第51話

 「デルヴォーク。貴方またそのような所から」


 「あら?アリアンナ様は?」




 王妃はいつものこととはいえ、窓から来訪する義甥に注意し、オルガがアリアンナの姿が見えないことを気付いて言う。


 アリアンナはバルコニーで手摺りに両手を付いたままのデルヴォークに隠れてしまって王妃様達側から見えなくなったいた。


 だがデルヴォークが退いた為アリアンナが皆の視線に晒されることとなった。




 「…アンナ、おでこをどうかしたの?」




 バルコニーで二人きりだったことは触れられず、お母様が声を掛けてくれるが答える前に両手を後ろに隠してしまった。




 「何でもありません!」




 凄く怪しい自分の行動が皆にどう映っているかを想像すると消えたくなるが、デルヴォークは気付いていないのかアリアンナの背をそっと押し部屋へ戻ることを促す。


 そして何事もなかったかのように王妃へ話し掛ける。




 「何か用があったと聞きましたが?」


 「そうです。アリアンナさんとのことを聞いておこうとしたのです」


 「では用は済んでいますよ」


 「何を言って…」


 「彼女に聞いて頂ければ大丈夫です」




 (?!今何て言いました?!)




 アリアンナがかぶりを振ってデルヴォークを見上げれば満足そうに微笑まれた。




 「誰に聞けと?」




 いまいち要領を得ない義甥に王妃が疑問を投げかける。


 皆の視線もデルヴォークに集まっている。




 「つまり私の結婚はアリアンナ殿の返事次第なので、本人に聞いて貰うのが一番かと」




 デルヴォークが言い終え、王妃へ向けていた顔をアリアンナへと戻す。


 その視線に伴う結果として皆の視線もアリアンナに注がれる。


 瞬間、アリアンナは耐え難い全員からの注目を浴びて呼吸が止まりかけたが、一斉に向けられた視線に気絶することなく、精神的悲鳴も一切漏らさず、若干顔を引き攣らせた慎ましやかな笑顔のみの返答を皆に返す。


 奇しくも望んだわけではない淑女の微笑みの極みを会得することとなった。










 ◇   ◆   ◇










 王妃様曰く「アリアンナさんに考える時間を」との盛大な溜息付きのお達しで全員部屋から追い出されていた。


 なので今アリアンナといるのは、正面で優雅にお茶を飲む自分の母アレーヌだけだった。


 アリアンナといえば、部屋へ戻る間母とは話すこともなく無言での帰室となり、本気で逃げるなら今しかない!と実行に移せぬ決意をしてはやめるを心の中で繰り返して戻って来た。


 因みにデルヴォークは王妃様の元に一人居残りとなっている。


 当たり前といえば当たり前で、デルヴォークの自分へのあの態度を王妃様や母などの大人達が見過ごすはずはなく、彼自身が招いたのだから説明をするべきだとは思うが、何を王妃様へ言っているか分からない不安は込み上げてくる。


 ただデルヴォークの方だけを気を取られていられない予断を許さぬ状況の母と対峙しているアリアンナとしては居心地が悪いことこの上ないが、まさか帰って下さいとは言えないのでまんじりともせずいた。


 何も悪いことはしていないのに、申し開きの僅かな場を貰った居心地の良くない会見のような有様だ。




 「……あのぅ」




 カチャンとカップがソーサーに置かれた音が響き、それだけでアリアンナの口を塞ぐ。


 母がわざと鳴らした音で、でなかったら食事の作法を完璧にこなす母からは有り得ないからだ。


 思わず視線を卓の下に置いた手元に落とすが、すぐに母を伺い見る。




 (あぁ……目が合ってしまったわ)




