第29話 証
「も、もうダメです……」
遊びが始まってから2日が過ぎた。ついにフーリエは地面に倒れ込んだ。
男に出された条件、「自分を捕まえられるまで飲食禁止」。それを守らなければその場で殺される。フーリエとしてはそんな理不尽な条件など飲まず、男と戦闘になってもそれまでなのだが、アカはそちらを選択せず、男との遊びに付き合うことにしたのだった。アカの気まぐれか、それとも計算の上か。とにかく男に付き合うアカに付き合わされるフーリエなのだった。
「少し休んでるといいよ」
アカは落竜したフーリエを労わるように木陰へと運んでやる。そして
その様子をフーリエは辛うじて保っていた意識の端で捉えていた。
「……嫌な予感がしますね」
「ルールの抜け道だよ」
笑顔を見せるアカだったが、いつものような余裕はない。飲食を禁止されるということは生命維持の方法を絶たれるということ。誰であっても飲まず食わずで生きていくことはできない。
アカにとって食べることは何よりの楽しみであり、それを邪魔されるということは何よりも耐え難いことであった。
その生き甲斐を奪われて2日、ついにアカの中の何かがプツリと切れた。
「……今射ったのは栄養液だよ。人間に必要な栄養素を凝縮して体内にいれても大丈夫なように調整してある。これでもう1日2日は耐えられると思う。ごめんね僕のわがままで大変なことになっちゃった」
「いえ……またと無い体験です。アカさんの注射まで頂けて十分楽しめてますのでお気になさらず」
じゃあ、と寝る体勢に入ったフーリエを残してアカは1人、再びグァガドラゴンの背に乗った。
「脱落か? 何かを体に入れたようだがそれは見逃してやる。俺の縛りが甘かったからな。だがそれも一時凌ぎに過ぎないだろ。俺を捕まえられなければこの遊びは終わらない。お前らが諦めた瞬間俺はお前らを殺しに来るぞ」
アカとフーリエから一定の距離を離れると挑発するように戻ってきている男。フーリエが倒れた今回も様子を伺いに戻ってきたのだ。
「分かってる。ここからは全力でやるよ」
アカの表情がスッと消える。
これまで全力でやっていなかったわけではない。だが無意識下で力をセーブしてしまっていた。それは人間の本能に刺さっている安全装置のようなもので、自身の体を壊さないためにあるものでもある。
それをゆっくりと外していく。無意識下を意識下に置き換え、全てのリミッターを解除する。アカにはそれを行うことができる。
血が巡る。
全身を駆けて、躍動させる。心を、体を、そして脳を。
静まり返る平原の中でただ1人、生物の限界を超えていく。
「良いぞ──!!」
目を見開き、喝采を送る男。一瞬で冷えた背中が興奮を後押しした。格下で相手にならなかったはずの目の前の人間が、自分に恐怖を与えている。その事実に胸が高鳴っていた。
「そのまま来い!」
男がアカに向かって叫び、すぐさま遥か後方へと跳躍する。男を捕まえるまでこの遊びは終わらない。
しかしアカは動かない。全身から禍々しい竜圧を放っているにも関わらず追ってこようとしない。男はそれに気を取られスピードを緩めた。
その瞬間──何かの影が男の顔面を
「良いぞ……。成り始めたな」
男の頬からスーッと血が垂れる。その血を拭い、男は通り抜けたそれへと目を向けた。
「避けれるんだね」
男が目を向けた先には無邪気に笑うアカがいた。全身から溢れ出ていた竜圧が自然と縮小していき背中へと集約していく。それを見た男は一度目を閉じ、同じく竜圧を背中へと集中させる。そうして高純度で圧縮された竜圧はある1つの形へと変化していく。
「本来この力の使い方は至ってシンプルなもんだ。この精神の、この肉体の高ぶりをもって証は完成する」
男の背中には男の半身ほどの一片の大きな『翼』が出現した。高純度に圧縮されることで可視化した竜圧。それによって形作られた片翼は、神々しく複雑な色彩を持って
「すごいね」
