ハモとおかんと笑わない俺

東美桜

※このおまわりさんは特殊な訓練を受けています

草通くさどおり巡査」

「なんだ」

 同僚の佐々木巡査の声に、俺は面倒ながら書類から顔を上げた。交番の休憩室のカーテンを開けたまま、彼は缶コーヒーをカップに注ぎながら話している。頼むから缶のまま飲め。カップに注ぐだけ時間の無駄だし、洗い物も増えるだろうが。

「昨夜、夢に神さまが出てきたんだよ」

「そうか。で?」

「『グラニュー糖だと思って吸ったらシャブだった』って供述してたんだけど、任意同行した方がいいと思う?」

「神さまに日本国の法律が適用されるか調べとけ」

 眉ひとつ動かさないまま、雑に答える。佐々木は盛大に頬を膨らませるが、アラサー男にやられても全くもって可愛くない。

「ハムスターの物真似するならもっとうまくやれ」

「プイプイって鳴いてみるか?」

「それはモルモット。軽率に流行りに乗るな。全くもって面白くない」

 言い放ち、再びカウンターに向かう。佐々木が何か文句を垂れているが、聞く必要は特にない。書類に「草通永釧えくし」と署名し、四角形の壁掛け時計に目を向けると……現在時刻は12時57分。そろそろ俺も休憩時刻か。


 書類をクリアファイルに仕舞い、引き出しの中に片づける。懐からウォーキングマンを取り出し、イヤフォンを片耳にはめた。ウォーキングマンを操作して何を流そうか選ぼうとしても、上から支給されたそれには某演芸番組の音声データしか入っていない。違法データではないと信じる。

「……なー、草通巡査、そんな毎日毎日同じのばっかり聴いて飽きねーの?」

「そうでもない。毎週新しい音源が追加されるし。つか、そういう訓練なんだから仕方ないだろ」

「いやまぁ、そうだけどさ……」

「警察学校にいた頃はもっとひどかったからな。俺だけ個室に入れられて、通常の訓練に加えて1時間毎にお笑いのネタ見せられるし、たまにおかんが掃除しに来ては『あの野菜の名前忘れたんだよなぁ』とか言うし」

 無心で画面をスクロールしながら、地獄の日々を回想する。走り込みをしていても授業を受けていても、きっかり1時間毎に現れる芸人。演芸番組の録音を流し続ける休憩時間。そしておかん。何でも忘れるおかん。『マジ卍の意味を忘れた』とか知らんがな。言ってる本人たちさえ定義できんものを俺に聞くな。嘆息し、適当な回の再生ボタンを押そうとして。


 と、音割れがひどい音声が流れ出した。反射的に耳からイヤフォンを引き抜き、腰の通信機を掴む。雑音に混じって響くのは、この一帯を管轄する上司の声。

『出動要請、出動要請。江武湾えむわん交番付近で110番通報。交番最寄りのフレンドリーマート前で、20代程度の女性が10代程度の女性を刃物らしきもので脅迫している模様――』

 随分と雑な110番だな。まず『らしきもの』って何だ。そう言おうとして、ぐっと言葉を飲み下す。そんなことを言っても仕方がない。本当に刃物だったら、れっきとした事件だ。

『――至急出動せよ』

「草通、了解」

「佐々木、了解」

 上司の声に短く応答し、俺は装備を確認しつつ、カウンターの脇に抜けていく。同様に休憩室を出てくる佐々木が、電話脇の卓上案内板を立てかけた。


 ◇◇◇


「だから、わからないって言ってるじゃないですか!」

「なんでわからへんねん! 若者やろワレ? 若者やったらわかるやろ、なぁ!」

 白と緑の看板のコンビニ付近には、二人の女性が言い争う声が響いていた。一度コンビニ付近の曲がり角に身を隠し、様子を窺う。通信機で本部に報告をする佐々木を横目に、俺は深く息を吐く。……聞き慣れた声と、聞き覚えがある声。頭がずきずきと痛むが、俺は両頬を一つ叩いた。腰から警棒を引き抜き、佐々木に一つ目配せする。彼が頷くのを確認し、俺は二人の前に姿を現す。


「――おかん! 花!」

「……え?」

 呆然としたような佐々木の声。しかし気にせず、俺は二人を真っ直ぐに睨む。片や、俺と同じチョコレートブラウンの髪をボブカットにした娘。草通家全員の特徴であるつり目気味の目は、事態を飲み込めていないかのように見開かれている。サイケデリックな柄のダウンジャケットに無難な黒のスカートを合わせた着こなしは、俺にはセンスがいいのか悪いのかわからん。芸人養成所に通う草通家次女――つまり俺の妹の、草通花。

