もう帰れ」
「できん相談だ。世界の削除を請け負った身でな」
「停滞の罰ってやつか」
「そういうことだ」
冷たい空気が鼻腔を突く。深い呼吸をし、仁は言った。
「四人揃うまで待て。俺が集めてやるから」
それを聞き、ホワイトライダーは雲さえ震わせるほどの大きな笑いを上げた。
「横暴な事を言う。貴様のような奴は未だかつておらなんだわ!」
しばらくして、ホワイトライダーの笑い声がおさまる。その後、天馬から降りて仁に近寄ってきた。
「根拠はあるのか?」
下らないことを口走るなとばかりの、怒りに満ちた威圧感。夜の暗さはホワイトライダーの白い体躯に、より重厚な印象を与える。
だが、仁は怯まず答えた。
「架純と約束したんだ。絶対、迎えに行くって。だから俺はゾアを集める。アンタだって、残りのゾアと戦いたいんだろ?なら退けよ。待つぐらい、わけないだろ?」
ホワイトライダーは指で顎をなぞった。どうやら乗り気らしい。
「確かに、我々の100年は貴様等の一年にも満たぬからな」
しかし一転、ホワイトライダーは爪の矢を弓につがえ、矢先を仁の心臓に突き立てた。
「刻限を新たに設定せねばな。100年程度では揃わぬぞ?」
少しでも息を入れれば胸を抉られる距離感で、仁は三本の指を立てた。
「300年なら満足か?」
ホワイトライダーは再び吹き出した。
「気の遠い話だな!で、いかにして叶えると?」
「お前、質問ばっかだな」
矢を掴み、仁は瞳を逸らさず言った。授かった想いを音に乗せて。
「俺がやるって決めたんだ。疾走(はし)るさ、手が届くまで」
沈黙が流れる。数刻の後、ホワイトライダーは口を開いた。
「理不尽な願いを言ってくれる」
「お互い様だろ」
「違いない」
矢を取り下げ、宣言した。
「いいだろう。貴様の矜持に免じ、300の猶予を授けよう。我が試練を乗り越えた褒美だ、ありがたく思え」
そしてホワイトライダーは弓を納め、手を差し出した。仁は尋ねる。
「握手か?」
「貴様等はこうして契りを結ぶと聞いた」
「友達だけだ、こういうことするのは」
「なら、我が友となれ」
どの面下げてそんなことを。文句の一つや二つをぶつけたくなるが、ホワイトライダーにその類いの文言は通じないだろうと、仁は薄々勘づいていた。
しぶしぶズボンで手を拭き、握手に応じる。
「せめて名前ぐらい覚えろ。俺は志藤仁、お前達を倒す男だ」
「やれるものならな。せいぜい長生きしろよ?我が友、志藤仁」
握り潰すつもりで、全力で握った。しかし、ホワイトライダーは意にも介さず、微笑んだまま闇夜に消えた。いつか必ず、本当に握り潰せるぐらい強くなってやる。そして、架純を迎えに行く。
風が吹く。風は荒れ果てた都心部を優しく通り抜け、渡る先に花を芽吹かせた。星空の下、気がつけば辺り一面が花畑になっていた。天と地に咲く星と花を見て、彼方へ去る風に手を伸ばして、仁は呟いた。
「たった300年、軽いもんだ。なぁ、架純」
混沌の待つ卓上へ帰り、ホワイトライダーは最も絢爛な装飾が施された椅子に腰かけた。三人の同胞がそれぞれの椅子に座り、ホワイトライダーのことを見る。
「なぜデリートしなかったんだ、テメェッ!」
赤い大剣を背に抱える、真紅の肉体を持つ鬼。レッドブレードが卓を叩き、怒り猛る。
「無礼ですよ、レッドブレード。『仮にも』彼が最上位の騎士なのですから」
卓に置いた黒い天秤を揺らし、漆黒のローブに身を包む商人。ブラックリブラは慇懃無礼な態度でレッドブレードを諌めつつ、ホワイトライダーに皮肉を垂れる。
「ホンマ決闘バカっちゅうか何ちゅうか…振り回される側ん事考えてみぃや少しは」
青い大鎌に備えつけられた時計のネジを巻きながら、ため息をつく青髪の死神。ブルーシックルはホワイトライダーを戒め、しかし憂慮の表情を浮かべる。
