第30話 男
苦しい……。
息ができない……。
溺れる……?
「おぼっ……! 溺れる!」
勢いよく水の中から飛び起きるフーリエ。自分がなぜ水の中にいたのかは記憶にない。
大きく呼吸をしつつ、ふと隣からブクブクと音がしていることに気付く。
「アカさん! 死にますよ!」
音の正体は同じく水の中に沈んでいたアカだ。すぐに起き上がったフーリエと違い、アカは目覚めることなく溺れ続けていた。
慌ててアカの上半身を起こすフーリエ。
「あー、助かった。死ぬとこだった」
「死ぬとこでしたよ本当に」
「……でも、もう大丈夫だね。いい匂いがしてきたもん」
意識が朦朧としているのかと心配になったフーリエだったが、2人の元へ何かの香りが確かに漂ってきていた。
「我慢できない」
勢い良く立ち上がり匂いのする方へと進むアカ。歩き方から察するに体力は限界に近いだろう。
びしょ濡れのまま2人は洞窟を進んでいく。
「やっときたか。なかなか来ねえから死んだかと思ったぜ」
匂いの元にはあの男が立っていた。
2人を追い詰めた元凶。
フーリエは顔をしかめ、アカは意外そうに目を見開いた。
「作れるんだ」
「ここで何十年暮らしてると思ってんだ。自分が食う飯ぐらい作る。今日は特別にお前らにも分けてやるんだよ」
ドカッと椅子に座ってふんぞり返る男。
男の前には巨大な木をそのまま縦に半分に割って作られたテーブルがある。その上に木を輪切りにしたような皿が置いてあり、そこに料理とも言えるような言えないようなものが盛り付けられていた。
「さあ食え。遠慮なくな」
「遠慮なくって……」
その
見たことない野菜類にデロデロの液体がかけられたもの。生物の肉らしきものをぶつ切りにして焼いたもの。黒茶色の液体で満たされたスープらしきもの。
そのどれもが普段食べているものとはかけ離れた見た目をしている。
「ありがたくいただきます」
横にいたアカは一切ためらうことなくスープらしきものが入った木皿を持ち上げ、ズズッと吸った。
この人マジか、とフーリエに戦慄が走る。
だが確かに、出された料理に手を付けないというのは礼儀に反する。アカを見習いフーリエもそのスープらしきものを口にする。
うーん、不味くはない。だが決して美味くもない。何かが足りないような、でもやっぱりこれで完成しているような。そんな味だった。
次にデロデロになっている野菜らしきものをいただく。スプーンやフォーク、ナイフは見当たらないため、2人は素手で野菜を掴んだ。
これは美味しい。デロデロの液体は程よく塩気があり、未知の野菜とうまく噛み合っている。少し改良すれば「野菜あんかけ」としてレストランなどでも出せるようになるかもしれない。
2日間何も食べていないことを差し引いても普通に美味しいかもしれない。
最後に肉らしきものをいただく。これまた素手で掴んでかぶりついた。
味は、いまいちだった。
何より肉が固すぎる。それに独特な野生の風味が後から口の中に広がってきて自然と口と鼻がひん曲がっていく。
不味くはないスープで口に残る肉の味を流し込み。野菜あんかけで口を休め。再び肉にかじりつく。
それを繰り返して2人は出された食事を全て食べ終えた。
「ごちそうさま。そこまで美味しくはなかったけど食べれなくはなかったよ」
アカの正直過ぎる感想にフーリエは冷や汗をかく。
「俺は作れはするが料理は苦手だ」
ふふっ、と自慢気に笑う男。
「でも栄養はすごいありそうだね。2日間の疲れが抜けていくみたいだ」
「そりゃそうだ。バーセンドウにヤジリウオにガラガルを食ったんだからな。7日は何も食わなくても生きれる」
何一つ知らない名称が並べ立てられる。
聞くとバーセンドウは、ここリカルド山脈の高所に生えている球体の植物で、ヤジリウオは川で摂れるくそでかい魚、ガラガルは山を縄張りにしている大型の草食動物だという。
その情報をアカは目を輝かせながら聞いていた。
「俺は俺が決めたルールで負けた。だから特別に俺がいつも食っているものを食わせてやった。感謝しろよ」
「それは本当にありがたく思ってるよ。危うく死ぬところだったからね」
「そうだお前らの名前を覚えておいてやる。名乗れ」
「僕はアカ」
「僕はフーリエです。フーリエ・フォン・バルフリッツです」
