第29話

なんだか誤魔化されてしまった気がしなくもないが、パンは確かに美味しかったのでよしとする。


 そのまま町並みを眺めながら徒歩で宿へ向かう。郊外の静養地ではなく、市街の一等地に建っているらしい。


 外観はよく言えば重厚、悪く言えば古めかしい控えめなたたずまい。観光や休暇のためと言うよりは、行事のためにやってきた要人をもてなすための側面が強い所らしい。


「マクミランです」


 お待ちしておりましたと恭しく礼をされる。ここの予約を取ったということは、私たちはすでに『お忍びの何者か』として認識されているのだろうか。いや、それは考えすぎだろうか……ロビーの奥に案内され、宿帳に名前を記入する。私が二人分の氏名を書いてニマニマとしている間、エドガー様は支配人らしき男性と話をしていた。


「前から思っていたが、フィオナは字が綺麗だな」

「えっ本当ですか!? 写本の修行をしておいてよかったです〜」


 精神統一の修行として、戒律を何百回も書き写したり、歴史書を写本することがよくあった。書き損じをしたり、字が曲がってもやり直しなのであの頃は睡眠不足だった。エドガー様が来る前だけれど……。


「修行って役に立ちますねえ」


 私は褒められて嬉しかったのだが、エドガー様は曖昧に口元をモゴモゴさせるだけだった。


 最上階のスイートルーム。鍵をかざさないと反応しない魔力エレベーターが一室に対して一基、専用の物があるらしい。


 ホテルも特等船室と同じぐらい立派だった。寝台が二つ並んでいるが、二人ぐらいなら片方におさまれそうである。よしよし……。


 窓から見える景色は市街地で、遠くに宮殿らしき物が見えた。


「海よりは街の方がいいかと」


 確かにそうだ。海は自分の家からでも見える。エドガー様は鈍感に見せかけてきちんと私が喜ぶことを考えてくれている。という事は都合の悪いことはあえて無視をしている訳だが。


「このあとの予定ってなんでしたっけ?」

「状況に応じて。美術館、博物館、あとは有名な観光地、街歩き……」


 旅行に行くといつもより疲れやすかったり、不測の事態が起きたりするものなのでどうしても行きたい場所以外は余裕のあるスケジュールにすべきとエドガー様は言う。


「観劇はチケットを取ってあるからこれは行くべきだな」

「劇ですか?」


 首をひねる。そんな会話は一度も出なかったのだが……。我が国でも有名な歌手がここの出身らしく、今ちょうど凱旋公演をやっているとのこと。


 この直前に、どうやってそんな競争率の高そうな券を手に入れたのだろうと少し疑問を感じてしまう。



 まずは手始めに昼食場所を探しがてら宿の近くにある博物館へ向かうことにした。うん、これは外遊を兼ねているからね、きちんと他国のことを勉強しないと。


「建国時の逸話で一番有名なのは、王の竜退治だ」


「なるほどなるほど……」


 やる気を見せるために、メモをとる。エドガー様はそれに気を良くしたのか、水を得た魚のように語り始めた。


「初代の王アーチボルド……今の国王と同じ名前だな。彼は一匹の竜と相対して勝利し、この島の統治者となった」


「強力な魔術を行使できたのですか?」


 我が国ではそのような伝説がある。


「いや。簡単な契約魔術の応用だ。竜の名前を聞き出し、魔女が託した指輪に契約を無理やり結ばせた」


 お互いに名前を明かし、指輪に契約を刻む。そうする事によって主従関係が発生し、島の支配者は国王になった、というわけだ。今も王がその指輪をはめることが慣例となっている。


「単純にその指輪がすごいんだが。国宝なので一般人にはお披露目されない」

「竜といえば、彼、名前はなんと言うんでしょうね」


 船にちょっかいをかけてきた赤い竜のことを思い出す。


「向こうも馬鹿ではないから、もし伝説が事実であるとすれば簡単に名前を明かすな、と言い伝えがあるかもしれないな。学校で習っているかもしれん」


 小さな竜が教会に集められ『知らない奴には名前を明かすな!』と牧師の竜にこんこんと説かれている様を想像して少し面白くなる。


 次に目に入ったのは一枚の絵画だった。何代か前の聖女をモチーフにしたもので、海岸に佇む女性が水面に手を伸ばしている。その先には一匹の魚が……あれ?


「この魚、とてつもなく見覚えがあるのですが」


 絵の中の魚は、どこかとぼけた表情といい、まだらの具合といい、家から脱走してしまったものにそっくりだ。


「このあたりで広く食用とされている。この場面は、普通の魚ではないと気がついた聖女が精霊を海に帰すところだな」


 精霊は身近な生き物の姿を取って人間の前に現れる時がある。じゃあ、やっぱりあれは魚じゃない『何か』だったのだろうか。


 ぐるぐると博物館を回る。エドガー様の説明を周りの人までふんふんと聞いている。


「学芸員さん、あちらはなんですか?」

「私はただの観光客なのですが……」


 声をかけた人は申し訳なさそうにしていたが、確かに私たちは夫婦ではなく案内と真面目な女学生の組み合わせに見えてもおかしくないのであった。

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