 もう片方は黒髪をツインテールに……しているはずだが、適当すぎて謎生物の尻尾が二つひっついているようにしか見えない女性。年齢的には俺と大して変わらないだろうが、本人が「おかんって呼びぃ」と言ってはばからない、変な娘だ。腰にはウナギか何かを入れるタイプの小さな籠。灰色のタートルネックワンピースの上につけられたエビフライ柄のエプロンは、警察学校にいた頃から変わらないトレードマークだ。そう……当時たまに掃除に来ては忘れた言葉を思い出そうとする、あのおかん。そしてその手には……何故か、銀色のウナギのような魚。

「いやハモ」

「ハモやで。っちゅうか、もしかして永釧えくしか!?」

「そうだ。草通永釧えくしだ。見てわかれ」

「エクにぃ!? っていうかこの変な人、知り合いなの!?」

 おかんを勢いよく指さし、ボブカットを振り乱して絶叫する花。そりゃそうなるだろう。というか何故、花とおかんが絡んでいるのか。

「まぁ……警察学校でお世話になったくらいだ。というかおかん、なんでここにいるんだ」

「なんで言うても、永釧えくしをたずねて三千里、はるばるここまで来ただけやで。っちゅうかワレ、人のこと指ささんといて!」

「す、すみません……」

 縮こまるな、花。そして佐々木、コーヒー屋の影でこっそり見守るな。頼むから線だか鳥だかのSNSで実況するな。面倒なことにしかならないから。


「……で。おかんが花を刃物的な何かで脅してるって通報受けて来たんだが……刃物じゃなくてハモだな。笑いのネタにもならない」

「え、遠目に見たら刃物ちゃう?」

「どこがだ。で、おかんは花に何を聞こうとしてたんだ」

「せやから、『マジ卍』の意味やって」

 やれやれ、と肩をすくめるおかんだが、九割九分九厘おかんが悪い。花が腰に手を当て、厄介そうに供述を始める。

「『知り合いに会いに行く前に「マジ卍」の意味を知りたい』って言ってたけど、そんなの私に聞かれても困るし……私がネオチャラなのは名前だけだし、そんなこと聞かれてもわかんないよ……」

「いやいや、わからんことはあらへんやろ。『マジ卍』っていうのは若者が使う言葉やろ? やったら若者に聞ったらわかるやろ。わからん若者がいたら、それは若作りした年寄りや」

「お前も若者だろ、おかん。あとしれっとハモをぶん回すな」

 カウボーイか何かのように細長い魚を振り回しながら、暴論を振りかざすおかん。佐々木がスマホを取り出し、それを撮影している気配がする。頼むから職務遂行中に遊ぶな。そしてSNSにアップしようとするな。佐々木は一旦放置して、俺はじっとりとした視線をおかんに向ける。

「とにかく、人に迷惑をかけるな。異常はなかったって報告しておくから、帰れ。心斎橋に帰れ」

「……ちぇ」

「ちぇ!?」

 ――唐突に耳を打ったのは、氷を打つような舌打ちだった。先程まで元気にハモをぶん回していたおかんは、アスファルトの地面を睨んで押し黙っている。……何だろう、嫌な予感がする。夜風に首筋が徐々に冷えていくような。


「ここまで来ておいて、おめおめいぬ帰るわけにはいかへんなぁ……!」

 ハモの両端を掴み、ゆっくりと視線を上げる。そこには先程までの愉快なおかんの光はなく、ただ月のない闇夜のような色が宿っていて。

「せめてあんたの腹筋、崩壊させてからやないと、いねへん帰れないのや!」

「え、エクにぃ、この人頭おかしいの……?」

「残念だが当たりだ。花、お前は念のため逃げろ。佐々木、花を安全なところに誘導してくれ」

「了解! 行こう、花ちゃん」

「あっ、えっ、はい」

 花を佐々木に任せ、俺は剣道の要領で警棒を構える。対し、おかんは鞭でも構えるようにハモを構え、低く声を上げた。


「ワレ、寿司とハンバーグ、どっちが好きなん?」

「どうせ千鳥か和牛のネタのコピーだろ。耳にタコができるほど聞いた。タコどころかイカやらエビやらハマグリやらウニやら出てきて、最終的に耳が漁港になった」

「ぐふっ……!?」

 腹筋に大ダメージを喰らったのか、おかんは身体をくの字に曲げて変な声を上げた。とりあえず先制攻撃は成功か。ハモを取り落としかけて、慌てて掴み直すおかん。しかしハモはウナギの仲間で、当然ウナギ同様にぬめりがある。うまく掴めずに何度も滑り抜けるハモと、必死に格闘戦を繰り広げるおかん。時折嚙まれたり、尾びれでぶたれたりして、小動物のような悲鳴を上げるおかん。俺は何を見せられているんだ。

