第35話
こうして一連の不貞疑惑もとい謎の手紙に関しては一応の結末を迎えたのだが、怒っていないと言えば嘘になる。心が狭いと言われても。やっぱり隠し事は隠し事じゃないですかね?
「フィオナ……」
エドガー様は私の一歩後ろをついてくる。馬車を呼ぼうかと言われたけれど頭を冷やすために自主的に歩いているのだ。聖女宮を出てから、自分がこんなに感情的になることがあるのだとびっくりする事が多い。
「申し訳ない……」
私の口数が異常に少ないので、エドガー様は私がおかんむりだと思っているらしい。話しかけられて無視をするなんて、今までの私からするとありえないのだ。
「本当に反省している」
なんだかなあ。最初は挨拶するだけ、視界の端にいるだけで良くて、でもちょっと近づくとなんでもかんでも自分の事を一番に考えてくれないと嫌になってしまうのだ。
「今後隠し事はできる限りしないようにするから……」
『できる限りしない』のあたりに教えられない事もあるけれど頑張る、と言うエドガー様の微妙な立場が透けている気がする。
私が知っているエドガー様はここ二年の話なので、知らない面があってもそれは当然で、気になるのは……多分自分には、個人的な事が何もないからだと思う。こういうの依存って言うのかな?
「そういえば先ほど何でもするって言いましたよね」
突然視線を向けた私に、エドガー様はたじろいだ。貴族どころか王族にだってふてぶてしい態度なのに、私の機嫌を取るのにおろおろするなんて変な人だ。
エドガー様は可能な事ならば、と付け加えた。可能な事。可能な事。可能な事……。
「思いつきました」
「何を?」
「ここではとても口にできません……」
含みのある言い方に、エドガー様はさらにうろたえた。
宿に戻り、ドアの鍵をかけ、宣言する。
「私、今からお風呂に入ります」
「まだか?」
「まだです。全然足りません」
私はエドガー様とお風呂に入っている。これは間違った表現ではない。
「……ほら」
エドガー様は網でもこもこにした泡を、そっと浴槽の中に入れた。私は今、憧れの泡風呂に入っている。エドガー様は洗い場で泡を作る係だ。
もちろん、これは私が狙った事とは若干違う。何かを間違えて……というより説得に失敗した結果、泡を作る係、お風呂に入る係に分担されてしまったのだ。
「……」
しゃくしゃくと、網で石鹸を擦る音だけが浴室に響く。何かが違う。これじゃない。どうしてこうなった。
「出来たぞ」
どんどん泡が継ぎ足されていく。そうしている間にも泡は溶けてしまうので、いつまでたってもこの作業は終わらない。
エドガー様は普通に服を着たままだ。シャツとズボンの裾をめくっているので、そこが若干新鮮だけれども。
私は水浴着を身につけた上に、バスタオルを巻き、白濁する入浴剤をこれでもかと入れたお風呂につけ込まれ、泡で「封印」されている。透け透けで色っぽい要素は一切ない。
「……まだいるか?」
「いえ、結構です」
飲み物を運んできてもらう。作戦は失敗したが、これはこれでおとぎ話のお姫様みたいで悪くない。私には次の手もある。
「あとで腰とか足を揉んで欲しいのですが……」
エドガー様は神妙な様子で頷き、浴室を出て行った。こういうのなんだっけ……弱みを握っていいなりに、ってやつ。
フカフカのバスローブに身を包み、髪の毛を念入りに拭く。
部屋には備え付けの魔力送風機があったので、それで髪の毛を乾かしてもらう。椅子に腰掛け、後ろから頭をワシワシとされる。ああ、何だか浜辺で見かけた子犬の気持ち。
「次はどうする?」
「……そうですね……次は……キスしてください」
「それはダメだ!!」
勢いをつけておねだりしてみたものの、あっさりと否決されてしまう。『可能なこと』には入らないのかい。さっきのほっぺにチューはなんだったのですか?
「なし崩しは良くない!!」
「ひどくないですか? 嘘をつくためなら平気であんなことするのに。私よりアーチーのお願いの方が大事なんですか?」
「そういう訳ではない」
「ではあるじゃないですか」
「あの時は劇場の明かりが眩しくてつい……」
「どういう意味ですかそれ?」
うーん。行動力がある時とない時の違いがわからない。エドガー様の考えている事が、わかりそうでわからない。
「その……覚悟の、いや自制心の……罪悪感なのか……何か自分はとんでもないことをしでかしたのではないかと……いやしてるんだが。その状況からなし崩しになるのはやはり良くないと。まだ早い、いや違う。一周回ってこの状況が楽しいと言うべきか……」
エドガー様は顎に手を当てて何やら精神的なことをもごもごと呟いているが、主語がないので何について語っているのかさっぱりわからない。もう少しわかりやすく喋ってほしい。
眺めていると、ドアをノックする音が響いた。こんな夜にどちら様?
エドガー様が対応に向かうと、白い作業着の女性が立っていた。慣れた足取りで室内に入ってきて、にっこりと私に微笑みかける。
「一名様、一時間のご予約ですね。旅行中は足が疲れますものね」
「……」
振り向くと、エドガー様は真剣な表情でホテルの冊子を眺めていた。私は誠意を求めているのですが、お金で解決するのはどうかと思います。
「……はいっ、お願いします」
仕方がないので、私は朗らかに聖女スマイルで対応する。聖女たるもの、罪のない一般市民に八つ当たりすることなかれ。
「こちらの寝台でよろしいですか? オイルは森の香り、お花の香り、海岸の香り、どれにいたしましょう」
「じゃあ、海岸で」
私は流されるまま、マッサージを受けることになった。もったいないし。
「あ、いた、いたたたたたたたた」
聖女の修行に拷問は入っていない。痛みには弱い。エドガー様はなんらかの書き物を始めた。報告書だと思う。その澄まし顔を見ているとだんだん腹が立ってきた。
「痛い、痛い!」
足の裏を押され、歯と歯の隙間から痛みで変な息が出た。
「あー、ここ、凝ってますねー。これでも弱めにやってますよー」
「いたたたたた」
こんなはずじゃなかったのに……。エドガー様は筆が乗ってきたようで、一心不乱に何かを書いていた。腹立つ。
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