素直に称賛するアカ。対面しているアカには男の凄まじさが肌身にひしひしと感じられる。そして自分の矮小さも。
「まだ成ったばかりのお前に俺は倒せん」
翼を出現させるには膨大な竜圧とそれを扱う高い技術が必要である。つまり出現させることが出来た時点で他とは一線を画す才を持っていると言うこと。だが男のそれに比べるとアカの翼は小さく弱々しい。
男の言ったようにアカが男を倒すことは出来ないだろう。だがこの勝負──遊びは、倒すことが目的じゃない。
一呼吸置いてアカは地面を蹴る。その衝撃で大地は割れ、土岩石が辺りに飛び散る。
全速力で迫り来るアカを前にしても男は余裕を崩さなかった。
「地面が割れるということは力を制御できていない証拠! その衝撃は丸々お前に返ってくるぞ!」
それはアカも分かっていた。だが今はゆっくり修練している暇はない。
ボロボロになったサーベルを男に突き立てようとしたアカ。
フワリと地面から離れた男。
「そら!」
男はそのまま宙で回転しアカの顔面に蹴りを入れる。
凄まじい威力の蹴りを顔面に受け入たアカは成す術も無く吹き飛ばされ、数十メートル後方の大木へと衝突する。
「インパクトの瞬間そこに力を集約するんだ。もちろん守るときも同じだ。それが出来なければいつになっても俺の相手は務まらんぞ!」
静かに着地した男は腕を組みアカに一喝する。
大木に衝突する前になんとか背中へと竜圧を集中させたアカは、大きなダメージを追いながらもすぐに起き上がって見せた。
「上達が早いようだな。遊び甲斐がある!」
感心しつつ興奮を抑えられない男は再び竜圧を高めようとした。目の前の赤髪は実に面白い個体だが、同じように律儀にルールを守っていた男は2日間食事をしていない。腹ペコである。一旦全力で赤髪を倒し、遊びを終わらせ食事をしてしまおうと考えた。話はその後でいい。
だが集約させていたはずの竜圧が意識の網をスルリと抜けて霧散していく。
「なんだこれは?」
自問した男の肩をアカは指差した。
男は自分の右肩を見る。そこにはいつの間にか注射器が刺さっていた。咄嗟に注射器を引き抜く。だがもう遅かった。竜圧が漏れ、力が抜けていくのが直感的に感じられた。
「やっぱり作ってもらっておいて良かったよ……」
ダメージを庇いながら男の元へと歩くアカ。
「妙なモノを……」
男はそこで初めて余裕の無い表情を見せた。だが再びあっけらかんと快活に口を開いた。
「まあ今回はお前の勝ちにしてやる。何にせよ俺はもうダメそうだな!」
迫り来るアカに向かって男は大の字に腕を広げた。アカに対して無茶振りを繰り返した男に生き死にをどうこう言う資格はないと男自身分かっていた。
静かに目を瞑る。
しかし何も起こらない。
目を開けると、男の腕をアカが掴んでいた。
「捕まえた。はい終わり。もう終わり。ようやく終わり。ご飯にしようご飯に」
捲し立てるようにそう言うとアカはその場に倒れ込んだ。男の全力の一蹴りをまともに顔に食らっていたアカは意識を保つのがやっとの状態だった。そんな中ほぼ気合いのみで、あくまでもルールに則って遊びを終わらせた。
「俺の負けか、そうか」
男は素直に敗けを認める。実力では勝っていても自分が設けたルールの上でそれを上回れては何も言えまい。
倒れたアカの足を持ち上げグァガドラゴンの背中に放り投げる。
「腹が減った、帰るぞ! もう1人も拾ってこい!」
号令を聞いたグァガドラゴンは洞窟へと走り出した。
まだ力が落ち続けている。やれやれと男はもう1体のグァガドラゴンに乗った。
「何をしてくれたんだ、まったく」
ひどく疲れが出てきた。このまま力が落ち続けたら死んでしまうのではないかと不安になってくる。
まずは体力を元に戻すための栄養を摂らねばならない。
「戻れ全速力だ! 仕方ない俺が飯を作ってやる!」
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