第33話
ひどい話だが、私が辿るのは容易でもエドガー様からすると相当な神経を使うはずで、つまりよっぽど集中しなければ、私が追っていることに気がつかないと言うことだ。
テクテクと魔力を辿りながら進んでいくと、3丁ほど先に反応があった。赤い屋根が張り出している。どうやらやや落ち着いた雰囲気の飲食店、あるいは喫茶店のようだ。早歩きすると、ヒールが石畳の間に挟まって転びそうになった。
「幸先が悪い」
突然の不運は私の気分を落ち込ませる。しかもヒールの部分が少し抉れてしまった。
もっと悪いことが待っていたらどうしようかと思いながら歩みを進める。
「居た」
街路樹のかげから店内を覗き込むと、エドガー様が座っているのが見えた。難しそうな顔をして腕を組んでいる。不貞の現場と言う雰囲気ではないが……。
こんな所で、仕事なわけがあるものか。いやまだわからない。店内から見えないようにドアの前まで移動すると、店員が私を迎え入れた。
「お一人ですか?」
「……はい」
なんとか中に入れてもらうことができた。完全に不審者だけれど、身なりがきちんとしているので許されたのかもしれない。先程入手したねずみ色のショールをぐるぐると巻き、顔を隠す。
そっとエドガー様の後ろの席に座る。私たちの間には背の高い植物が飾られているので、万が一振り向いたとしても私の姿は見えないだろう。
ちっちっ、と時計の音が聞こえてくる。そろそろ舞台が始まったころだ。エドガー様がため息をつき、カップがガチャリと持ち上がる音がする。
店に一人の赤い髪の女性が入ってきた。年齢は少なくとも私より上、二十台半ば……優雅な身のこなしは、平民と言い張るには少し無理がある。
彼女は私の横をすり抜け、エドガー様の向かいに座った。この人がブリギッテだろうか?
「遅れてごめんなさい。忙しいでしょうに」
「いや」
二人の会話に耳をそばだてる。
「ご注文はお決まりですか?」
店員さんが話しかけてきたので、無言でメニューを指差す。コーヒーだ。気を取られて、一瞬会話を聞き逃した。アーチがどうたら……?
「手紙に書いてあったことは……まあ、本当なんだろうな。彼女もそう言っていた」
「ごめんなさい、エドガー。あなたに言っても仕方がないことなのだけれど……わたし、わたし……」
女性は涙声で言葉に詰まった。ところで今、エドガー様の事を呼び捨てにしましたよね。
「どうしたらいいのかわからなくて」
女性そのまま、さめざめと泣き続け、エドガー様は小さくため息をついた。
「俺にできることはなさそうだが……後で彼女にも相談してみよう。なに、とても優しくて素晴らしい女性だから何かいい案を思いつくかもしれない」
「あなたがそんな事を言うなんて、人って変わるのね」
ブリギッテ(仮)は鼻を啜りながらも、少し落ち着いたようだった。
「俺だけが幸せだと気まずいからなんとかしようとここまで来たんだろ」
「そうね……ありがとう」
また俺って言った。エドガー様の一人称は私ではない。公と私生活で一人称を使い分ける人がいるのは知っている。男性は特にそうだと。
つまり。私と一緒にいる時のエドガー様は完全なる個人ではないのだ。
聖女管理局の所長で。私の前では、素ではない……。
そう考えると、急に苛立ちが心を支配する。信じようとしているのに、私の知らない一面を見てしまうたびに、胃のあたりがぎゅっと縮こまるのだ。
落ち着いてコーヒーを飲もうとした手が震える。
感情が制御できなくなる。私から漏れ出た魔力が、じわじわとこの国の結界に干渉する。これはまずい。もやもやするぐらいなら、今すぐ「その人は結局誰ですか!?」と突撃してしまおうか。
そんな風に機会を伺いながら、そっと耳を傾ける。
「ねえ、どうして奥さんはいらっしゃらないの? わたし、お会いしたかったわ」
「それはあいつが初回は席を外してくれと」
「そんなことが? 彼はそう言うかもしれないけど、逆の立場だったらちょっと腹立たしいわね」
「……今頃は楽しく舞台を鑑賞しているはずだ」
全然ですよ。私はここにいますよ。
「エドガー。もしかして、説明もなしに置いてきたの?」
「子供じゃないんだから、別行動には慣れている」
コーヒーのカップを手に、立ち上がる。いや私はもっと一緒に行動したいのですが。
「それって不味くないかしら? 新婚旅行で来たんでしょう? わたし、てっきり、事情を話しているもの……だと思って……」
振り向きざま、ブリギッテ(仮)と目があった。直接見ればわかる。
この女性も、聖女だ。
「エドガー……さま……」
私の声で、エドガー様は初めて背後に私がいたことに気がついた様子だった。
「フィオナ、どうしてここに!?」
その顔。罪悪感があるのですね。悪いことだと自覚があるんですね?
「エドガーさま……その女の人は、誰ですか?」
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