「大丈夫やった?何かあったんやろ?アンタが任務こなさんと見逃すとか余程の事やし」
各々の反応を全て呑み込み、掻き消さんばかりの勢いで、席から立ち上がったホワイトライダーは雄弁に話し出した。
「我は面白いものを見た!風のゾア、そして我が友、志藤仁!奴等は高潔で誇り高く、我が見た者の中でも屈指の勇者であった!約束の時、300年後が楽しみである!」
高揚するホワイトライダーに、ブルーシックルが冷静に問いかける。
「アンタ、まさかデリートまでの期間延長したんちゃうやろな?」
「そうだが?」
悪びれる様子もなく答えるホワイトライダーの頭を、大鎌の柄込みで叩き、
「『そうだが』やないやろこのアホ!」
とツッコミを入れた。その後、ブルーシックルは涙ぐみ、ホワイトライダーに抱きついた。
「ホンマ心配したんやで?やられたんか思てさぁ…」
「我は死なん。最強だからな」
「アホぉ…」
ホワイトライダーに泣きつくブルーシックルを見て、ブラックリブラは静かに笑った。
「あなたには心臓がいくらあっても足りなさそうですね」
茶化すブラックリブラに、ブルーシックルは眉を潜めて咎めた。
「そらせやろ!アンタら皆して好き勝手しよってからに、ご主人心配させすぎやねん!ウチも心配なるわ!」
ブラックリブラは真剣な訴えを涼しくいなすように軽く笑い、にやけた面構えで語った。
「隣の方や騎士長殿はさておき、小生は違うでしょう。マスター様のお怒りを買うなど、生を受けてからというもの、一度も経験しておりませんが?」
天秤を弄るブラックリブラの手のすぐ傍に、赤い大剣が突き立てられた。筋張った手が汗ばむ。筋骨隆々な体躯から異臭を放ちつつ、レッドブレードは吠えた。
「いつオレ様が兄貴を怒らせたってッ?寝言は寝て言いやがれこのモヤシッ!」
喧騒の絶えない卓上に静けさをもたらしたのは、卓の中央に舞い降りた、金色の衣を纏った男であった。宙に浮かぶ痩せ型の彼を見て、四人は一斉に片膝をついて頭を垂れた。
「誠に美しき姿、瞳に刻みつけられる喜びに感謝いたします。我が主、ヨハネス」
畏まるホワイトライダーの頭に手をかざし、ヨハネスは穏やかに言った。
「そう気張らなくていい、ホワイトライダー」
かざした手を上に動かすと、ホワイトライダーの身体は締め上げられ、ヨハネスと同じ目線まで吊り上げられた。
「私は言ったはずだよ?デリートしてこいと。約束を違える不義理者ではなかったと思うのだけれど」
苦悶の表情をしつつ、ホワイトライダーは理由を打ち明けた。
「我が試練を乗り越えられれば、これ以上の干渉はむしろ我々が契約を破る羽目になりましょう」
どよめきが起こる。ヨハネスは訝しみ、首を傾げる。
「事実かい?君ほどの者の試練を打破する者が、世界に現れたと?」
「はい。それは進化に等しいのではないでしょうか」
ヨハネスはかざした手を下げ、ホワイトライダーを下ろす。痛みの残る身体で、なおもホワイトライダーは胸の内の悦びを打ち明けた。
「奴等の高潔たるや、我が身を滾らせるほどでした。故に、奴等に賭けたくなったのです。猶予は300年。その間、奴等の選択が世界をどこへ向かわせるか、四人のゾアの揃いし先に何を見るか、知りたくなったのです」
ホワイトライダーの言い分にヨハネスは微笑み、
「面白いね。風のゾアは神の隠れ家に消えたことだし、新たなゾアを誕生させるのも悪くない。君の賭け、私も乗ろう」
「ありがたき幸せ」
ホワイトライダーは再び頭を垂れる。
「さて、彼らは師匠の遺志を継ぐ者か、裏切る者か…」
一連のやり取りを目にし、レッドブレードは一人呟いた。
「オレ様は認めねぇからなッ…!」
世界の預かり知らぬ場、混沌の間で、騎士と主は語らい合うのであった。
あれから、いくつかの時が流れた。
