第30話
エドガー様が昔よく通っていた食堂までやってきた。中は老若男女で混みあっている。
こういう、好き勝手に行動していてもとやかく言われないごみごみ加減が私は好きだ。自分が世界の一員かつ何者でもない、ところ。
お店の女店主らしき人がエドガー様の顔を見て何かを思い出したようだ。
「あ、あんた懐かしいね。数年前はよく来ていただろう」
「ええ。新婚旅行で久しぶりにこの国に来ました」
「嬉しいなぁ。時が経つのは早いよね! 二人でくだ巻いてぐだぐだしてたのに、いっぱしの大人になって。アーチーも最近は仕事が忙しい、忙しいって言う割には定期的に顔を出してくれるんだよ」
「うまく予定が合って妻を紹介できるといいんですがね。なにぶん彼は本当に多忙なので」
むむむ。何やらこの店主、私の知らないエドガー様に滅茶苦茶詳しそうな予感がする……! 知りたい……!子供時代の話は地元で聞けるけど、留学中の話はこの地でしか聞けないのだ……!!
紹介できるかも、と言っていたのはそのアーチーだろうか。そういえば謎の女ブリギッテのことを完全に忘れていた。まあいいや。今はエドガー様の思い出話の方が重要なので。
丁度空いていた数人がけの席に座ると、そこには一匹の三毛猫がいた。流石にこれは本物のようだ。
「なぁ~」
「お知り合いですか?」
エドガー様は首を振り、カウンターの近くにいるぶち猫なら知っていると答えた。
「猫さん、もう一度呼んだら来てくれますかね?」
二度あることは三度ある。一度めだが、二度めもないとは限らない。
「わからん。そもそも、似たような状況にはあまりなりたくないのだが」
「そうですねえ……」
空白地帯にいた竜と近海で目撃された竜は、色からして同じ個体ではと推測される。
どんな生物も、若い個体というのは好奇心が旺盛なものなのだ。あの竜の力であれば、薄くなった結界を破って国に侵入できるかもしれない。
「この国で私たちができることはない」
エドガー様はそう言って、油でてかてかした肉野菜炒めにとりかかった。
宿に戻ると、流石に疲労感が押し寄せてくる。慣れない空気と、祈りをやめている状態が私を落ち着かなくさせるのだろうか。
寝台に転がる。エドガー様は私の隣に来るわけでもなく、窓辺の椅子に腰掛けた。その微妙な距離感は傷つくのでやめてほしい。
「エドガー様……」
「どうした?」
「疲れました」
「スパがあるから行ってくるといい」
違う、そうじゃない。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、予約を取ってマッサージに行くことにした。
着替える、飲み物を選ぶ、椅子に座って足を洗ってもらう、10分ほど花を浮かべた浴槽につかる、うつ伏せになったり仰向けになったり、油だったり泥だったりを全身にまぶされる。なんだか優雅そうな触れ込みの割に色々対応しなければならず、普段施術を受けている貴族の女性もなかなか大変そうだと、熱された石を背中に乗せられながら思う。
部屋に戻ろうと思ったが、戻り方がわからなくなってしまったので一旦正面ロビーまで戻ることにした。
受付にエドガー様がいた。手紙を出している。……誰に?
そっと足音を殺して近づくと、エドガー様がパッとこちらを振り向いた。
「フィオナ、こんなところでどうした?」
「戻り方がわからなくて……」
「そうか」
エドガー様は珍しいことに「三階にバーがあるそうだから行ってみよう」と私を誘った。
怪しい。「疲れている時はお酒なんて飲まずに早く寝なさい」と言うはずなのに。
「お待たせしました。ご注文の特製カクテルでございます」
おかしい。ジュースを飲んでいるエドガー様の横顔をじっと観察する。なんだかメニュー表を熟読しているその様子が、いつもと同じなような、そうではないような。
「オレンジ食べるか?」
ジュースに差し込まれていたオレンジを差し出してくる。もらいますけど。くれるものはなんでも貰いますけれど。おかしい……まるで何か、罪悪感を誤魔化すために私に優しくしている様に見える。
「ほら、白ワインで作ったシロップがけのフルーツサラダがあるぞ。君はこういうのが好きだろう」
エドガー様はメニューの中から普段の私が飛びつきそうなものを的確に選び出してきた。それはもちろん、興味がありますけれども。
「注文しようか。お代わりは?」
さすがに連日のあれこれはあやしい。無事に宿に到着して浮かれている? そんなことはエドガー・マクミランに限ってありえない。これはあやしいですよ、旦那様……。
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