 否応なしに最終決戦的な匂いを感じて静かに長い息を吐く。




 「先程の殿下からお申し出に返事をしていないというのはどういうことなのかしら?」




 聞かれたところで、正直にすべてを話してはいけない危機感から言葉が詰まる。




 「アリアンナ?」


 「……はい」


 「何か思うことがあるなら言いなさい」




 思う事などたくさんあるが、どう言えばいいか言い淀む。


 言い方を間違えればこの聞いてくれる姿勢の母の機嫌を損ねることになることは必須だ。


 そしてアリアンナが悩んでいるうちに無言の時間が流れる。




 「言えぬことなら即刻お受けしなさい」


 「あの……実は……結婚するよりですね王立魔術学院に通いたいと思っておりまして……」


 「知っています」


 「……え?」


 「で?結婚はどう考えているの?」


 「…………え?」


 「え?ではありません。貴族の婚姻がいかに大事なことか教えてきたはずですよ。いつするのです?」




 結婚するなど具体的に考えたこともないアリアンナが答えられるはずはない。


 確かにいつか王立魔術学院を卒業して温厚な辺境伯辺りに嫁げればいいなぁとか、何なら少しは見目の良い方なら嬉しいなぁとか幼い頃より教えられてきた侯爵家に育っても夢は見ていた。


 魔術を日常にふんだんに使いながら長閑に暮らせたらと希望を持っていた。


 でも、それがいつか?と聞かれれば、いつだ?と自分でも疑問に思う。 


 再び無言になってしまったアリアンナに母アレーヌも黙る。


 アリアンナの王立魔術学院に通いたいという希望は今回の事がなければ誰にも言っておらず、まして母に気付かれているとは思ってもみないことだが、思い出せば弟にも父にも分かっていたのだから母が気付かないわけはないのだ。


 アリアンナが無言だからかアレーヌの大きな独り言が始まった。




 「それというのも殿下をはじめ、ジョルトもカーシアまで皆アリアンナに甘いのです。本来であればこのような時もなく決まっているはずなのに。娘の希望に沿うお相手ならなおのこといいのは分かってますけど王家以上の好条件があるわけがないのだし」




 アリアンナは黙って聞いていたが、確かに言われてみると自分の立場が破格の対応をされていることに気付く。


 それはもしかしてデルヴォークから聞いた以前の婚約が破談になったこととも関係があるのか聞いてみたくなった。




 「アリアンナの耳にも入ったのね……あの時はお父様もどうにか白紙にならぬようしたかったのだけれど、誰もどうにも出来なかったのです。先王様方がお亡くなりになられて、殿下方も王太子でなくなり、王太子時代に決まっていたことはすべて白紙に戻す決定がされて。デルヴォーク殿下と貴女の婚約やデイヴェック殿下の婚約、その他色々。本当に今ある平和が嘘のように酷い惨状だったのよ」




 アレーヌはその当時を思い出しているのか、年齢にそぐわない美しい顔を歪ませる。


 ただね、と前置きをしてゆっくりと自分のカップへ紅茶を注ぐと続きを話し始めた。




 「ジョルト……お父様は諦めてはいなかったのよ。こんな時だからこそ王家に、殿下に似合いの娘に育てる決心をされて。貴女が剣や馬を怖がらずに学んでくれたのがせめてもの救いだったわ。……でも貴女も気付くべきではないの?我が家の娘でありながら今まで婚約者が一人もいなかったの本当に変だと思ったことはないの?」


 「……それは…私が社交界にも参加しない引き籠りだったからでは?」


 「ほほ。それもお父様からすれば婚約者を置かないことにはならないでしょう」




 アレーヌはこくりと紅茶を飲み、アリアンナへ笑みを見せる。




 「お父様はね、貴女が魔術を学んでいることも黙認されていたし、夜会への欠席も分かってらして見逃していたのよ。デルヴォーク殿下へ嫁がせることを思って外との交流を敢えて取らぬことを貴女の望むままにしたの」


 「……そうだ、箱」


 「そう!気付いた?あれはお父様がずっと用意していたものよ」




 母の笑い声を聞きながら突然、キャセラックの箱を思い出した。


 やはり登城の時に感じた悪寒はお父様の長年に渡る綿密な愛情だったのだ。


 アリアンナを王城へやる決意をあの大小様々な数限りないキャセラックの紋章入りの豪奢な箱に父は込めていた。




 (……よく考えれば一年や二年で出来る意匠と数ではなかったわね……)