都心部に咲いた花は植物公園として舗装されることが決まった。名前は募集中だが恐らく、日本中で視認できるほどの旋風が廃墟に花をもたらした事件、通称『アマカゼの奇跡』にちなんで『アマカゼ公園』とでも名付けるのだろう。SNSでも大方がそう予測している。
仲間達は極秘裏に防衛省の手で運ばれ、緊急治療を受けた。幸い、一命は取り留めた。レシーバーズは生命力が強いから、多少リスクを伴う治療法でも成功しやすいのだそうだ。
架純の家族には遊月の進言通り、事故死と説明した。下手に希望を抱かせる方がつらいと、遊月は唇から血を流して言っていた。それは遊月自身の咎め立てでもあるのだろう。300年待てなどと非現実的な交渉をした仁と、架純を守りきれると思ってしまった自分自身と。
皐姫と星牙は実家の呉服屋を継ぐために経営の勉強をし、静かに暮らすと言っていた。政府にコネクションを持つような店で、果たして静かな暮らしができるものなのだろうか。仁は疑問に思ったが、少なくともレシーバーズとの戦いよりは静かだろう。
零は自分の時を止めてしまった日向を甦らせるため、研究に没頭するらしい。遊月はその手伝いをするべく、仁が三年に上がる頃に教師を辞めた。やっぱ俺には向かねぇわ、なんて言っていたが、仁は遊月の赤くなった目と、生徒向けのメッセージを書いた時に作ったペンタコを見逃さなかった。元々、澪士に勧められて始めた仕事だったと言っていた。見る目があると思った。
奏雨は転校という名目で旅に出た。自分が向き合うべきものを探すために、まずは紛争地域をしらみ潰しに渡り歩くと言っていた。苦難の道だろう。いくらレシーバーズとしての力があるとはいえ、心身ともに疲弊するに違いない。それでも、彼女の決意は揺らがなかった。空港へと強く歩くその背中に、仁はほんの少しだけ架純と同じものを感じた。
そして仁はいま個室で、政府機関の役員と会話をしていた。防衛省にまつわる話と聞いている。
「──それで、ミストゲイル含む計五名のレシーバーズと深い関係を持つあなたにこそ頼みたいのです」
仁は一通りの説明を受け、しばらく考え込んでから提案した。
「では一つだけ条件を」
「何です?」
「そのレシーバーズには一切関与しないこと。彼らには彼らの進路がありますから。これを呑んでくださるなら、レシーバーズ部隊『アマカゼ』の指揮官着任の件、引き受けさせていただきます」
架純。あれから七年だ。お前が高校一年生やっている間、俺はもう大学を卒業しちまった。その間、俺は博士号を取ったんだ。凄いだろ?
何か、信じられねぇな。お前が年下になるなんてさ。ちっちゃい頃からずっと一緒で、一緒に歳食って、一緒に死ぬモンだと勝手に思っていた。そうでもないんだなって、お前の写真を見る度に思うよ。
皆、それぞれの道を走り始めた。お前が守ってくれたもの、お前が見ようとしたもの、そういうものを皆が追いかけ始めたんだ。言葉じゃない、背中に惹かれたんだろうな。お前、理屈より行動派だし。
架純。あと293年だ。たった293年のタイムリミットで、お前に会えるんだ。軽いものさ。冷凍睡眠の開発が本格的に視野に入り始めたんだ。タイムスリップぐらい楽勝にできちまう。前にしか行かないポンコツだけどな。でも、前だけでいいと思わねぇか?だって、足は前に出すものだもんな。
そういえば、ダンスも少しは上手くなったぜ。今度、卒業生達の催しでダンスを披露することになっているんだ。お前ほどじゃねぇだろうけど、皆のことあっと言わせてみせるよ。
とにかく、気楽にステップを踏んでみるよ。だって、明日は明日の風が吹くんだからさ──
レシーバーズ 霞の章 風鳥水月 @novel2000
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