「アカと、フーリエフォン……長い! アカとフーリエだな。覚えておいてやる。俺の名も覚えておけ、忘れることは許さん。俺はこの山の主にして王、ヨゼフ・ルーゲン・ホーファー。この山の全てが俺のものであり、全ての生物の生き死にが俺の裁量で決まる」
自分も名前長いじゃん、とツッコミたくなったがそれを抑えて友好的な顔を作るフーリエだった。
「俺に勝った褒美に配下になるか?」
「遠慮するよ」
「遠慮します」
きっぱりと断る2人。
冗談だ、と笑うヨゼフ。
そもそもこの山脈にヨゼフのような男がいることは想定していなかった。この男に時間を取られている間にクロとトマスは目的のために動いているだろう。そこにアカとフーリエもすぐに合流するべきなのだ。
だがアカはヨゼフに興味が湧いていた。目的である幻のドラゴンは後で探せばいい。今は目の前の男、ヨゼフの正体を突き止める方が先決だと考えたのだろう。
「ところでお前らはここに何しに来たんだ?」
「幻のドラゴンを探しに」
「幻? そんなもんここにいるわけねえだろ」
え、と2人は顔を見合わせる。
「この山にいんのは俺とこいつらグァガとあとは普通の獣とちっちぇえ生き物だけだ」
「空を飛ぶような大きいドラゴンはいないってこと?」
「そう言ってるだろう。そんなでかいのがいたら俺が乗り回してるさ」
「でも目撃情報があったんですよね? たしか一番高い山の頂上付近で大きな翼がはためいてたって」
「そう、それが真実かどうかを確かめに来たんだよ」
フーリエがアカに尋ね、アカもそれに頷いて見せる。
「それは俺だ」
ヨゼフの発言の意味を汲み取れないフーリエは小首をかしげた。
「……つまり、どういうことです?」
「こういうことだ」
ヨゼフは竜圧を背中へと集束させるとそれを一気に放出した。椅子の背もたれは吹き飛び、巨大な翼の形になって竜圧が可視化された。
「なるほど……」
その光景を目の当たりにしてアカは納得する。これは確かにドラゴンに見える。巨大な二対の翼は遠目に見ればはためいているように見えてしまう。それがドラゴンと噂され、幻と噂されていったと考えれば妥当だ。
「俺は定期的にこうやって力を発散させてんだ。溜めとくとストレスがかかるからな」
規格外の竜圧を持つヨゼフ。その総量は十六竜議会『翼』の面々と並ぶかそれ以上だ。
「そういうことか~」
「無駄足ってことですかね」
「ドラゴンがいないんじゃしょうがないよね」
「俺がいるんだ、それ以上のことはないだろ」
ヨゼフが小馬鹿にしたように笑った。気にせずアカは思い出したように提案を口にする。
「良ければ何か作る? まだお腹膨れてないよね?」
「あ? お前がか?」
「うん。一応料理人だからいろいろ作れるよ」
「好きにしろ。だが不味かったら許さん」
「大丈夫。さっき食べたのより絶対に美味しいことは保証するよ」
「……まあ不味くはねえな」
出来上がった料理は止まること無くヨゼフの口へと運ばれていく。素直には褒めないが相当気に入っているようだ。
「まさか同じものでここまで違う味になるとはな」
「本当に不思議ですね。ここまで美味しくなるなんて」
キッとヨゼフに睨まれるフーリエだったが知らん顔でやり過ごし食べ進める。
「料理はやり方1つ違うだけでかなり変わってくるからね。例えば今回だと肉に入れる包丁の回数増やしたり、火入れの時間を短くしたり、塩を減らして香辛料を増やしたり、まあそんな感じで食材に対して最適だろうと思える方法を積み重ねていくのが僕の料理感だよ。クロはもっと感覚的にやったりするけど、美味しくなるなら小差は問題ないよね」
「面白そうですね。僕も今度何か作ってみます」
「…………そのクロってのはお前らとここに来てるやつだな?」
ヨゼフが料理から手を離す。
「……? そうだよ」
「ここに来たのは4人で全員だな?」
真意がつかめない質問だったが頷くアカとフーリエ。
緩んでいただろう表情を一瞬で引き締まると、再びヨゼフは笑みを浮かべた。
「侵入者だ。出迎えに行く」
竜の食べ方さばき方 ─ドラゴン倒して作って食べる─ 酢味噌屋きつね @konkon-kon
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