 けれど一度破談になった婚約にしつこくしがみ付く父とは思えず少し疑問に思える。




 「ですがお母様、そこまでデルヴォーク様との婚約を重視されていたのでしたら今まで、というかこの度のこともお父様からは婚約しろなどと言われてはおりませんが?」


 「それは婚約をさせたかったからではないからよ」


 「?」


 「……貴女、小さい時に王宮で迷子になったのは覚えていて?」


 「……?」


 「お父様からの話だと貴女、年嵩の近い小さな紳士に助けられたのよ」




 その日は確かお父様に連れられて初めて王宮に上がった日だ。


 迷子になったというより自分では探検をしてきたような覚えが微かにあり、小さな紳士と遠い記憶を探る。




 「……。デル様!」


 「思い出した?デルヴォーク殿下のこと」


 「?!」


 「その顔だと貴女を見てくれていたデル様がデルヴォーク殿下だと分からないのかしら?」




 (……噓でしょ)




 おぼろげに記憶の中に現れた男の子は顔の詳細は思い出せずとも、はっきりと分かる黒髪。


 黒髪だった!


 デル様とデルヴォークが繋がった事実にアリアンナが呆然とする間もなく母の話は続いていく。




 「で、お父様は二人の様子をいたく気に入られて、というかデルヴォーク殿下のお人柄を好ましく思ってアリアンナを嫁がせようとお考えになったのよ」


 「でも婚約に重きをおいてのお話をせずに嫁がせようとはどういう?」


 「まだ分からないの?お父様は婚約させたいのではなく結婚させたいのよ」




 説明をされても否、よく分かったような分からないような。


 つまり。


 デルヴォーク殿下を見初めたお父様は私の結婚相手にしようと考えた。


 しかし婚約をしただけでは破談になることもあると思い知って、作戦の変更をした。


 どんなことをしてでも結婚させようと……。


 では今まで教えられてきた貴族の結婚とか、宰相の地位があるうちに地位を盤石にしたいと筆頭五家の頂になりたいとかいうのでもなく、ただ娘可愛さから自分の目に適った男子を婿にしたいというだけ。 


 母から聞く父の計画に遠い目をしないではいられないアリアンナに、母は優雅な微笑みで最後の審判を下す。




 「それで?結婚はどうするのか答えは出て?」


 「……デルヴォーク殿下とのお話、謹んでお受け致します」




 おめでとうと喜ぶ母はこの際置いておくとして、腐っても公爵令嬢の矜持に掛けてここまで長年の父からのお膳立てをされた話は受けねばならぬだろう。


 幸い、デルヴォーク殿下からは口約束とはいえ王立魔術学院に通ってもいいと承諾を取っているし(本当に通えるかどうかは分からないけど)、夢見た新居は長閑な辺境ではない王城だけれど(常に一人の目があるわね)、多少の見目が良いくらいの夫君を希望したのにこの国一、二を争う美丈夫になっただけだし(全国民の婦女子の皆様にお詫びをするべきでは?)、魔術を使って呑気に暮らすのが社交界で王妃様に続く上位者の公爵妃となっただけだ(……社交界で生き残れるかしら)。




 (……でも…お相手がデルヴォーク様だったら人生の決断に悔いはないわね)




 アリアンナは、デルウォークの今までの人柄を思って決意を胸にする。


 それでもサーシャへ報告しに行ってしまった母が居た空席を眺めて、肺の空気が無くなるような大きな溜息を吐いた。


 隣の部屋からはアレーヌから聞いたのであろうサーシャとミシェルの喜びの悲鳴が起こる。


 そんな手放しで喜べる気にはまだなれない今の気持ちは逃げたい気がこの期に及んでまだあるが、これからのデルヴォークとのことを思うとほのかに甘く、芳醇な蜂蜜のようにとろりとゆっくり心に広がっていくような気がした。






 ──── 一か月後




 何年も用意周到に準備を万全にしてきた王家と、同じように何年も掛けたキャセラック家の積年の威信と名誉を存分に追加し、建国始まって以来未聞の早さでデルヴォークとアリアンナの婚約の儀は無事執り行われた。


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黒獅子公爵の悩める令嬢 碧天 @Aozora-Suo

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