第28話

もやもやとした気持ちを引きずっていると、エドガー様が私の肩を軽く叩いた。次で降りる合図だ。


 慌てて、足元にだらんと垂れ下がっていた鞄を膝まで引き上げる。


 馬車を降りると、強い風が吹いてきて、三つ編みが揺れた。


「すまないな。不愉快な気持ちになっただろう」


 エドガー様は、市民が聖女について好き勝手に喋るのを見て、私が嫌な気持ちになったと思ったようだ。


 確かに、それは間違いではない。聖女宮にいた頃の私が「聖女は贅沢三昧をしている」「権力を使って男を侍らせている」「仕事をサボっている」などと言われたら、それこそやる気が海の底まで沈んでいただろう。


 たまに「どうして自分だけがこんな目に合わなくてはいけないのか」と思う時はあった。


 それは自我が芽生えて、一人になってしまってからどんどんと強くなっていった感情で、私はそこに「エドガー様のためだ」と上書きしてなんとかやり過ごしていた。


 この国の聖女はどうなのだろう。愛する誰かのために? それとも、ぶつけようのない不満を抱えながら毎日祈っているのだろうか。……せめて、前者であればいいと思う。


「フィオナ、大丈夫か。どこかで休むか?」


 先に宿で休んで、私だけが大使館に行こうか、とエドガー様がこちらを覗き込んできたので、思わずのけぞってしまった。


「いえ。私も大使館の場所を確認しておきたいですし」


 歩きがてら、途中に屋台があったので飲み物を買ってもらう。紅茶に砂糖と果汁が混ぜられているようで、食べた事のない果実の味がする。


「美味しいですねこれ」

「食事には合わないけどな」


 大使館は角を曲がったところにあるのでコップは持っていって、帰り際に戻してくれればいいとのことだった。飲みきれないので助かる。


 エドガー様の後ろをついていくと、たしかに随分と大きな塀があった。


 仰々しい門があり、見慣れた制服の警備兵が立っている。この敷地の中はよその国ですよ、という主張がこれでもかとなされている。


 エドガー様は懐から、印章が入った封筒を取り出した。それを警備兵が受付に渡し、しばらくして門が開かれた。


 その間、私はすることがないので塀を眺めていた。白と灰色のまだらの石で、よくよく見ると少しキラキラしており、ところどころ赤い石が見え隠れしている。


「うちの国で採れるルビーの母岩を船で運んできて、塀に仕立てたらしい」


 小さな結晶で、宝石質ではないとは言え豪華な話である。他国に権威を主張するため、大使館というのは豪華に作られているようだ。


 外から中を窺い知ることはできなかったが、中も想像以上に立派な作りだった。祖国を離れ、お国のために働く人々を慰めるために、内装は自国風のもので統一されており、一瞬で帰国したような心持ちになった。


「こちらに……」


 案内役の人の対応は非常に丁寧だ。おそらく、そうそう簡単に入れるとは思わないので、やはり私たちが来ることは知られているのだろう。


「ここで待っていてくれ」


 ホールに入ると中は待合室のようになっていて、椅子がたくさん置かれていた。


 万が一ということもあるので、何事かの不測の事態が起きた場合にはここに逃げ込む、という寸法だ。旅券を無くしたらしき人がうなだれている。


 その中の一つに腰掛けて、エドガー様の戻りを待つ。


「……まだかな」


 結構話が長引いているようだった。もしかして、大使と話すのではなく本国へ連絡をとっているのかもしれない。


 第二王子のことだ、微妙な嫌がらせとして話をなんとなく引き伸ばすぐらいのことはやってのけるかもしれない。


 様子を見に行こう。そう考え、エドガー様が消えていった部屋へ足を進める。


 警備員の人がやんわりと私の前に立ち塞がった。まあ、当然ですよね。


「こちらの部屋は関係者以外立ち入り禁止となっておりまして」


「……私の事は、ご存知ですか?」


 顎をつんと上げ、王宮で見かけた貴族たちの真似をする。


「……」


 警備員さんはためらいがちに道を開けた。知りません、と言われたら非常に恥ずかしい目に合う所だった。


 そっとドアに手をかける。もう一枚ドアがあり、足音を殺して近寄ってみる。


「……ええ。はい。詳しくは帰国してからお話ししますが」


 誰かと話している。大使の声は聞こえないので、エドガー様が通信機で誰かと会話しているようだった。


「失礼します」


 勢いよくドアを開け、中に侵入する。


「フィオナ!?」


 振り向いたエドガー様は、何かを隠した。身分証だ。よく見えなかったが、明らかに聖女管理局のものとは違っていた。


 聖女管理局は縁が青。一般人に偽装したものは縁が黒。なら、今視界の端に見えた金色のカードは?


「聖女様、どうかされましたか。お待ちいただくようお伝えしたはずですが」


 エドガー様は通信を切り、他人行儀に私を咎めた。


「遅かったので、何かあったのかと。私に関することでしょう?」

「少し報告が長引いてしまいまして。申し訳ありません」

「……そうですか」


「聖女様、お初にお目にかかります」


 険悪な空気を断ち切るように、大使は全く嫌味のない、かしこまりすぎず、なれなれしすぎずの、朗らかな表情で美しい礼をした。流石に国の代表として赴任しているだけあり、王族と違ってこちらを見下すような不快感がないのがさすがだと思う。


「ご苦労様です」


 静かに礼を返す。部屋に突っ込んできたのだからもう今更なのではあるが。


「聖女様。もし宜しければグレン大使に祝福を」


 祝福。それは聖女だけに許された技。聖女の魔力を任意の人、及びものにとどめることができる。それを応用したのが滋養強壮に聞くと言われる霊薬であり、装飾品にこめれば魔除けに……そしてエドガー様がはめている指輪のように、呪いにもなる。


 グレン大使が首から提げている銀のペンダントの中には、小さなガラスの入れ物が入っており、その中には小さな小さな聖石のかけらがあるはずだ。


 代々の聖女が持っていた聖石はその役目を終えた時、聖女の手を離れる。由緒正しきものは、聖女の泉によって清められ、小さく砕かれて、信仰の対象になる。


 もちろん有限の物質であるため、どの宝石よりも高価と言える。大使は首からそれを下げているのだ。


「ええ」


 首のペンダントに手をかざし、祈りを込める。ほんのひとかけらなので、魔力はすぐにいっぱいになってしまう。


「ありがたき幸せ……」


 宗教上のグッズであって、役目を終えたかけらにはなんの力もない。しかし、これはグレン大使のひいお婆様が聖女の血を引いており、グレン公爵家に嫁入りの際に授けられた家宝であるらしい。


「これからも励んでください」


 私はなるべく立派に見えるように振る舞った。まあ、今更なのだけれど。仕事は頑張るので許してください、大使。


 まだ用事があるというので、大使館の庭をうろつく。池の中の魚をじっと眺めていると、エドガー様が戻ってきた。


「さっきはどうして……警備兵を脅すなんて、君らしくもない」

「冷静に考えたら、聖女管理局の仕事なのに私が待っているだけなのも変かなと思いまして」


 エドガー様、先ほどの身分証は一体なんでしょうか? と尋ねてみようか。


「こっちにパン屋がある。昔よく通っていたんだ」


 問い詰めようとした言葉は、喉元まで出かかって、宙に消えてしまった。

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