「なぁ、知っとる? どこだかの神社には『ハモ切り祭り』いう祭りがあんねんて。知らんけど」

「知らんことを言うな」

「何言うとんねん、関西人は『知らんけど』を味の素並になんにでも使うねん。人体でいうとこのトリプルアクセルみたいなもんやで!」

「トリプトファンな。それは必須アミノ酸。通じにくいネタを出すな」

 何故このおかんは、こうも変な方向に頭が回るのか。昔『ウチ、実は東大の赤門潜ったことあんねんで』とか言っていたことが頭をよぎる。おかんがそう言うのなら、そうなのだろう。おかんの中では。

 ……三分ほど経った頃、おかんはようやくハモを捕獲した。終始それを冷めた目で観察していた俺を、おかんは息も絶え絶えになりながらも見上げる。汚いツインテールが汗でぐっしょりと濡れ、瞳にも疲れ果てたような光が宿っている。

「……え、何で、笑わへんの……?」

「そりゃそうだろ」

 眉一つ動かさぬまま、俺は警棒を腰に丁寧に仕舞う。生まれたての小鹿か何かのように足を震わせるおかんに歩み寄り、そっとひざまずいた。細かく震えるおかんをじっと見上げ、花束を差し出すように口を開く。


「……おかん。警察学校にいたとき、あんたはたくさん俺を笑わそうとしたな」

「そやけど……それがどうしたって言うん……?」

「俺は最近急増している『腹筋崩壊させる系犯罪者』への対策班候補として、通常の訓練に加えて特別メニューとも格闘していた……そのメニューの一環で出会ったのが、おかん、あんただった」

 目を閉じて思い出す。警察学校の宿舎に、毎日掃除に現れたおかん。その度に何かを思い出せないと話していたおかん。時折Ya●ooのことをヤホーと発音したり、俺の真面目な解説に『ちょっと何言ってるかわかんないですねぇ』などとぬかしたりもしたおかん。その割に『マジ卍』だの『ポケットからキュンです』などという若者言葉については『そないなモン、闇の炎に抱かれて消えたらええ』と過激な主張をしていたおかん。……だけど、そんな意味不明な思い出だって、俺の中では貼らないホッカイロのような熱を帯びている。ゆっくりと目を開き、俺はおかんの光の薄い瞳を凝視する。

「……警察官としての俺を育てたのは、あなただ。おかん」

永釧えくし……」

「あなたが育てた俺なんだから……そう簡単にくたばらないのは、当たり前だろ?」

「……」

 真っ直ぐにおかんの瞳を見据えると、彼女はふっと笑みを吐き出した。ゆっくりと立ち上がり、一度よろけて、それでも自分の足で立ち上がる。彼女は呆れたような笑みを吐き出して……突然、メガホンでも通したかのように声を張り上げた。


「そないなこと言われても嬉しくないわ!!」

「は?」

 腰に手を当て、おかんは跪いたままの俺を堂々と見下ろした。そのまま汚いツインテールを振り乱し、アンプでも繋いだかのようにバカでかい声で絶叫する。

「ウチはあんたを笑わせとうて、はるばるここまで来てん!!」

「いや、さっき『マジ卍』が云々って」

「知らんがな! あんたなんか機密書類と一緒にシュレッダーに放り込まれて塵になればええねん、こんの甲斐性無しッ!!」

 若干涙が混じった声で叫び倒し、おかんはハモをアンダースローで投げつけた。慌てて受け取るが、未だにぬめぬめしたそれは俺の手の中から逃げようと蠢いている。呆然とおかんを見上げるけれど、彼女は汚いツインテールを振り乱して言い放った。

「ハモは天ぷらにしたら美味いねん! 時間ないときは湯引きもおすすめや! お隣さんの従妹の旦那さんの同僚が釣ってきたやつやから、美味いと思うで!」

「遠いな」

「ほな、今日のところはここでお暇するわ。どうもありがとうございましたー!」

「漫才みたいに締めくくるな」

 最後の言葉は届いたのか届いていないのか。全速力でダッシュしていくおかんを見送りつつ、俺は通信機を手に取る。特に異常はなかった旨を伝えると、佐々木に連絡を入れようとして……ふと、気付いた。

(……そういや、おかんが走って行った方向、駅と反対方向だったな……)

 未だ手の中でぬめっているハモをこねくり回しながら、俺はおかんが消えていった方向を眺める。そちらに足を向けかけて、ふと通信機から佐々木の声が響いた。逃げ出そうとするハモをホールドしつつ、俺は改めて通信機に連絡を入れる。

(……まぁ、おかんは放っておいてもいいか)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハモとおかんと笑わない俺 東美桜 @Aspel-Girl

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説