第36話
翌日はマッサージの成果か、足のだるさが吹き飛んでいた。指圧恐るべし。痛かっただけのことはあった。
腹立たしいところは多々あるが、私は鷹揚な態度で彼を許す事にする。何せ、夫婦生活を長持ちさせるコツは適度に許す事と以前本で読んだので。
ぶっちゃけた話、寝たら割とどうでも良くなったのもあるが。うん、どうでもいい……はずだ。
謎の身分証とか、どうして補佐官の汚職を知っていたのかとか、ダイヤモンドを買うお金はどこからきたのかとか、どうして私に手を出さないのかとか、うん……それはいったん心の棚にしまっておいて。今は本人と向き合うべきなのだ。然るべき時がくればそれはきっと説明されるはずなので。
軽い足取りで朝食会場へ向かうと、庭園がよく見える窓ぎわの席に通された。
食後にまったりとしていると、早朝からビシッと決めた支配人が私たちのところへやってきて、一通の手紙を差し出してきた。エドガー様はそれを私に渡す。
隠し事はしない、との意思表示だろう。差し出し人はアーチー。
その場で開封してみると、昨日の話の続きをしたい、もし予定が空いていたら夫婦で『ちょっとしたパーティー』へこっそり来ないか、と砕けた様子で書かれていた。
「何かできる事があるわけでもないし、行くかどうかはフィオナの判断に任せる」
「そう言われましても……」
エドガー様は澄ました顔をしているが、本当は行きたいに違いない。ずるいなあ。
私はこういった催しにはあまりいい思い出がない。
何せやることが沢山ある割に楽しいことは別になく、とにかくしんどいのだ。直近の記憶はダリル王子に放置された挙句、食べ物のところへ近寄ったら聖女様の戒律には対応しておりませんので、とすげなく追い返された時のものだ。
しかし、私も参加者として振る舞えるなら──どうだろうか? それはなんだか、とても楽しい出来事のような気がする。
「せっかくなので、行ってみましょうか。私も激怒した印象のままお別れしたくはないですし」
「そうか。フィオナが行きたいなら、そうしよう」
「……」
エドガー様、今の顔はあからさますぎでは? と思うものの、わかりやすくて可愛いのでよしとする。
「服はどうしましょう」
エドガー様いわく、この国は小さいため少し名のある人物になると王宮にお邪魔する事が多く、貸衣装屋が豊富にあるらしい。
店の予約だけを取り、午前中は予定通り観光をする事になった。行き先は本島の端っこ、通称「恋人岬」と呼ばれる場所だ。
なんでも、岬の先端に設置されている鐘を二人で鳴らすとそのカップルは末長く幸せになれるのだそうだ。
「何か精霊がいるのでしょうか?」
「根拠は何もない」
人智を超えた何かが潜んでいない限り、結局は人間の気持ち一つでしかない、とあきらめにも似た感情を持ってしまうのは職業病のなせる技なのだろうか。
ご利益があるわけではないとわかっているにもかかわらず、こんなベタベタにロマンチックな場所を選ぶあたり、エドガー様にもなんだかんだで新婚生活を楽しむ気があるのかもしれないと気を取り直す。
乗合馬車を降りると、あたりには遮るものが何もないので海風が強くふきつけた。気を抜くと飛ばされてしまいそうなので、帽子は外してしまいこむ。
日傘をさすとエドガー様との距離が若干開いてしまうのが、どうにも不満だ。
「傘は私が」
エドガー様が日傘を持って、私がその左腕に体を沿わせる体制になる。昼間からはしたない事はやめなさい──なんて言えるわけもない。だってこの辺りにいる人はほとんど全員『そう』なのだから。
「いい天気ですね」
「そうだな」
……だんだん暑くなってきた。しかし、絶対に離れるつもりはない。
「……暑いですね」
「そうだな」
太陽の位置が高くなり、気温が上がってきたので屋台で氷菓子を買ってもらう。
ひとさじすくってエドガー様の前に差し出すと、左右を見て誰もこちらを見ていないことを確認し、パクリと口に含んだ。なるほどね。やっぱり覚悟が決まっていると行動が素早いのだ。今度からもうちょっと強引に事を進める事にしよう。
そのまま進んでいくと、人だかりができてはいるものの、何やら物々しい雰囲気であった。
「もし、失礼ですが。休場日でしたか」
「いたずらで鐘が破壊されてしまったようなんですよ」
「なんだって?」
昨晩。轟音が鳴り響き職員が駆けつけたところ、鐘はすでに引きちぎられ、バラバラに砕け散っていたと教えてもらう。
人混みをかき分けて鐘があるべきはずの場所を眺めると、たしかに落下して割れてしまった鐘があった。
「モテない人の僻みですかね?」
夜中に一人でやってきて、怒りに任せて引っ張ったら壊してしまい、慌てて逃げ出した……のだろうか。
「それにしても行動が派手すぎる」
エドガー様は首を捻った。
主要な目的が達成されなかったので、お土産屋さんに立ち寄り、せめてもの記念として鐘の形をした置物を購入する。小さいけれど、きちんと音が鳴るのだ。
「はい、エドガー様。引っ張ってください」
エドガー様が引っ張ると、鐘と言うよりはちりりと鈴の音がした。
その音に聞き入っていると、私の横を赤い髪の少年が通り過ぎていった。何か違和感があって振り向いたけれど、彼はもういない。
「?」
エドガー様は店主と何やら話し込んでいる。犯人は、犯行現場に戻ってくる! だそうだ。しかし、犯人探しは私たちの仕事ではない。
早速鐘修繕のための募金箱が設置されていたので、小銭を入れてあげる。エドガー様は私が自発的に募金をしたことに感心しているようだった。
しかし、冷静に考えなくてもこれは元々エドガー様のお金なので、やっぱり自分でお金を稼ぐ方法を考えたいなとぼんやり思った。
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