第34話

「フィオナ……」


 今、どんな顔をしているのか自分で確認することはできない。まあ、少なくとも激怒しているように見えるのだろうなと、エドガー様の瞳を見ていればわかる。


「違うんだ。これは浮気じゃない。誓ってそんな不純な話じゃない。愛しているのは君だけだ」


 今そんな事を言う? しょうもない三文芝居のようなセリフに、周りからぴゅうっと口笛が吹かれる。


「私はその人は誰なのか、とお伺いしているのですが」

「彼女はブリギッテ。私の古い友人だ」


 手紙の差出人と同じ名前。感じる魔力。彼女がこの国の聖女だ。


「どうしても、のっぴきならない事情で私に相談を持ちかけてきたのだ。秘密を知るものは少なければ少ないほどいい」


「じゃあなんでこんな開けっ広げなところで密会を?」

「それはこれから移動するところで、不必要な誤解を避けるために……」

「どうして私に隠れてこそこそしていたのですか?」

「それは、その……私にだって、交友関係の自由があるはずだ」


「私の勤労の自由は認めないのにですか!?」

「うっ……」


 不貞ではないのはわかっている。わかってはいるけれど。ここぞとばかりの勢いで思いついた言葉をぶちまける。


「エドガー様のバカ! 嘘つき! 腹黒! 中途半端! いくじなし、言葉足らず、偉そう、陰険、自己中!」


 あと他には何があったっけ。私は私のことを温厚な人間であると思っていたけれど、実際は違うかもしれない。


「も、申し訳ありません! わたしが相談を持ちかけたのです。精霊様に誓って、不貞は過去も現在も未来も、ひとかけらもございません」


 ブリギッテが震えながら仲裁に入ろうとするので、流石に冷静になる。聖女が精霊に誓う、なんて嘘ではとても言えない。


「……相談、とは?」


 確かにさっきから何か深刻な空気だった気もするけれど、あまり聞いていなかったのが正直なところだ。


「まずは別室に行こう」


 エドガー様が私の肩を掴んで回れ右をさせた。視線の先には見知らぬ男性がちょうどやってきたところだった。


「ど、どうした? エドガー、そちらの女性は……もしかしなくても奥方か」


「アーチー……」


 背後のブリギッテの言葉にピンとくる。なるほどこの人がアーチー。二人は一組ということか。


「そうです。私が妻ですけれどもっ」


 合いの手のように拍手が聞こえてくる。もしかして今、舞台より盛り上がっているかもしれない。


「ふ、フィオナ、やめなさい、この方は……」

「やめなさい、ですってぇ? そのような偉そうな口を利くのは、どこのどいつですか?」


 客の視線は私たちに釘付けだ。次に誰が何を発言するのかと、固唾を飲んで見守っている。


「俺が席を外してもらえるようエドガーに頼み、チケットを用意したのだ。彼を責めないでやってくれ」


「潔ければ納得できる訳でもないのですが」


 とりあえず立ったままコーヒーでも飲もうとわずかに手を動かすと、エドガー様は急に狼狽えた。


「やめろフィオナそれはまずい!! 何でもするからそれだけはやめてくれ!!」


 ……私、初対面の人に怒りでコーヒーをぶちまけるような女に見えますかね? もしかしてエドガー様の中では危険人物の扱いなのだろうか。


 四人で個室に移動する。冷たいコーヒーが運ばれてきた。やっぱり『アブない』と思われているのだろうか。


 話はこうだ。エドガー様とブリギッテ、そしてアーチーは学生時代の友人だった。


 後からやってきた男性ことアーチー改めアーチボルドさんはなんとびっくりこの国の王で、ブリギッテさんとは恋人同士。この国は一夫多妻ではなく、王と聖女は純粋な恋愛関係にある。二人はともに、エドガー様の留学時代のご学友だそうだ。


 ブリギッテさんは元は男爵家の令嬢で、自国内といえどとても王妃になれる身分ではないが、聖女の身分は全ての貴賤をひっくり返すのはどこの国でも同じこと。


 そうして、二人は婚約者となった。しかし婚儀を前に、前王がお隠れになってしまった。喪に服すため婚儀は二年延長。しかし、間の悪いことにブリギッテさんの聖女としての力が急速に弱まり始めた。


 聖女でないならば、王に相応しくない。もっと良い家柄の令嬢か、新たな聖女候補を──王妃としての格が長持ちする方を選べ、と詰め寄られているのだそうだ。


 二人は悩み悩んで、共通の友人で、口が堅く、他国の聖女に詳しそうな人物──エドガー・マクミランに、すがるような気持ちで個人的な手紙をしたためた。


「貴方の事を信用していないわけではないが、どうしても聖女同士を引き合わせることにためらいがあってな……」


 自国内ですら、聖女同士が交流を持つことは基本的にない。他の国で聖女が好き勝手にやっているとバレたら大変なことになるだろう。


「なるほど」


 つまりエドガー様は私との新婚旅行をこなしつつ、聖女の力について研究し、隣国の調査をして報告書をまとめ、大使館に行って第二王子の相手をして、友人に会って相談に乗り……という予定をこなしているわけだ。やることが多すぎない? 



「もう戻らなくては。もし都合が良ければ、明日王宮に招待する。観光にも悪くはない選択肢だと思う」


 アーチボルド王は説明だけして、慌ただしく戻っていった。王様なので忙しいのだ。それに伴い、ブリギッテさんもぺこりと頭を下げてその場を去っていった。


「なんか……すみませんでした」


 私だけが悪いわけではないと思うのだが、乱入によって再会が慌ただしくなり、話をする時間がなくなってしまったのは事実だ。


「いや、私が浅はかだった」


 ところでエドガー様の予定が詰め詰めだったのは理解したけれど、結局のところ、優先順位はどうなっていて、彼は何を一番大事に考えているのか、私にはよくわからないままだった。

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