第32話
「……」
ありえない。頬に触れてみる。暑い。しろと主張したのは私だけれども、されるとは思わなかった。
「や……やっぱり怪しい〜絶対に怪しいよ〜」
その場でしゃがみこみ、頭を抱える。
私はエドガー様を追うつもりだ。このまま知らないふりをすることなど、できやしない。
そう覚悟を決めて立ち上がると、一人の少女が舞台のポスターを眺めていた。ふと思いたち、彼女に声をかける。
「あの、ちょっとよろしいですか」
彼女は私を見て、ギョッとした顔をした。まあ立場が逆でもびっくりすると思う。
「よ……妖精の女王様ですか……?」
なんじゃそら、と思うが多分私が歳のわりに偉そうな女に見えるのだろう。
「この舞台に興味があるのですか?」
「ええ、はい……そう、ですね」
少女はまるで恥じているように、ネズミ色のショールを胸の前でかき合わせた。一体全体なんの用事だろう、と訝しげな視線がこちらに向けられ、そして伏せられる。
「わたし、急用があって出なければいけないのです。よろしければ券をどうぞ」
「えっ、えっ、えっ?」
少女は差し出されたチケットを見て、うろたえる。
「だって、これ、とても人気なんですよ」
「わかっているから誰かにお譲りしようと」
「でも、私、入れないですよ。こんな格好、貧乏くさくて恥ずかしい」
「仕切りのある席だと聞きましたので、気にすることはないかと」
頑張って『立派な若奥様』に見えるよう振る舞っているが、さすがに無理があるかもしれない。
ネズミ色のショールの少女は、ますます不気味そうな目で私を見た。そうだろう。着飾って会場に来て、その場で高価なチケットを投げ捨てようとしているのだから、逆の立場だとしたら、なんて怪しいやつだと思うだろう。
「わたしが会場の方に確認してみますから……」
彼女の手を引っ張り、ロビーに入る。
「あの、すみません。少々よろしいですか」
タキシードに身を包んだ案内役の男性は優雅な笑みを浮かべた。
「いかがなさいましたか、マダム?」
「わたし、用事があってここを出ることになりまして。チケットは他の方にお譲りしても構いませんよね?」
私が差し出したチケットを見やり、男性は静かに頷いた。
「もちろんですとも。せっかくの特別席ですから」
「ええっ、と、特別席!?」
少女は両手で口を押さえ、必死に叫び出したいのを堪えている様子だった。
「そんなにきれいな服を着て、チケットを持っていて……どこに行こうって言うんですか?」
三人の間に、少しの沈黙が訪れた。ここは正直に言った方が話が早そうだ。
「夫の陰謀を暴くために、彼の跡をつけようと思うんです」
「ええっ。そんなこと……」
少女はパンフレットの棚と私を交互に見た。
そう。今晩の演目は、夫の不貞を疑った妻が、変装してこっそり舞踏会に忍びこみ、それと気がつかない夫に口説かれ、やり返す話。エドガー様にそんな皮肉めいた悪い冗談のつもりはないだろうけれど。
「なんと……。マダム、成功を祈っております」
「ありがとう。そう言う訳で、余っているんですよ」
「ええと、でも、こんなチケットの代金、払えません。とても……」
「それじゃあ、お代ににそのショールをいただけますか」
彼女の体を包んでいるショールを指し示す。ゴワゴワで、毛玉がついていて、格子模様が曖昧になっている。
「ええっ」
「あ、別に思い出の品だったら別にいいです。ただ、変装するのに使いたいだけなので」
彼女は古着屋で買ったものになんの思い入れもないと、ショールをくれた。代わりに自分が使っていた銀色のショールで彼女を包む。
「だ、だめですよ。こんな上等なもの……絹じゃないんですかこれ?」
「それじゃあ、さようなら」
ネズミ色のショールをぐるぐると巻いてエドガー様が消えた方角に走る。指輪に魔力をこめると、細い糸が見えた。
かつての聖女が森で遭難した夫を見つけるために使った指輪……。エドガー様がどこにいるか、私なら探せるはずだ。
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